見えない言葉 <言葉は魔法・021>
星野廉
2021/01/11 08:02
言葉がそこにあるのに見えない。読んだ後でそれがどうだったかを覚えていないどころか、それがそこにあった記憶さえない。まったくない。もし、そんなことがあるとすれば、その言葉はかわいそうですよね。
言葉は「透明人間」。
言葉は刺身のつま。
言葉は魔法。
*
上 先生と私
一
私わたくしはその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚はばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執とっても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字かしらもじなどはとても使う気にならない。(後略)
(夏目漱石『こころ』上・青空文庫)
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「ねえねえ、あの小説って敬体で書かれていた?」
「えっ、いきなりそんなことを聞かれても覚えていないよ」
「じゃあ、センテンスは長めだった? それとも短いセンテンスが畳みかかるような文体だったか、覚えている?」
「そんなこと、覚えているわけないじゃん。だいいち、文体って何? 変なこと聞かないでよ、こっちは忙しいんだから」
「あの小説ってやたらと漢字が多くなかった? それも普通だったら片仮名で書くところを、檸檬とか表記してあったし、フランスが仏蘭西だったりしたし、停車場にステーションとかルビが振ってあったりしてさ。私、ああいう書き方が好きなんだ。お洒落じゃない? 耽美的な作風にぴったりの表記と文体というのかな」
「もう、いい加減にしてくれる? 私はそんな細かいことに気を遣っている暇はないの!」
「あの小説のフォントって明朝体じゃなくて丸ゴチックだったじゃない? 擬古文みたいな表記と洒落た活字の印象の落差が、独特の世界を醸しだしていて……。ねえ、どこへ行くの? ちょっと、勘定書が……。私、おごるなんて言ってないよ」
*
「よかったね。宿題が提出できて。ねえねえ、ちょっと確認させて。その小説って「です・ます調」で書かれていた?」
「何だよ、急に。知るか、そんなこと」
「そう言うと思った。ちゃんと読んで読書感想文を書いて提出したんでしょ?」
「まあ……、読んだというか……。本の後ろにある解説とかにちょっといじったり。ネットで検索したり」
「やっぱりね。まさか、読書メーターの感想を写したんじゃないでしょうね」
「えっ、……」
「あの小説はね、上と中が「だ・である調」、下が「です・ます調」でしょ? 下は手紙の形式だから」
「ふーん」
「ちょっと、聞いてるの? 目の前で漫画を読むのはやめてくれる?」
*
下 先生と遺書
一
「……私わたくしはこの夏あなたから二、三度手紙を受け取りました。東京で相当の地位を得たいから宜よろしく頼むと書いてあったのは、たしか二度目に手に入いったものと記憶しています。私はそれを読んだ時何なんとかしたいと思ったのです。少なくとも返事を上げなければ済まんとは考えたのです。しかし自白すると、私はあなたの依頼に対して、まるで努力をしなかったのです。ご承知の通り、交際区域の狭いというよりも、世の中にたった一人で暮しているといった方が適切なくらいの私には、そういう努力をあえてする余地が全くないのです。しかしそれは問題ではありません。(後略)
(夏目漱石『こころ』下・青空文庫)
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言葉は「透明人間」。
言葉は黒子(くろご)。
言葉は縁の下の力持ち。
言葉は裏方。
言葉は脇役。
言葉は時として目につかないことがある。
そこにあったことすら、無視される。
普段は気にされることがないのにちゃんとそこにある言葉。
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文体。敬体(です・ます調)か常体(だ・である調)か。フォント。レイアウト。改行の仕方。センテンスの長さやバランス。約物(広い意味で約物は文字であり言葉だと思います)、つまり「 」や( )や……や、や。や?のなどの使用されている箇所とその頻度。漢字かひらがなかカタカタか。部分的にであれ全体的にであれ、方言が使われているかいないか。改行が多かったか、少なかったか。そうしたことは、文章の中に具体的に現われているのに無視されるが多い。きわめて多い。
もちろん、きわだつ文体もある。恐ろしいくらいに。
先生、わたし今日はすっかり聞いてもらうつもりで伺いましたのんですけど、折角せっかくお仕事中のとこかまいませんですやろか? それはそれは詳しいに申し上げますと実に長いのんで、ほんまにわたし、せめてもう少し自由に筆動きましたら、自分でこの事何から何まで書き留めて、小説のような風にまとめて、先生に見てもらおうか思おもたりしましたのんですが、……実はこないだ中ひょっと書き出して見ましたのんですが、何しろ事件があんまりこんがらがってて、どういう風に何処どこから筆着けてええやら、とてもわたしなんぞには見当つけしません。
(谷崎潤一郎『卍』・青空文庫)
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十六日。………夜新宿ノ第一劇場夜ノ部ヲ見ニ行ク。出シ物ハ「恩讐の彼方へ」「彦市ばなし」「助六曲輪菊すけろくくるわのもゝよぐさ」デアルガ他ノモノハ見ズ、助六ダケガ目的デアル。勘弥ノ助六デハ物足リナイガ、訥升ガ揚巻ヲスルト云ウノデ、ソレガドンナニ美シイカト思イ、助六ヨリモ揚巻ノ方ニ惹カレタノデアル。婆サント颯子ト同伴。浄吉モ会社カラ直接駆ケツケル。助六ノ芝居ヲ知ッテイルノハ予ト婆サンダケ。颯子ハ知ラナイ。婆サンモ団十郎ノハ見タコトガアルカモ知レナイガ、記憶ガナイ。先々代ノ羽左衛門ノハ一度カ二度見タト云ウ。団十郎ノヲハッキリト見テイルノハ予一人デアル。アレハ明治三十年前後、十三四ノ頃ダッタト思ウ。
(谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』・青空文庫)
文体や形式を次々に変えて小説を書いた作家がいる。
谷崎、恐るべし。
谷崎潤一郎は言葉の魔術師。
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ストーリーは覚えている。どんな話だったかは、要約して何とか説明できる。主人公とその恋人の名前はたまたま覚えているけど、どんな漢字だったかまでは覚えていない。他の登場人物の名前は覚えていない。場所がどこだったかは言えるけど、いつの時代だったかは書いてあったのかどうか、その記憶もない。
――翻訳は駄目。カタカナで書いてあると覚えられないんだ。だから翻訳の小説は無理かな。ロシア文学? とてもじゃないけど無理無理。元カレが文学少年で、トルストイの『罪と罰』だっけ?(←※間違いです) あの分厚い文庫に、たくさんいる登場人物の名前と説明を書いたメモを挟んで読んでいた。いま思うと、あの人と別れたのは正解だった。趣味が合わなすぎ~。
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あさ、眼をさますときの気持は、面白い。かくれんぼのとき、押入れの真っ暗い中に、じっと、しゃがんで隠れていて、突然、でこちゃんに、がらっと襖ふすまをあけられ、日の光がどっと来て、でこちゃんに、「見つけた!」と大声で言われて、まぶしさ、それから、へんな間の悪さ、それから、胸がどきどきして、着物のまえを合せたりして、ちょっと、てれくさく、押入れから出て来て、急にむかむか腹立たしく、あの感じ、いや、ちがう、あの感じでもない、なんだか、もっとやりきれない。箱をあけると、その中に、また小さい箱があって、その小さい箱をあけると、またその中に、もっと小さい箱があって、そいつをあけると、また、また、小さい箱があって、その小さい箱をあけると、また箱があって、そうして、七つも、八つも、あけていって、とうとうおしまいに、さいころくらいの小さい箱が出て来て、そいつをそっとあけてみて、何もない、からっぽ、あの感じ、少し近い。パチッと眼がさめるなんて、あれは嘘だ。濁って濁って、そのうちに、だんだん澱粉でんぷんが下に沈み、少しずつ上澄うわずみが出来て、やっと疲れて眼がさめる。朝は、なんだか、しらじらしい。悲しいことが、たくさんたくさん胸に浮かんで、やりきれない。いやだ。いやだ。
(太宰治『女生徒』・青空文庫)
文体や形式を頻繁に変えて小説を書いた作家がいる。
太宰、恐るべし。
太宰治は言葉の魔術師。
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文体を味わおう。
自分が書く時に、改行やレイアウトや約物にもっと気を配れば、書くことも楽しくなるのではないか。
思い切って、たまには文体を変えてみよう。敬体か常体かで始めるのもいいかも。
文体模写を小規模にやってみるのもいいかも。
自分の故郷の方言で書いてみるとか。
太宰治みたいに、女生徒(女子高生でもいい)になったつもりで書いてみると新しい世界が開けるかもしれない。病みつきになって、次は小学生の女の子になってみるとか?
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小説だけではなく、エッセイでも、読書感想文でも、音楽についての文章でも、学術論文でも、基本は変わりません。内容が重視されて、書き方(書かれ方)が無視される傾向があるのは事実です。文章は透明であるべきだと考える人には、さくさく読める文章が理想になるでしょう。読んでいて立ち止らなければならないような文章は、NGだということですね。それはそれでいいと思います。人それぞれ。
一方で、自分だけのユニークな味の文章を目指す人もいます。そういう人は文体という言葉を好んでつかうでしょうし、文体について深く考えているはずです。「、」や「。」の打ち方や、漢字にするかしないかにこだわる。「です・ます調」にするか、「だ・である調」にするかで、迷う。時には、文体を変えてみる。語尾が単調にならない努力をする。読みやすいようにセンテンスの長さを工夫する。日々の執筆で、そうした試行錯誤を重ねているはずです。
どっちがいいかの問題ではないと思います。人それぞれ。自分の好きなように書けばいいのです。自信がなければ、他人の意見に耳を傾けましょう。見よう見まねでいいのです。ネットで書くなら、とくにそうです。好きな文章を真似ましょう。技を盗みましょう。ほら、作文じゃなくて、借文だってよく言うじゃないですか。
自分の文体を目指そうと、透明な文章を目指そうと、結局は工夫せざるを得ないみたいですね。
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言葉が「透明人間」ではなく、前面に出てくる感じ。
言葉のざらざらとか滑らかさとかごつごつ感とかが感じられるようになれば、しめたもの。
これって、言葉のフェティズムなのです。言葉が刺身のつまではなく、言葉自体が美味しいメインディッシュに見えてくるという感じと言えばお分かりになるでしょうか。
言葉は料理。
言葉は調理。
言葉は仕込み。
料理のつもりで、素材の吟味や味付けや茹で方、焼き方、和え方、混ぜ具合……といったあんばいに、工夫しながら文章をつくるのです。書くと言うよりも「つくる」のです。「こしらえる」のです。
ああ、美味しかったと言ってもられることをあまり期待してはいけません。ほら、料理をつくるのは時間がかかりますね。苦労しますね。工夫しますね。でも、食べる人はそんなことを気に留めないでぺろりと食べちゃうじゃないですか。それでいいのです。どんなに大変だったかなんて相手に語る必要はなし。食べてもらえる、つまり読んでもらえるだけで御の字。面白かったの一言がもらえれば、万歳。スキをもられば、それで良し。
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言葉が前面に出すぎて全面になることもあります。ソムリエや食レポは、目立たない言葉を使ってはいけません。目立ちまくる必要があります。その場にはない、ワインや料理の味を伝えるには言葉しかないのですから。言葉の魔術師でなければなりません。
詩と同じですね。ストーリーに還元することも、要約することもできない。存在感を持つ言葉は、詩と言えるでしょう。
以下の動画は、ワインの味なんか、そっちのけで、聞いた言葉だけが印象に残ってしまう。味の濃い言葉の例です。
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絵を描く人は、他人の絵を見る時に、その筆遣いとか、構図とか、色の塗り方とか気になりますね。映画を作った経験のある人は、映画を見て、細かい制作上のさまざまな点に目が行くでしょう。音楽を作る人も、他の人の曲を聞いて思うところや言いたいことは多々あるはず。スポーツでも、演劇でも、写真でも、同じです。
それが「つくる」とか「クリエイトする」こと。「つくる」は「鑑賞する」と同義と言ってもいいくらい。
だから、言葉は透明ではあり得ないのです。そう感じるとすれば、その人の側に問題があると言えそうです。
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言葉(書き言葉だけでなく、話し言葉、映像、音楽、料理なども広い意味での言葉です、「言葉は六角形 <言葉は魔法・017>」)を見えるものにする方法は、自分が「つくる」こと。
「つくる」ことによって、言葉が見えるようになる。
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音は「つくる」のですね。音を作る人にとって、音は透明ではあり得ないということではないでしょうか。私は音楽についてはずぶの素人ですが、そんな感想をいだいています。
アーティストの「つくる」の秘密を探る人も出てくるみたいです。そういう人は、まさに他者の「つくる」音をダイレクトに受け止めているのですから、その人にとっても透明ではあり得ないのでは? なお、以下の動画を投稿した人は、Owl City 以外のアーティストについても同様の動画を「つくっている」みたいです。
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『火垂るの墓』
蛍でもなく螢でもなくホタルでもなくfirelyでもなくほたるでもない。
野坂昭如作の小説『火垂るの墓』では、「蛍」という表記が何度も出てきますが、タイトルは「火垂る」です。作品を読むとなぜ「火垂る」なのかが痛いほど分かります。それを知ることが、ある意味でつらい体験になるのです。
タイトルが見えない言葉になることもよくあります。明らかにそこにある言葉なのになぜか見落とされたり、何らかの配慮(政治的なものが多いです)や忖度から言及されないという可能性もおおいに考えられます。
野坂昭如 『アメリカひじき・火垂るの墓』 | 新潮社
中年男の意識の底によどむ進駐軍コンプレックスをえぐる「アメリカひじき」など、著者の“焼跡闇市派”作家としての原点を示す6編
www.shinchosha.co.jp
アニメの『火垂るの墓』についても、さまざまな受け取られ方がなされてきました。ウィキペディアの解説「火垂るの墓」をお読みください。以下のウェブサイトも興味深いです。
「火垂るの墓」 ジブリで最も暗い作品が今も持つ重要性 - BBCニュース
日本アニメ界の巨人スタジオジブリは、30年前に発表した、第2次世界大戦時を舞台にした「火垂るの墓」は、今も強く心に響くメッ
www.bbc.com
映画『火垂るの墓』はなにを伝えようとしていたのか?ラストシーンの意味は?【ネタバレ考察】 | FILMAGA(フィルマガ)
戦争をテーマにしたスタジオジブリの名作映画『火垂るの墓』。公開から約30年が経った現在でも、観た人の心を揺さぶる本作のあら
filmaga.filmarks.com
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言葉は「透明人間」。
言葉は黒子(くろご)。
言葉は縁の下の力持ち。
言葉は裏方。
言葉は脇役。
言葉は時として目につかないことがある。
そこにあったことすら、無視される。
普段は気にされることがないのにちゃんとそこにある言葉。
言葉(書き言葉だけでなく、話し言葉、映像、音楽、料理なども広い意味での言葉です、「言葉は六角形 <言葉は魔法・017>」)を見えるものにする方法は、自分が「つくる」こと。
「つくる」ことによって、言葉が見えるようになる。
言葉は魔法。
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作詞は、野坂昭如です。
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