人がつくったものに人が似てくる

星野廉

2021/06/30 12:55


目次

鏡は、ずれを見るためにある

つくったものに似せる、つくったものに似てくる

真似てつくったものを真似る

うつったものに似せる、うつったものに似てくる

向こうへと落ちていく

似る、似せる、成りかわる

究極の似ている

鏡は、ずれを見るためにある



 鏡は自分の姿を見るためにあるのだろうが、鏡に映っているのは自分だろうか?


 鏡に映っているのは姿や形というよりも時間だという気がする。正確に言えば、時間ではなく、ずれなのだろう。抽象である時間を、人は「見る」ことができず、「前」と「今」とのずれとして感知するしかない。


 ずれは印象であり、計測も検証もできない。その意味で「似ている」に似ている。鏡だから「似ている」に似ているわけではない。鏡は「似ていない」も写すし映る。


        *


 鏡を前にしてのお化粧は、刻々と目の前に現われるずれとの追っかけっこ。先を越されないように必死で見ていなければ、顔は見えないし、化粧品ののり具合を確かめることはできない。だから、ずれを深く受けとめている暇も余裕もない。


 お化粧をする時には、鏡の中の自分、つまりずれとは妥協するしかない。いつまでも眺めているわけにはいかない。考えこんでいる暇もない。ま、いっか、と唇を噛んでつぶやいてその場を去るしかない。ずれとまともに向き合えば喜劇や悲劇や惨劇になる。


 数年前の写真を見るのは恥ずかしいものだ。恥ずかしくてまともに見られない。髪型も化粧も服装もださくて見るに堪えない。ただし顔そのものは見ないだけの体感的な知恵がそなわっている。というか、おそらく見えないのである。


 ずればかりがやたら目につくのだ。だから、顔や姿は目に入らないと言うべきかもしれない。映っている人を卒業したという優越感と、それがちょっと前の自分だったという屈辱感のあいだで揺れるとも言える。要するに、ちょっと前の自分は恥ずかしいと同時に憎い。ちょっと若いから小憎らしい。つまり、ライバルなのだ。


 免許証とか証明書の写真がそうだ。恥ずかしさと屈辱だけが映っている。だから正視できないし正視に耐えない。これは、ずれがダイレクトに襲ってくるからではないか。恥ずかしさと悔しさ、つまりずれを感じとるだけの余裕ができているということ。


 昔の写真とか子どもの頃の写真だと、ずれをもろに受け入れる余裕ができているから、見ていてもそれほど恥ずかしくはないし憎らしくもないし悔しくもない。むしろ、懐かしくて見入ることがある。もはや、他人となった自分。まあ、かわいい。この子、誰? 天使を見る人もいる。我が子や甥っ子や姪っ子や孫を見るのに似ている。似ているけど、自分ではない誰か。今の自分以外に自分はいない。


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 人は鏡や鏡に似たものに取り憑かれているとしか思えない。絵や写真や映画や動画は、鏡に似ている。人はそれらを前にして、鏡に面するのと同じ仕草や動作をする。見る、見入る、かんがえこむ、かんがみる。


 絵、写真、映画、動画は自分を映すためのもの。世界は自分に似たもので満ちているから、風景を描いても撮っても、人以外の生き物を描いて撮っても、他人を描いても撮っても、そこに描かれている映っているものは自分。広義の自分。複数形の自分。おそらく赤ん坊にとっての「自分」。


 人は自分に似たものを目にすると、幼児返りや赤ちゃん返りをする。たぶん、ごく短い間だけ、またはとぎれとぎれに。人はいくつになっても、まばらな幼児、まだら状の赤ん坊。


        *


 鏡、絵、写真、動画がどんどん増えていく。人が真似てつくり、複製するから、当然のこと。鏡は自然に増えるわけがない。人がつくる。


 つくるだけはない。似せて、真似てつくる。何に似せ、何を真似るのかといえば、鏡。鏡に似せて、鏡を真似て、つくる。どんどんつくる。


 世界は鏡に満ち満ちている。人は、ふだんは、それに気づかない。意識しない。だから、よけいに増えていく。


 言葉も鏡。人も鏡。人は自分に似たものを真似てどんどんつくっていく。




つくったものに似せる、つくったものに似てくる



 荒唐無稽な夢。荒唐無稽な想像。

 根拠のない空想。


 たとえば、人は椅子をつくったために、椅子に合わせて腰かけるようになった。


 物だけではない。


 たとえば、映画をつくったために、映画のような夢を見たり、空想をするようになった。


 棺桶をつくったために、棺桶に合わせて埋葬するようになった。

 冷蔵庫をつくったために、冷蔵庫に合うようなものを食べるようになった。


 パソコンをつくったために、パソコンの従者や下僕になった。

 スマホをつくったために、スマホに嗜癖しスマホに合わせて生活するようになった。


 それだけではない。


        *


 つくったものに似せる、つくったものに似てくる。

 うつったものに似せる、うつったものに似てくる。


 ミメーシス、模倣、描写。

 うつす、写す。似せる、真似る。かたる、語る、騙る。

 つたえる、伝える、つぐ、継ぐ、次ぐ、告ぐ、接ぐ。

 まねる、真似る、ふりをする、振りをする、えんじる、演じる。


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 もしもの話。戯れ言。


 言語を習得させ、海を見せて、海を描写するように指示する。海についてのパーツである、波、浜、砂浜、沖、岩、砂、石、水、海水、大波、小波、しけ、なぎ、太陽、夕陽、朝日、雨、風、カモメ、魚、貝、流氷……といった言葉を覚えさせた上で。器用な人なら作文を書くだろう。お手本なしで。


 絵の具と筆と鉛筆と紙を与えて、海を見せて、海を描くように指示する。器用な人なら描き始めるだろう。お手本なしで。


 果たしてそんなに単純な話なのか。


 天才なら、書けるし描ける。


 そんな適当な話なのか。


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 戯れ言のつづき。


 お手本を見せたとする。さらには筆記具の使い方と書き方、画材の使い方と描き方を教える。


 大切なことは、たくさんのお手本、つまり文章や作品を読ませ、たくさんの絵を見せること。真似させること。


 たぶん、真似ることで、めきめき作文力がつき、絵の才能が伸びるのではないか。


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 言葉も絵も外から来るもの。借り物。だからこそ、真似る対象になり、真似ることで熟達する。もちろん才能もあるだろう。


 大切なのは、真似ること。


 まねる、まねぶ、まなぶ。

          


ミメーシス - Wikipedia

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ミメーシス (アウエルバッハ) - Wikipedia

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口承 - Wikipedia

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演劇 - Wikipedia

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写本 - Wikipedia

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印刷 - Wikipedia

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 荒唐無稽な想像。荒唐無稽な夢。


 人が物語を真似る、物語に似せる、物語に似る、物語に成りきる、物語に成る。

 人が書物を真似る、書物に似せる、書物に似る、書物に成りきる、書物に成る。

 人が演劇を真似る、演劇に似せる、演劇に似る、演劇に成りきる、演劇に成る。


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 写字、写経、写本、書写、筆写。

 書、書道、カリグラフィー。


 書物や文字を写す職業。

 筆耕、写字生、写経生、スクライブ。


写経 - Wikipedia

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スクライブ - Wikipedia

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筆耕とは - コトバンク

精選版 日本国語大辞典 - 筆耕の用語解説 - 〘名〙 写字や清書をすること。それによって報酬を受けること。また、その人。

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Calligraphus - Wikipedia

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カリグラフィー - Wikipedia

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ブヴァールとペキュシェは、どちらも独身の写字生である。

(フロベール作「ブヴァールとペキュシェ」についてのウィキペディアの解説より引用)

ブヴァールとペキュシェ - Wikipedia

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「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」(ドン・キホーテのちょしゃ ピエール・メナール、Pierre Menard, autor del Quijote) は、ホルヘ・ルイス・ボルヘスによる短編集『伝奇集』に収録された作品の一編。ピエール・メナールという20世紀の作家がミゲル・デ・セルバンテスになりきるなどの方法で、『ドン・キホーテ』と一字一句同じ作品を作りだそうとした、という設定のもと、セルバンテスの『ドン・キホーテ』とピエール・メナールの『ドン・キホーテ』の比較を文学批評の形式で叙述した短編小説である。


(ボルヘス作「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」についてのウィキペディアの解説より引用)

『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール - Wikipedia

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真似てつくったものを真似る

 


 荒唐無稽で根拠なしの空想。

 馬鹿馬鹿しくてがっかりするしかないような話。


 似せてつくったものに似せる、真似てつくったものを真似る。

 馬鹿馬鹿しい、馬鹿も休み休み言え、と言いたくなるような話。


 そもそも物語は人がつくったもの。現実なり空想なりを見聞きして、それを「あたかも目の前にあるように」語るのが、物語。


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 物語を模倣する人間についての小説。

 物語というジャンルについての復習、小説というジャンルの予習。


 まさか、小説を壊しているのではないか。

 できたばかりのジャンルが既に壊れかけている。



ドン・キホーテ - Wikipedia

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 物語と小説をまねて、まがい、まげた作品を、さらにまねて、まがい、まげた作品。


 この作品をまねる、あるいは無意識にまねることとなる来たるべき作品立ち。


 まがい、まがるしかないのが小説というジャンルの運命であるかのように。

 とはいえ、読み物でもある。読み物は読み物を模倣して、書き継がれる。



トリストラム・シャンディ - Wikipedia

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 小説を模倣する人間についての小説。

 小説と現実を混同してしまう人間についての小説。


 小説というジャンルの始まりと洗練。

 律儀と愚鈍が同義であると誰かに見破られることになる。


ボヴァリー夫人 - Wikipedia

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 恋に恋する人間。

 物語にかたられてしまう人間。

 小説の登場人物と自分を同一視する人間。


 小説や物語を、映画や演劇やテレビドラマやゲームに置き換えても事情はそれほど変わらないのではないか。あるいは、歴史や神話や信仰や哲学や生き方に置き換えても事態はそれほど変わらないのではないか。


 仮に、政治や社会現象を、世界や国家や地域を舞台とした、物語や劇としてとらえるとすれば、これまた事情も事態も同じなのではないだろうか。


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 登場人物と読者、演じる者と観客、舞台に立つ者とそれを眺める一般人。

 人は観客や読者であることを忘れて自分が主人公だと思い込む。


 そうした観劇の仕方や読み方を否定するのではない。そもそも否定できるたぐいの問題ではない。


 どんな子どもでも、読み聞かされた話に自分を重ねる。それがフィクションというものの仕組み。


 観るとは、聞くとは、読むとは、そういうことなのだろう。そうした事態に自覚的であるかどうかは、趣味や気質や、その時の気分の問題なのかもしれない。


 


うつったものに似せる、うつったものに似てくる



 鏡を見る。鏡に見入るのは、誰でも毎日やっていそうなこと。そこに映っているのは自分だと疑わない。人前に出て恥ずかしくない顔と格好をしているか確かめる。お化粧をする。身だしなみを整える。


 それだけなのか? 本当に、そんなふうに単純なものなのだろか? 世の中には、変なことを考える人がいる。変なことを書く人がいる。小説にまで書く人がいる。変だから書くのか。変だから小説なんて書くのだろうか? 人が小説に似る。小説が人に似る。


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 かがみ、鏡、かんがみる、鑑みる

 見入る、魅入る、見入られる、魅入られる

 うつる、映る、移る、入る


 鏡の中に入る。


鏡の国のアリス - Wikipedia

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 鏡の中に入る前に言葉という鏡に魅入る。

 言葉はかがみ、屈み、鏡、鑑。

 かがみ、しなり、おれる。

 屈折、reflection、inflection。


 写真術のパイオニアだったルイス・キャロル。

 数学者・論理学者でもあったルイス・キャロル。

 その符合と屈折ぶりはただ事ではない。



不思議の国のアリス - Wikipedia

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屈折 - Wikipedia

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語形変化 - Wikipedia

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屈折語 - Wikipedia

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ルイス・キャロル - Wikipedia

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向こうへと落ちていく



 水面に映った自分の姿を見る。

 鏡を見る。

 かがみ、かがむ、うつる、映る、写る、移る。

 おちる、落ちる。


 鏡像。姿。反射。自分のようで自分ではない。

 自分そっくり。自分に似ている。自分ではない。自分とちがう。

 こっち、むこう。ここ、あっち。ここ、かなた・あなた・彼方・貴方。


 水面、鏡の恐ろしさ。死へといざなう鏡、水面。

 おちる、落ちる、堕ちる、墜ちる。

 落ちていく、向こうへと落ちていく、かなたへと落ちていく。


 声がうつる、映る、写る、移る、遷る。

 響く、こだま、木霊、谺、エコー、空気の振動、音、音響、波。

 録音、レコード、蓄音機、拡声器、マイクロホン、スピーカー、再生、再現、再演、反復、模倣。


ナルキッソス - Wikipedia

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エーコー - Wikipedia

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木霊 - Wikipedia

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ドリアン・グレイの肖像 - Wikipedia

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堕天使 - Wikipedia

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似る、似せる、成りかわる



 似た小説や映画には事欠かない。ある小説を読んでいて、あるいは映画を観ていて、あれっというふうに既視感を覚えることは多い。前にも読んだことがあるような話、見たことがあるような身振りや行動、聞いたことのあるような科白、聞いた記憶のあるメロディー。


 他人の家に入る。その家にある服を着る。物を食べる。座る、歩く、その辺にある本を読む、トイレに入る。その時、入った人は、その家の主を真似ることになる。


 似た話、似た光景、そっくり、デジャビュの洪水。軽い目まいすら覚える。



幻冬舎文庫 パレード

都内の2LDKマンションに暮らは男女四人の若者達。「上辺だけの付き合い?私にはそれくらいが丁度いい」。それぞれが不安や焦燥

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文春文庫 パーク・ライフ

公園にひとりで座っていると、あなたには何が見えますか?スターバックスのコーヒーを片手に、春風に乱れる髪を押さえていたのは、

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 似ている、似せる、似る、成りかわる、成る。


 誰かに似ている。その誰かに似せるように努力し、その結果似る。それだけでは済まない。その人物に成りかわるのだ。そしてついにその人に成る。お察しの通り、これはサスペンスであり犯罪小説。怖い話。


 そんな小説がある。小説とは異なる部分もあるが映画にもなっている。


河出文庫 太陽がいっぱい

イタリアに行ったまま帰らない息子ディッキーを連れ戻してほしいと富豪に頼まれ、トム・リプリーは旅立つ。その地でディッキーは、

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 この小説にはそっくりな邦訳(翻訳だから似て当然)が二種類あり、映画化された作品も二種類ある。「似ている」や「そっくり」や「既視感」を楽しみたい人――そんな人がいるのか? ここにいるけど……――には堪らない話。


 さらには、この小説の続編があって、真似るだらけの主人公を真似ようとする少年が出てくるという話。


河出文庫 リプリーをまねた少年

数々の殺人を犯しながらも逃げ切ってきた自由人、トム・リプリー。悠々自適の生活を送る彼の前に、億万長者の家出息子フランクが現

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 まさに目まいのするような話。





究極の似ている



 文学も芸術も映画もスポーツも「似ている」に満ち満ちている。


 世界は「似ている」に満ち満ちている。


 何かを真似て似たものをつくり始めたのはいいが、人はそのつくったものに似たものをどんどんつくることを無意識に覚え、その結果、複製文化どころか、複製文明と大量生産文明を築き上げ、今日にいたるのではないか。


 似ているの増殖、似ているの自動生産、大量生産。どうにもとまらない状態。そして世界はどんどん暖かく暑くなっていく。


 とはいえ、誰も目まいを起こしたくないから、「似ている」ことには目を向けないし、耳を傾けないでいる。「似ている」や「そっくり」とは、ほどほどのお付き合いをするべきということか。


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「似ている」と「そっくり」――。何かに似ている、そっくりだと思い、何だろう何だろうと考えていて、文学も芸術も映画もスポーツ、複製文明と大量生産文明、大量生産と思いをめぐらしていて、はっとする。


「似ている」と「そっくり」は、お金に似ているし、そっくりなのだ。






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 究極の「似ている」と「そっくり」は紙幣、つまりお金。お金は「似ている」どころか「そっくり」どころか、「同じ・同一」に限りなく近くなければならない。精巧をきわめる。偽造を防ぐため。


 ほぼ「同一」だから、計器によって計測可能。人の知覚だけでは真偽は判断できない。


 お金は何に似ているのか? 数字ではないか。抽象度マックスな数字。似ているやそっくりの世界ではなく、同じ・同一の世界。


 数字と同じく抽象だから、何にでもかえられる、換えられる、変えられる。こんな便利ですごいものはない。素晴らしいものをつくったものだ。だから、どんどん刷る。


 真似てつくる。そっくりにつくる。間違いは許されない。似ていなかったらアウト。下手すると犯罪、いや下手しなくても立派な犯罪。


 本物のお金をどんどん刷らなければならない、鋳造しなければならない。印刷機や鋳造機でどんどん刷る。究極の精巧さで複写し複製し、大量生産する。


 刷ることができるのは一部の人だけ。政府だけ。正確に言えば、政府の銀行と造幣局だけ。こども銀行は、こどもにだけ許される。


 そっくりの本物がどんどん増えていく。実体なんて関係ない。人は存在しないもので動く。おとなのやることはほんまもんやからこわいわ。どんどん増やす、ついでに殖やす。実体はなくてかまわない。そんなところも数字と激似。




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 電子マネー、ポイント、スマホ決済。


 記号と化したお金、マネー、紙幣。触ることも見ることも匂いもしない記号。似ているやそっくりのない、おそらく同じや同一もない世界。


 虚ろな記号。似ているやそっくりのない記号。実体のない、ふえる増える殖える。


 ふえるという身振りだけが空転する。人は存在しないもので動くの進化であり洗練なのか? その新たな展開なのか? あるいは、その枠内での展開にすぎないのか?


 紙幣のない印刷機、硬貨のない鋳造機。機械の音だけがむなしく響く工場。


 何だろう? 


 何かに似ている気がするが、何に似ているのか、思いつかない。ひょっとすると、何にも似ていないのかもしれない。



※以下は、この記事の姉妹編です。





 


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