言葉は六角形 <言葉は魔法・017>
星野廉
2020/12/29 08:14
言葉は六角形。
言葉は五感+α。
言葉は視覚、言葉は聴覚、言葉は触覚、言葉は味覚、言葉は嗅覚、言葉はX覚。
【※第六感みたいなものを、ここではとりあえずX覚(エックス覚)と呼んでおきます。】
視覚
/ \
聴覚 触覚
│ │
味覚 嗅覚
\ /
X覚
言葉は魔法。
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言葉や言語というと、たいていは文字言語と音声言語(聴覚を利用する言語)を思い浮かべるし、その二つが前提となって話が進むのはある程度仕方ないことですが、視覚を利用した言語として、文字言語の他にボディーランゲージ(身振り言語・身体言語)があることを忘れてはなりません。
さらに指摘しておきたいのは、手話(←リンクあり)が視覚言語であることです。手話については、私がここで述べるには話がきわめて大きいうえに専門知識も要するので、上のウィキペディアのリンクと動画を紹介するだけにとどめておきます。
↓ しよりすさんの以下の動画は短いながら、手話がどういうものかが分かりやすくまとめてあるので、ぜひ視聴してみてください。
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視覚と聴覚を利用する言葉に加えて、触覚を利用する言葉がありますね。もしあなたが闇と静寂の中にいるとすれば、何を頼りにしますか。アイマスクをして耳栓をした状態で、あなたがいまいる場所にいるとすれば、何を頼りにして、時刻、いまあなたが必要としている物のある場所、まわりの状態や状況、今日の出来事、行政や政府の広報、あなたに届いたメールや郵便物の内容、あるいは危険――こうしたものを知ったり察知しますか?
他者に対して想像力を働かせることは大切なことです。でも、想像するのには限界がありますね。以下の三本の動画をご覧ください。
百聞は一見に如かずと言いますが、聞いても見ても分からないものがあるにちがいありません。また実際に触れてみないことには、あるいは自分が五感を動員して体験してみないことには分からないこともあると思います。それだけ努力しても分からないこともきっとあるでしょう。大切なことは、分かろうとする気持ちを持ち続けることではないでしょうか。偉そうなことを書いて申し訳ありません。
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触れる。触れられる。
「触れる/触れられる」ということについて、ちょっと考えてみませんか。想像力を働かせてみませんか。
母親の胎内から出て「生まれた」赤ちゃんは、まず誰かに抱かれますね。触られ、触れるのです。「触れる/触れられる」は同時に起こります。それが初めての外界での触れ合いであり、交流なのです。人という漢字の形どおりのことが起こっているわけですね。
赤ちゃんは、声を上げますよね。くしゃくしゃの顔をしかめますよね。それは「与えている」のです。それを見た抱いている人は、「何かをもらって」微笑むのです。そしてさらに「抱きしめる」のです。ここには何かのやり取りがあります。その「何か」を言葉と呼んでいいのではないでしょうか。それを言葉とか言語とか記号とか表象とか、難しい言葉に置き換えることは本当はしなくていいことなのかもしれません。でも、それをするがヒトだと言えそうです。
だから、あえて、とりあえず、言葉をつづりましょう。ヒトらしく。
触れるという行為で、人と人が、そして人と事物(世界と言ってもいいでしょう)の間に交流が生まれるとすれば、触れることと触れられることは言葉を使うことだと言えるのではないでしょうか。
言葉は「何か」のやりとり。
言葉は触れ合い。
言葉は「人」という文字の形。
言葉は交流。
言葉は絆。
言葉は魔法。
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触れるアート。
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触れることの不思議。
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話す言葉、歌う言葉、叫ぶ言葉、聞く言葉、書く言葉、読む言葉、見る言葉、触る言葉、皮膚で感じる言葉、嗅ぐ言葉、舌で味わう言葉、感じる言葉、言葉にならない言葉みたいなもの、言葉とは呼ばれていない言葉みたいなもの……。
きっと言葉はもっとある。
知られていない言葉、気づいていない言葉、分かる分からないでは分からない言葉、きっとそんな言葉がある。
想像してみよう。
想像して限界を感じたら、動いてみよう、頭だけじゃなくて体に「聞いて」みよう、体の「声」に耳を傾けてみよう。。
言葉は六角形。いや、言葉はきっと多角形。
言葉は魔法。
言葉は魔法だから。
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目で見る、においを嗅ぐ、舌で味わう、口や喉の粘膜で感じる、胃に落ちていく液体の動きを感じる。
ソムリエ(原語のフランス語のように女性だとソムリエールと言う場合がありますね)はもともとワインを対象とする専門家ですが、ワイン以外のものを評する人についても言うようになりました。スイーツのソムリエみたいに。テレビでソムリエがワインを味見している場面を見たことがありますが、結局は言葉で表現する点に興味を引かれました。考えると当たり前ですね。食レポと同じです。まだ味を伝えるテレビやソフトやアプリは開発されていないみたいです。言葉で評するしかないわけです。
↓ この動画はすごいです。すごすぎ~。感動しました。笑いもしましたけど。
ソムリエは言葉の魔術師でなければならないのかもしれない。しょせん、言葉で味と美味しさを伝えるのだから。
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味覚言語というのは見聞きすることのない言葉ですね。でもあってもいい気がします。味覚を言語化するという言い方はよく見聞きします。「言語化する」というのは便利な表現だと思います。好きではありませんけど。個人的には「言葉にする」のほうがしっくりきます。
漢語系の言葉は偉そうというか、それを使うと偉くなったような錯覚に誘う気がします。そういう言葉を使う時にはたいてい得意になってのぼせていますから冷静な判断ができません。酔っ払っているのと似ています。たとえば、いまはやりの承認欲求なんかがそうですね。あれは自分はおならをしませんと言っているのと似ていて、自分を棚に上げる言い方ですから、使うと偉くなった気分に陥ります。まわりをご覧になるとよくお分かりになるでしょう。ちなみに、うんちもおならもおしっこもしないのはアイドルだけです。
おいら、承認欲求って難しい言葉を使えるんだど、どや、と承認欲求全開。ブーメラン、ブーメラン。
こう書く私も、ブーメラン、ブーメラン。
悪態と自虐はそこまでにして、
言葉は料理。
言葉は食レポ。
言葉はソムリエ。
食べたものを言葉にする芸を競うのが食レポですね。レポートなさる方々は大変でしょうね。個性が勝負です。かと言って奇抜なことは言えません。嘘っぽくなるからです。ほどよく決まり文句で決めるのがコツみたいです。あと、ほどよく紋切り型の身振りや手振りや顔芸や目玉の回し方をする。そうすることで、視聴者は安心するわけです。やり過ぎない、言い過ぎないというのは案外難しいです。
美味しい、うまい、まいうー、おいC、おいひー(歯を浮かすのが発音のポイントですね)、うめー、言葉が出ねー(出してるじゃねーか)、おいしゅうございます。
最後は言葉で決めます。こうした言葉を口にする時の、顔芸(一種の身振り言語です)も大切なことは言うまでもありませんが。
そう考えると、話し言葉と書き言葉の優位は揺るがないという印象を持ちます。何でも評論家や批評家や鑑定士などは、最終的には言葉でその対象の状態を伝えるという仕組みができあがっている。その仕組みはちょっとやそっとでは動かせないのです。
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食べると飲む行為は、舌で味わうだけはない。全身、五感、そしておそらく霊感まで動員しておこなう行為なのかもしれない。食は人間存在の根底だから。
↓ 彦摩呂さんの食レポは職人芸と言えそうです。そのふくよかなお体を大切になさってください。それだけが心配です。
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嗅ぐ。
におい、嗅ぐ、嗅覚、恐るべし。
同じ香水でもいろいろな匂いがする。
↓ 私、このMr.シャチホコって芸人さんが好きなんです。あんまり押しつけてこないところが。だから推しちゃうのかもしれません。
においは言葉。それだけではなく、においは愛かもしれない。いや、においは愛。
※ ↓ タイトルを見て苦手な方はスルーなさることをお勧めします。
調香師というお仕事があるそうです。奥が深いのでしょうね。
面白そうな映画ですね。
パリの調香師 しあわせの香りを探して | ル・シネマ | Bunkamura
Bunkamura ル・シネマ「パリの調香師 しあわせの香りを探して」の上映詳細情報。上映スケジュール、上映時間、料金、チ
www.bunkamura.co.jp
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話す言葉、歌う言葉、叫ぶ言葉、聞く言葉、書く言葉、読む言葉、見る言葉、触る言葉、皮膚で感じる言葉、嗅ぐ言葉、舌で味わう言葉、感じる言葉、言葉にならない言葉みたいなもの、言葉とは呼ばれていない言葉みたいなもの……。
きっと言葉はもっとある。知られていない言葉、気づいていない言葉、分かる分からないでは分からない言葉、きっとそんな言葉がある。想像してみよう。
言葉は魔法。
言葉は魔法だから。
まずは五感を磨くことから始めよう。
とくに話し言葉と書き言葉以外の言葉を体で味わおう。
それも言葉。
まだあるはず。
言葉は六角形。
言葉は五感+α。
言葉は視覚、言葉は聴覚、言葉は触覚、言葉は味覚、言葉は嗅覚、言葉はX覚。
【※第六感みたいなものを、ここではとりあえずX覚(エックス覚)と呼んでおきます。】
言葉は魔法。
言葉は魔法だから。
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