言葉は音/声 <言葉は魔法・016>
星野廉
2020/12/27 08:33
うさぎおいしかのやま
こぶなつりしかのかわ
ゆめはいまもめぐりて
わすれがたきふるさと
いかにいますちちはは
つつがなしやともがき
あめにかぜにつけても
おもいいづるふるさと
こころざしをはたして
いつのひにかかえらん
やまはあおきふるさと
みずはきよきふるさと
唱歌「故郷(ふるさと)」です。
字面が綺麗ですね。音節がそろっています。一行が十文字、十音節なのです。魔法のような歌詞。
言葉はふるさと。
言葉は故郷。
「ふるさと」と「故郷」では違った言葉に見えるのは私だけでしょうか。「古里、故里、降る里、古郷」と変換すると出てきます。うずうずしましが、今回は深入りするのはやめておきます。
よく冗談に「ウサギ美味し」なんてイメージと言うか妄想を楽しむことがありますね。私なんか小さい頃には本気でそう思っていましたよ。「ウサギさんって美味しいんだ。でも食べるなんてかわいそうだな」と。
ウサギで思い出しました。恥ずかしい話なのですが告白します。「もしもしカメよ、カメさんよ」で始まる例の歌なのですけど、子どもの頃に私は、ウサギさんがカメさんに電話をかけているのだと思いこんでいました。どうして電話をかけているのか、なんてぜんぜん不思議に思っていなかったのです。月にいるウサギさんが電話をかけている姿がリアルに頭に浮かんでいました。ほぼ現実といっていいくらいの鮮やかさで。
いま思うと荒唐無稽ですね。滑稽だし、絵としてはシュールでわけが分からないイメージ。でも、子どもの私はそう思っていたのです。
そのうち変だと薄々感じるようになり、いつだったか、ある日突然その歌での「もしもし」の意味が分かり、一人で密かに赤面したことがいま頭に浮かびました。あ、やっぱりいまでも赤面します……。
言葉は荒唐無稽。
言葉は支離滅裂。
言葉はシュール。
言葉は魔法。
*
話を戻します。
冒頭で見たのはひらがなばかりの歌詞ですが、子どもにとっては意味は分からないし、べつに分かろうともしていないわけですから、ただ音だけで覚えている。これは、まさに「ひらがな」で頭に入っているようなものです。つまり、音だけ。ひらがなで歌っているようなものです。本当は、そのひらがなという文字さえない。音だけ。聴いて覚えたのですから。譜面や歌詞カードを見ながら覚えたのではない。
音だけで覚えている言葉。
音だけ。
言葉は音。
言葉は文字のない音。
もともと言葉は無文字だったはずですね。
文字は後付け。
初めに言葉があった。
初めに声があった。
もし、初めに文字があったとしたら。
もし、初めに文字があったとしたら、それは文字と言うよりも、印であったり、(比喩としての)顔であったりしたのではないだろうか。その印と顔はおそらくヒトにしか見えない。それを見て、ヒトは何かつぶやくかもしれない、叫ぶかもしれない、節をつけてうなるかもしれない。その「音/声」がその印や顔と対応しないのは言うまでもない。両者は最初から切り離されている。ずれているのだ。
*
たわごとはさておき、
上の「ひらがなばかり」の歌詞を下の動画で、漢字を当てた表記で見てください。意味がはっきりしますね。漢字が混じると意味がはっきりする。これが「分かる」という体験なのです。
あ、そういうことなのか!
分かるは、分かれること。
分かるは、分けること。
分かるは、判る、解る、別る。
言葉はわける。
言葉はわかる。
言葉はわかれる。
言葉は変換。
言葉は文字入力。
言葉は候補。
言葉は魔法。
*
usagioishi kanoyama
kobunatsurishi kanokawa
yumewaimamo megurite
wasuregataki furusato
ikaniowasu chichihaha
tsutsuganashiya tomogaki
amenikazeni tsuketemo
omoiizuru furusato
kokorozashiwo hatashite
itsunohinika kaeran
yamawaaoki furusato
mizuwakiyoki furusato
「故郷(ふるさと)」をローマ字で表記すると、こうなります。知識のある人が見ると、韻などに気づくにちがいありません。そうした方面の素養のない私にはわかりません。「故郷(ふるさと)」は日本語の詩ですが、フランス語や英語の定型詩における韻や詩脚の数え方やレトリックについても大学時代に勉強した覚えがあるものの、いまはきれいさっぱり失念している自分に驚きます。
ローマ字の表記を見ていると、石川啄木のローマ字日記や、志賀直哉、森有礼の名前が頭に浮かびます。記憶が曖昧で詳しいことは忘れました。いずれにせよ、日本語をローマ字で表記しようという運動や考えがあったことは確かです。
音があって、それを文字にする。不思議すぎて考えていると大げさではなく目まいを覚えます。この話はこの辺でやめておきます。
*
春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎはすこしあかりて紫だちたる雲のほそくたなびきたる。
春は曙。やうやう白くなりゆく山際、少し明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
枕草子の冒頭ですね。
「ひらがなばかり」の歌詞を漢字を当てた表記で見ると意味がはっきりしましたが、これは、古文の原文を漢字交じりの表記に変える(句読点や約物を補う場合もあります)ことで、あ、こういう意味なのか、とだいたい分かるのと似ていますね。
言葉を文字にすると意味が分かる。
言葉は文字。
言葉は意味。
意味は文字。
文字ってすごい。
文字は魔法。
言葉は魔法。
*
外国語の歌で覚えているものがあれば、それを思い出してみてください。意味はよく分からないのだけど歌える、そんな歌がありませんか。
とぅいんこー、とぅいんこー、りーろすたー。
まいこー。舞子。
まいこー・じゃくすん。舞子雀寸。
マイケル・ジャクソン。Michael Jackson
John Mung。John Manjirō。ジョン萬次郎。ジョン万次郎。中濱萬次郎。中浜万次郎。
乔·拜登。Joe Biden。Joseph Robinette Biden, Jr.。梅田讓。
唐納德特朗普。唐納川普。Donald John Trump。
かめあ。亀屋。
Come here.
ミシン。
マシン。
マシーン。
machine
英語を音だけで覚えるのと、文字から覚えるとは違うみたいです。何だか不思議ですね。よく分からないですよね。頭の中が混乱してきます。たぶん、音というのは音楽みたいなものなのかもしれません。つまり意味はない。意味がないものとして耳に入ってくる。とにかく聞こえる。とにかく耳に入ってくる。とりあえず耳に入ってくる。何となく覚えてしまう。
音だけで覚えている外国語の言葉。
言葉は音だけ。
言葉は意味不明。
音として覚えている。
音としての記憶。
たぶん意味は後で分かる。
後になっても意味が分からないままでいるものもあるだろう。
意味が分からないまま死ぬ。
死ぬ直前になって意味が分かったりして。ブラックジョーク。
言葉は魔法。
*
カチューシャ。
Катюша
何これ? 文字だよね。
トロイカ。
Тро́йка
え、何語?
ブルガリ。
BVLGARI
そうそう、前から不思議だったんだ。ウィキペディアにあるかな。
TOYSЯUS。トイザらス。トイザラスにあらす、もとい、あらず。
sukiyaki。すき焼き。sukiyaki ではなく、skiyaki という具合に u は発音しない。
キムチ。kimchi みたいに u は発音しないのでは? kimuchi と発音すると「気持ちいい」に聞こえてまじ気持ち悪いんだけど。
アメリカから来たという人に、「あかべいんはどう行けばいいのか?」と聞かれてまじわかんなくて焦っていたら、地図を見せられて、akabane だとわかったという。いまでもその理由がまじわからん。ちなみに俺は英検三級。
ねえ、奥さん、うちの子に enough のスペリングをどうやって覚えてたらいいのかって聞かれたんだけど、どうしたらいいと思います? フォニックスって役に立ちそうで立たないみたい。
フランス語で「私のお父さん・ mon père」は「モンペ」、「私のお母さん・ma mère 」は「豆」って覚えろって、私のお父さんがお母さんに言ってたんだけど。
知らない文字。
知らない表記。
読めない文字。
読めない表記。
音と表記が一致しないことがよくある。
おばあちゃんが、Official髭男dismとNiziUを読めてびっくりしたんだけど、お昼のバラエティー番組を見ているからだよね?
BBQをびーびーきゅーと読んで笑われたという。
BBQはびーびーきゅーと読まないということは、当て字という意味で一種の新しい漢字(感字)ではないか。
言葉は分からないことだらけ。
腹を立てても言葉は変わる。
言葉は魔法。
*
オー シャンゼリゼー オー シャンゼリゼー
Aux Champs-Élysées, aux Champs-Élysées
え、こんなんだったの? 何だか複雑。え?「おお、シャンゼリゼ!」と叫んでいるのではなくて「シャンゼリゼ通りにて」ですって? 「おー」が「にて」ですって? そんなの知らないわ。嘘に決まってる。「おー」は「おお」でしょ? 冗談は顔だけにしてちょうだいな。
「あい・わず・らいくゆーって歌ってるよね?」
「うん、あそこ好き、オリビアも大好き♡」
「何て意味がわかる?」
「えーっ、わたしが英語が得意じゃないって知ってるでしょ?」
「ライクってどういう意味?」
「馬鹿にしないでよ。ライクは好きに決まってるじゃん」
「ワズは?」
「ワズ? ワズってイズの過去形?」
「そのとおり。じゃあ、アイ・ワズ・ライク・ユーは?」
「過去だから。私はあなたが好きだった?」
「……」
(※上の誘導尋問の悪用禁止。)
ごめんなさい。楽屋ウケすると言うか、内輪ウケするギャグをしてしまいました。きょとんとなさっている方は、以下の過去記事をちらりとご覧ください。元は、あるおじさんのお話なのです。密かにライクおじさんと読んでいる人なのですけど。
あのライクおじさんに、もう一度お会いしたです。
ライクおじさん、万が一noteをやっていて、万が一この記事をお読みになったら、ぜひコメントください。勝手にコケにしたお詫びも申しあげたいし、とにかく無性に懐かしいのです。
*
最近、知ったことがあります。恥ずかしい話なのです。私がライクおじさんになってしまったのです。ブーメラン、ブーメラン。石を投げると自分の上に落ちてくるのですね。ひとつ勉強しました。
ジャスティン・ビーバーのこの曲なのですが、ベイビーベイビーと歌っているのは知っていました。積極的に聞いていた歌ではありません。でも、ところどころを知っていました。(I) thought you'd always be mine. (いつまでも君が自分のものだと思っていた。)なんてところをたまたま知っていて、かつてそこだけを口ずさんでいたのです。年甲斐もなく。いい年をして。いまは歌いませんけどね。
で、最近になって、noteで記事を作るためにやたらYouTubeの歌の動画を記事に貼り付けるようになったんです。前にはこんなことはしませんでした。前というのは、いまはないアカウントでのことなんですけど。
で、何を知ったのかと言うと、ジャスティン・ビーバーのこの曲の歌詞をたまたま見ていて、「あっ!」と叫んでしまったのです。
ベイビーにライクがついている!
…… and I was like baby
Baby, baby, baby, oh
Like baby, baby, baby, oh
……
歌詞には上のように書かれていたのです。
僕って子どもみたいだった
子ども、子ども、子ども、あーあ
まるで子どもだ、子ども、子ども、あーあいやんなっちゃう
こんな歌だったのです!たぶんですけどね。I was like baby の like は、I was like you. の like と同じで、「~のよう」「~みたい」「まるで~」。
その like があるとは、知らなかった、気がつかなかった、分からなかった、あーあいやんなっちゃう。
自分を振った女の子を、みじめったらしく、ベイビーベイビーって連呼しているのだろうと思っていました。まあ、そんなふうにも聞こえるところが味噌なんでしょうけど。いや、それはないか? さすがに、「君のことが好きだった~」と叫んでいるのだとは思いませんでしたが、「ベイビー、ベイビー」と相手を呼んでいるのだとは思っていたことは事実です。
*
ベイビー、ベイビー……。
男子がベイビーを連呼するのはいかにも女々しいから、ちょこっと like を付けて体裁をつくろい、あとはベイビー、ベイビーと自分を振った女の子を呼んでいるようにも聞こえるように作詞したのではないか……。
この妄想にふけっていて、あることを思い出しました。既視感のように出てきたのです。かつてブログ記事に書いたことなので、引用します。
話は変わりますが、広辞苑では、「な」に「己・汝」という漢字=感字を当てた項目があります。それによると、一人称の語義の次に、
*「転じて」
二人称となったという記述が見えます。この「転じて」とか「訛って」という言葉が好きです。言葉がおもしろいのは、この「転じて」や「訛って」があるからだと思います。一方、「わ」に「我・吾」を当てた項目にも、「転じて」という説明はないものの、一人称と二人称の語義が並んでいます。
ちなみに、ヨーロッパの言語では、二人称単数、つまり、「あなた・きみ」に相当するものが2種類存在する場合が珍しくありません。単純化して説明すると、(1)親しいあいだ柄でつかう、(2)丁寧さを込めたり社交上の敬称としてつかう、の2通りがあるということらしいです。細かいニュアンスまでは、知りません。
たとえば、若い頃にかじったドイツ語とフランス語とでは、(1)と(2)のニュアンスがだいぶ違っていたはずです。確か、キリスト教の神に対して話しかけるさいに、どちらを用いるかも異なっていたような記憶があります。それとも、スペイン語とドイツ語とのあいだでの相違だったのか……。懸命に思い出そうとしていますが、駄目です。忘れました。
で、日本語の、
*「な・己・汝」
と
*「わ・我・吾」
とに、共通して起こっている、一人称と二人称の「混在=同居=共存」という現象が、とても不思議=おもしろいです。そういえば、
*「てまえ・手前」
も、同じようなつかい方ができますね。たった今、辞典で確かめてみましたが、やはり、そうした用法が記述されています。ひょっとしてと思い、ついでに、
*「おまえ・御前」
も調べてみましたが、こっちのほうには一人称の語義が記載されていませんでした。ついでのついでに、
*「てめえ・手前」
も調べてみます。こっちは「てまえ・手前」と激似。一人称と二人称の語義が、併記されています。
不思議な感じがします。考えていると、わくわくしてきます。
*自分と目の前にいる相手を同じ言葉で指す
のですから、不思議です。とはいっても、その曖昧さが分からないわけではありません。よーく、考えると、
*不思議さが後退していき、曖昧さのほうに近しさ=親しさを感じる
ようになります。(「なわ=わな」より引用)
長々と引用して申し訳ありません。
要するに、日本語の「な」と「わ」に、「私、僕」と「あなた、きみ」の両方の意味があるという事実。babyに「(子どもだった)僕」と「(僕を振った)きみ」の意味の両方の意味をかけているのではないかという妄想。その事実と妄想が、私の中で渦を巻いているということです。
きみはいつまでも僕のもの。きみと僕は一心同体。きみと僕は同じ。僕の中にきみがいる。きみの中に僕がいる――。
*
ベイビー、ベイビー。
とにかく、ライクがあることを知らなかった私は、ある意味ライクおじさんだったというわけなのです。ブーメラン、ブーメラン。
<ブーメランストリート> 1977・西城秀樹の20枚目のシングル
<ブーメランストレート> 1992・西城秀樹の68枚目のシングル
「ベイビー、ベイビー、ベイビー、オウオウオウ、なんて健気ですね。自分を振った女の子を思って連呼しているとは……。一途だったのでしょうか」なんて、言うところでした。もし、誰かがカラオケで歌っているのを聞いたとしたら。
*
私は障害者手帳を持つ中途難聴者なので、YouTubeはおもに字幕のあるものを視聴します。歌の動画なら歌詞の付いているものを選びます。それで気がついたのですが、洋楽では同じ曲の歌詞は必ずしも一定ではなく、ときどきばらつきが見られます。
洋楽には歌詞が付いていなくて、輸入して日本国内でレコードを販売する業者が付けていた。そんな話を昔聞いたことがあります。いまはどうか、知りませんけど。それで思い出しましたが、業者がある意味不明のロックの歌の歌詞を英国人と米国人の二人に別々に作ってもらったところ、丸っきり違ったものが出来てきたと聞いたこともありました。さもありなん。
日本語を母語とする私たちだって、日本語の歌の歌詞が聞き取れないことはありますよね。誰かがカラオケで歌っていて、ディスプレーに映った歌詞を見て、初めてその歌詞なり意味が分かったという話も見聞きします。
Boz Scaggs の We're All Aone が大好きなので、歌詞を見ていたのですが、ささやくような口調になる箇所(ここがまたいいのです)で、歌詞がまちまちなので面食らいました。
0:41あたりの Close your eyes and dream。
0:41あたりの Close your eyes ami 。辞書によると、ami はフランス語で男友達。あらっ……。
0:41あたりの Close your eyes amie 。辞書によると、ami はフランス語で女友達(女の恋人)。
0:41あたりの Close your eyes on me 。まあ。
あと、Close your eyes Amy と、エイミーさんに話しかけているものもありました。「目を閉じなよ、エイミー」ということですね、なるほど。
ま、いい曲なので、細かいところは気にしません。別にはっきりさせなくてもいいと私は思います。
*
話を戻します。
音だけで覚えている外国語の言葉。
言葉は音だけ。
言葉は意味不明。
文字を見てびっくり。
音だけで覚えている外国語の言葉。
言葉は音だけ。
ぜんぶが聞こえているわけではない。
歌詞を見てびっくり。
言葉は〇△■X。
言葉は%&@#。
言葉は魔法。
英語以外の外国語でも、音だけで覚えている歌や言葉があったりします。その意味を教わるとびっくりすることもありますね。さっきのオー シャンゼリゼー オー シャンゼリゼーみたいに。
あれは、その言葉が音だからです。音だけでしか知らない言葉。音だけ。節のついた音。旋律、つまりメロディーみたいなもの。そんな言葉があります。言葉がそういうふうになることがあります。
よく考えると不思議ですね。よく考えなくても不思議ですね。
言葉は音楽。
言葉は音/声。
言葉は歌。
言葉は旋律。
言葉は魔法。
意味のあまりよく分からない歌。
でも、ちゃんと歌える。
聞いて覚えているだけの外国語。
スペリングなんて知らないけど、覚えているし、口に出して言える。
言葉は魔法。
言葉は音/声。
言葉は旋律。
言葉は歌。
言葉は音楽。
*
「歌えるけど意味は分からない」、「聞こえているけど理解して聴いていない」、「読めるには読めるのだけど意味があいまいだ」という感覚。
こういうことは別に特別な体験ではありません。誰もが経験してきたし、いまも日々経験しているのです。
子どものころに、次のような経験をしたことがありませんか?
夜、床につく。目がさえて眠れない。近くで、あるいは、隣室から大人たちの声が聞こえてくる。耳をそばだてると、話の内容がはっきりと分かる。
誰かの噂話をしている――。その誰かは、知っている人だ。へえー、あの人、そんなことやっているんだ。あんな顔をして。ふーん。えーっ、すごい。
そのうち、眠気が訪れる。噂話には興味があるけれど、どうでもよくなってくる。
聞いている。聞こえている。聞いている。聞こえている。
そのうちに聞こえてくるのが、言葉ではなく、音、音楽、旋律のように感じられてくる。そして意識が薄れる。眠りに入る。
そうしたことが、ありませんでしたか? 今でも、同様の経験ができるはずです。
音、音楽、旋律のように聞こえる言葉――。
「意味が分からなくなってきた。でも聞こえる」は歌に似ています。歌を歌う時に、人は意味が分からなくなっていることはよくあります。カラオケなんかで、あるいは合唱なんかで、意味が不明になっている状態を経験したことはありませんか。
ある日、ある歌の、ある歌詞の、ある部分の、ある言葉の意味が、とつぜん分かることがある。
それでいいのです。歌だけではなくて、小説でも、昔話でも、童話でも、昔おばあちゃんから聞いた話でも、誰かに聞いた話でも、覚えていないけどどこかで見聞きした言葉でも、いつだったかテレビドラマか映画の中で見たり聞いた言葉の意味が、とつぜん分かることがある。
それでいいのです。よくある話です。誰でもが経験することなのです。それが生きているということなのです。
聞こえているけど理解して聴いていない。音だけの言葉。音に節をつけたように聞こえる言葉。音楽や旋律ような言葉。
言葉はお寺で聞く読経の声。
言葉は裁判での答弁書の朗読。
言葉は保育園や幼稚園でのお歌。
言葉は校長先生のわけの分からないお話。
言葉は教室で緊張しながら音読する国語の教科書の文章。
言葉は役人の書いた答弁書を国会でだらだらと読みあげる大臣の声。
言葉は魔法。
*
ただ歌っているだけ。でもちゃんと間違えないで歌っている。そんな歌があるって幸せではないでしょうか。苦しい時にも、悲しい時にも、うれしい時にも、口から出てくる歌がある幸せ。覚えている言葉がある幸せ。死ぬ間際でも、その歌や言葉を口ずさむことが可能なのです。意味を考える必要はないのです。
言葉は音。
言葉は声。
言葉は音声。
言葉は意味を失う。
もともと音や声に意味などない。
ただ音があるだけ。
ただ音の流れがあるだけ。
ただ流れがあるだけ。
言葉は音楽。
言葉は音/声。
言葉は歌。
言葉は旋律。
言葉は魔法。
*
歌詞も言葉の意味も知りません。分かりません。
でも綺麗です。美しいです。
天から降りてくるような声。
音と声が体に染み入るようです。
声や音は水や空気と同じく抽象ではなく物だと感じます。
言葉は音/声。
言葉は魔法。
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