「かわる」と「わかる」
星野廉
2021/06/21 10:06
目次
変換する
文字と意味、二重写し
変換する
かわる。
こうやってひらがなでぽつりと書いてみると、漠然として、とりとめのない感じがするのは、日本語が大和言葉系の言葉と漢語系の言葉から成り立っているからだと思われます。
変わる。代わる。換わる。替わる。
漢字に置き換えてみると、ひらがなだけの「かわる」が、いろいろな意味やイメージを担っているさまが浮き彫りになります。辞書で「かわる」を引いて、いくつかに分かれた意味の項目と定義と、それに当てる漢字との関係を見ていると、不思議な思いに駆られます。
もともと日本語には文字がなかったという説が有力です(というか、どの言語もそうでしょうが)。だから、中国語の文字である漢字を変形して、ひらがなとカタカナを作ったそうです。
かつてはどう発音され、どういう活用をしていたかは知りませんが、「かわる」や「かえる」に相当する言葉が、前後関係だけを頼りにコミュニケーションの道具として使われていた時代、つまり文字のなかった時代を想像してみましょう。
そう言われても、これまた漠然として、とりとめのない感じがしますね。想像しようにも、とっかかりになるものがありません。では、発想の転換をしましょう。文字が存在しなかった昔のことなどを考えようとするから、話がややこしくなるのですよね。やめましょう。
よく考えてみると、日常生活の会話でのレベルならば、「かわる」と「かえる」の使用法については、現在でも状況はそれほど変わらないのではないでしょうか。
「ねえ、そろそろカーテンを新しいのにかえようよ」、「あっ、もうすぐ信号が赤にかわるよ」、「ほんとう? また、あの人、仕事がかわったの?」、「このお味噌汁、おかわりしてもいい?」、「この会社では、専務にとってかわる、これぞという人物がいないことが最大の問題だ」、「最近の○○ちゃん、ここに初めて来た時とくらべると、ずいぶんかわったね」、「じゃあ、そのかわりにあなたがお風呂掃除をしてね」、「かわりばんこに運転しながら、大阪まで行ったの」、「きょうは、わたしがお母さんにかわって夕ご飯をつくります」、「君のおじいちゃんって、かなりかわった人だよね」
このように、しゃべっている分には不自由はしないと思われます。
ところが、以上の例文での「かわる」と「かえる」に漢字を当てようとすると、自信を持って漢字をまじえた文に変換できるものもあれば、かなり迷うものもあるのではないでしょうか。
変、代、換、替のうちのどれを当てるのか? パソコンのワープロソフトには、当然のことながら変換機能がついています。変換に迷った時に助けとなるような、簡潔な説明や例が示してあるので役立ちます。それでも、迷うことがあります。
そんな時には、辞書を引きますが、それで解決することもあれば、とりあえず、最も適切と思われる漢字を当てたり、自信がないのでひらがなのままで書くこともあると思います。
漢字の読み書きのテストを除けば、いざとなったらひらがなで書けばいい。こう思うと楽ですね。これが日本語の有り難い点でもあるのです。
文字と意味、二重写し
「かわる」という言葉にこだわってみたいと思います。一日に一度は口にしたり書いたりしそうな言葉であり、さまざまな意味や記憶やイメージを呼び起こしてくれる言葉です。
「かわる」という言葉を言い換えるとすれば、どんな言葉が浮かびますか? 「変わる」「代わる」「換わる」「替わる」とワープロソフトを用いて変換すると、意味が具体性を帯び、イメージが膨らんできますね。それは
*「かわる」がわかってくる
からです。「かわる」が「わかる」とは、言葉の遊びです。もっと遊んでみましょう。
*わかる。分かる。判る。解る。別る。
こうすると、「わかる」がわかってきませんか? 「わける」でも、できそうです。
*わける。分ける。別ける。
さらに、「わける」もわけることができそうです。駄洒落となるのを覚悟でもっと遊んでみます。
*わける。沸ける。湧ける。涌ける。
わけがわからないですよね。せっかくここまで来たんですから、さらにエスカレートさせてみるのもいいでしょう。
*わく。沸く。湧く。涌く。枠。惑。和久。ワク。わくわく。waku。WAKU。
突拍子もないものまで出てきて、並列されています。「かわる」が「わかる」、「わかる」が「わかる」、「わかる」が「かわる」、さらに「わける」を「わける」ことで「わく」がわいて、わくわくしてきた、という感じでしょうか。
この種の作業に、わくわくする人がいます。ここにもいます。あなたは、どうですか? くだらない? そう思われる方のほうが、多いのではないでしょうか。それはそれで、よくわかりますけど。
*
駄洒落やオヤジギャクと呼ばれているものは、こういう脈絡を欠いた言葉の連なりを意識的に、あるいは無意識のうちに頭に浮かべながら、作られるのかもしれません。
ある文字列なり、音の連なりが、二重あるいは三重に見えたり、聞こえたりするわけです。これを絵や写真や動画、つまり映像でやろうとすると大変です。加工や編集が必要になります。
その点、言葉は書いただけで、読んだだけで、話しただけで、聞いただけで、二重写しみたいな感じ(両義性とか曖昧さとか多義性とも言えます)という不思議な感覚を味わえるのですから、すごいです。
かわる
こんな感じで、言葉はただ「ある」のです。まるで「いる」みたいじゃありませんか? 私には生きているとしか思えません。
すごいはその辺に転がっているのですね。すごいは気づかないものなのですね。反省しなければなりません。
※なお、上で述べた二重写しは比喩についても言えるのですが、詳しいことは以下の記事に書いてあるので、よろしければお読みください。
*
いずれにせよ、
*「かわる」という言葉の意味やイメージが、漢字を当てることによって「わかる」ようになる
という過程は、駄洒落のようでありながら、ある程度「言えてる」ことだと考えられます。ちょっと理屈をつけたくなりましたので、やってみます。
「かわる」という「多重的な=多層的な=多義的な=ぐちゃぐちゃした」「話し言葉=音声」、
および、
ひらがなで表記された「言葉=書き言葉=文字」、
つまり、
「とりとめのない記号=まぼろし」
が、
「わかる」という「多重的=多層的=多義的=ぐちゃぐちゃした」「話し言葉=音声」、
および、
ひらがなで表記された「言葉=書き言葉=文字」、
つまり、
「とりとめのない記号=まぼろし」
によって、
わけられる=分けられる=分類される=分別される=区別される=整理される=理解される=意識される=知覚される
ということになります。
そのさいに、
大きな役割を果たすのが、漢字=感じ=感字=かつての中国語である、
と思われます。
簡単に言えば、
*ひらがなが漢字の助けを借りて意味がとりやすくなる
という一例です。
こう書くと、つい「もしも」と考えてしまいます。もしも、日本語が歴史的経緯によりひらがなだけで表記される言語であったとしたら、日本と日本語はどうなっていたでしょう? この疑問文の「ひらがな」を「ローマ字」に置き換えても、いいでしょう。
実際、かつて日本語をローマ字表記にしようとする運動があったと聞いた覚えがあります。そう考えると、朝鮮半島におけるハングルの使用、そして中国での表記のアルファベット化運動も、頭に浮かびます。
真剣に取り組むと、たくさんお勉強をする必要がありそうなテーマです。私には無理でしょう。以下に資料を挙げます。
ローマ字運動とは - コトバンク
百科事典マイペディア - ローマ字運動の用語解説 - 明治初年以来行われた,ローマ字を国語表記の文字として採用しようとする
kotobank.jp
ローマ字論 - Wikipedia
ja.wikipedia.org
漢字廃止論 - Wikipedia
ja.wikipedia.org
上述の日本語についての「もしも」について考えると、思わずうなり声が出てきて、キーボードを叩く指が止まってしまいます。
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