言葉は魔法 <言葉は魔法・001>

星野廉

2020/11/28 07:58


 言葉は魔法。


 言葉は魔法です。

 言葉は魔法でございます。

 言葉は魔法だ。

 言葉は魔法である。


        *


 こうやって並べると、それぞれずいぶん印象が違うなあと思います。あくまでも個人の感想ですけど。


 noteを再開して以来、敬体と常体を行き来しています。楽しくてはまってしまいました。わくわくを大切にして生きている者としては、新たなわくわくを見つけてうれしいです。敬体で書く時と常体で書く時には違った自分を感じます。違った自分がいると言ってもかまいません。軽度の憑依(軽度を付けてもおおげさな言葉ですね)を覚えます。


 要するに、人格が変わる感じがするわけです。その人格が自分かというとそうも言い切れません。自分というのは借り物ではないかとつねづね思っています。書いていると(書いていなくても)、どこかからかやって来るのです。そして言葉が出るのを助けてくれます。うーんうーんと苦しんでいると助けてくれるのです。まるで助産婦さんみたいに。


 言葉は借り物。


        *


 着ているものを変えると気持ちが変わりますね。新しい服を身につけたとたんに違った人格になった自分を発見した。そんな経験はありませんか。文体を変えると、それに近い気分になることがあります。いつもとは違った書き方を試してみるとか、語尾だけをやさしくしてみるとか、逆に硬くしてみる。ある作家、あるいはnoteで気に入った書き手の文章を真似るとか、その「声」を借りてみる。ちょっと気取ってみる。やさぐれてみる。テレビドラマのあるキャラクターになりきってみる。


 言葉は声。


 奇をてらうのもいいでしょう。受けをねらうのも勉強のひとつです。せっかくひとさまに読んでもらうのですから、楽しんでもらいましょうよ。自分も楽しみましょう。思い切って、嘘をつくのです(嘘を書くことこそが文章の極意だ、と誰かが言っていた記憶があります)。あえて変わったことを書いたり、誇張してみたり、嘘をついてみたり、事実を脚色するといった行為は、プロアマ関係なく誰もがやっていますね。


 言葉は嘘。


        *


 飾りや遊びのない文章は味気ないから読まれない。そう自分に言い聞かせて、このさい開き直りましょう。自分というラベルを剥がしてみるのです。自分の中にあるはずの知らない小部屋に気づいてみるのです。その扉を開けてみましょう。


 べつに嘘つきになれと推奨しているわけではなりません。人と話す時に、自分でも思いがけない内容を口にしたり、ふだんと違った話し方になることがありませんか。いまお話ししているのは、それとも似ています。そう考えると素直な文章なんてあり得ないのかもしれない。他人の目を意識して書かれない文章はない。誰もが誰かに宛てて書いている。その誰かを変えてみるのです。今日は、〇〇さんに宛ててメールを書いてみよう、なんて乗りで試すのもいいかもしれません。


 言葉は手紙。


        *


 話はちょっと飛びます。


 書くことは自分ではないものに身をまかせる行為なのです。自分ではないものとは言葉にほかなりません。言葉は誰にとっても借りものであって、代々受け継がれてきた共有物です。誰にとっても、生まれた時に既にあるものです。自分から出たものじゃありません。


 誰もがまわりの人たちを真似ながら言葉を身につけます。生まれた時には既にある制度でありルールですから、自分ひとりでどうこうできるたぐのものでもありません。他人がいて言葉があるのです。自分が口にしたり文字にする言葉は他人との関係で揺れます。ブレます。


 言葉はあなたと私の間にある揺らめき。


        *


 言葉は魔法。


 言葉は魔法です。

 言葉は、魔法です。

 言葉は魔法ですね。

 言葉は魔法ですよね。

 言葉は魔法でございます。

 言葉は魔法だがね。

 言葉って、ほら魔法じゃないですか。

 言葉が魔法。

 言葉はですね、魔法なんですよ。

 てか、言葉って魔法じゃね?

 言葉は魔法なのだ。

 言葉は魔法っす。

 言葉、それは魔法……。

 言葉って魔法じゃない?

 魔法なんだよ、言葉っつうのは。

 魔法さ、言葉はね。

 言葉は魔法なんだってば。

 Words are magic.


 どれひとつとして同じものはありません。少なくとも私には。一つひとつを書き写してみると、違う自分がいて違う相手に向けて書いているのを感じます。移りゆくプリズム(多面体)としての自分を楽しむことができます。


 言葉はプリズム。


 それにしても日本語の表現の多様さはすごいと思います。たとえば英語だと、「言葉は魔法」に相当する言い方のバリエーションはずっと少ないはずです。こうしたレベルでの多様性は、相手との距離の取り方から生じているように思います。相手によって人格がころころ変わるなんて言ったら、言い過ぎでしょうか。日本語多重人格説なんて誰かが唱えていそうな気がしたので、"日本語多重人格"と"日本語多重人格説"というふうに、ちゃんと" "でくくって検索してみたのですが、ヒットしませんでした。どなたか、このテーマで記事を書いてみませんか。


 日本語は多重人格。


        *


 上の言葉の羅列を見て揺れませんでしたか? 書き写しても楽しめますよ。もし、ふらっときたり、くらっとしたり、きりっとしたり、でれーっとなったり、やさしい気分になったり、おらおらという気持ちになったとしたら、何かがやって来たのです。言葉は魔法。


 その機を逃さず、あなたの中にあるテーマでさっそく書いてみませんか。嘘でもまことでも何でもかまいません。もちろん短くていいです。私にも何かがやって来たので、それに身をまかせてこれから書いてみます。


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