言葉に込めるもの <言葉は魔法・024>
星野廉
2021/02/02 07:58
クイズです。次に挙げる言葉は、何でしょう?
波止場、コルト45、慕情、にがい米、天国と地獄、探偵物語、凱旋門、落ちた偶像、昼下がりの情事、アメリカの悲劇、ガラスの城。
*
そうです。映画のタイトルです。しかも、全部が洋画です。第二次世界大戦後の十年間ほどに、この国でヒットした映画ばかりです。
もう一つ、クイズを出します。以上の洋画の邦題に共通する点がありますが、何でしょう? さらに、例を追加します。
カサブランカ、心の旅路、ガス燈、断崖、ブルックリン横丁、美女と野獣、旅路の果て、大いなる幻影、甦える熱球、仔鹿物語、自転車泥棒、無防備都市、ヨーク軍曹、虹を摑む男、女相続人、黄色いリボン、アニーよ銃をとれ、わが谷は緑なりき、紀元前百万年、バンビ、サンセット大通り。
どれもが大当たりした、つまり興行成績のよかった映画ばかりですね。なんて、偉そうなことを書いていますが、どれもが自分の生まれる前に製作されたものです。名前だけで知っているだけか、見たとしてもテレビかレンタルビデオで見たものです。で、答えですが、発音すると分かります。もう少し、例を挙げます。声に出して呼んでみてください。
*
邪魔者は殺せ、疑惑の影、風と共に去りぬ、殺人狂時代、欲望という名の列車、天井桟敷の人々、第三の男、地球最後の日、雨に歌えば、禁じられた遊び、見知らぬ乗客、地上最大のショウ、ローマの休日、帰らざる河、エデンの東、暴力教室、必死の逃亡者、傷だらけの栄光。
そうです。共通点は、発音すると、どこかに「濁点」が入るということです。なお、カサブランカみたいに、原題をそのまま邦題にしただけで濁点が入るものは、なるべく除きました。
でも、どうしてなんでしょう? これは、かなり前に、何かで読んだか、聞いたことなのですが、当時映画を輸入して配給していた会社が、原題を邦題に直すときに、
*縁起をかついだ、つまり邦題に濁点の字を混ぜれば当たると信じた
というのです(※この記憶は正しくなく、「カサブランカ」みたいに全部がカタカナの邦題の話だったかもしれません、間違っていたらごめんなさい)。なぜ「 " 」、つまり、濁点を邦題に入れると縁起が良くて、興行成績が良くなるという「神話・伝説」が生まれたのかは知りません。
人は名前に祈りや願いをこめる。
人は言葉に祈りや願いをこめる。
名前、あるいは言葉には、パワーがある。
そう人は信じるから。
言葉は魔法だから。
*
映画の名前を付けるのに縁起を担ぐとか験を担ぐという話ですが、「薔薇の名前」という映画を思い出します。このタイトルにも濁音が入っていますね。でも、これは元々小説の名前なのです。
じつはこの映画には思い出があります。私としては珍しく劇場で観たのです。閉所恐怖症気味の私は、映画館で観た映画が極端に少ないのです。そもそも集中力を持続させることが苦手な私は、映画自体を観ることはあまりありません。テレビで放映する映画を録画するにしても、レンタルで観るにしても、途中で飽きてしまうのが落ちなのです。
映画「薔薇の名前」ですが、残念ながらよく覚えていません。ウィキペディアの解説によると日本での公開は1987年12月11日とありますが、当時東京に住んでいた私は、この映画のロードショーに行ったのです。
何しろ、公開前からすごい宣伝をしていました。新聞や雑誌でも、名作だの、原作がかのウンベルト・エーコの小説『薔薇の名前』だの、息を飲むほど美しいだの、舞台となる中世修道院の再現が忠実極まるなど、演技がいいだの、ありとあらゆる賛辞が飛び交っていて、ついつい観に行ってしまったのです。
それにもかかわらず、映画に感動したという記憶も、内容についての記憶もほぼゼロに等しいのは、私には映画を観る目がないからだろうと思います。何しろ、映画自体をほとんど観ないのに映画評や映画批評はよく読むという人間なのです。
いい加減ですね。映画好きの方から見れば、とんでもない不届き者であるにちがいありません。映画だけでなく、文芸作品をあまり読まないのに文芸批評はよく読むという性癖も含めて、恥をさらした記事がありますので、ご興味のある方は目を通してください。
この映画について、もう一つ思い出したことがあります。映画館で写真家の篠山紀信さんと奥さんの南沙織さんを見かけたのです。根がミーハーな私はその姿をよく覚えています。渋谷にある映画館でしたが、その上映は日本で初の一般公開だったと記憶しています。お二人が、ロビーで仲良く並んで立ち、次々とそばに寄ってくる人たちに挨拶をしたり、にこやかに立ち話をなさっている様子がいまも鮮明に目に浮かびます。映画のことはぜんぜん覚えていないのに、です。
もう一つ、思い出しました。この映画を観に行こうと言いだしたのは私で、いっしょに行ってもらった人がいたのですが、その人もこの映画を楽しめなかったらしく、映画が終わるとものすごく不機嫌になり、さっさと早足で先を歩いて行くので、「参ったなあ」と思いながらあとについていったのです。ああ、こわかった。
ところで、薔薇の名前ってどんな意味があるのでしょう。気にはなりますが、ウィキペディアの解説を読みかけて、ややこしそうなのでやめました。歴史が絡んでくるとメンタルブロックが生じて意識が遮断されるみたいです。それにウンベルト・エーコが大の苦手なのです。
名著80 ウンベルト・エーコ「薔薇の名前」
「100分 de 名著」の番組公式サイトです。誰もが一度は読みたいと思いながらも、なかなか手に取ることができない古今東西の
www.nhk.or.jp
*
薔薇の名前。
薔薇という名前。
私にとっての「薔薇の名前」は、やはりウィリアム・シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』しかないようです。これだけ名前にこだわっている戯曲は他に知りません。
モンタギュー家とキャピュレット家。家の名前に翻弄される男女の悲劇。
有名なバルコニーでのシーンでは、ジュリットが次のように言って嘆きます。
What's in a name? that which we call a rose
By any other name would smell as sweet.
("Romeo and Juliet" by William Shakespeare)
名前なんて空っぽの器じゃない? 私たちが薔薇と呼ぶものは、
他のどんな名前で呼んでも、同じようにいい香りがする。
(空蝉訳 ウィリアム・シェイクスピア作『ロミオとジュリエット』より)
名前は空っぽの器。
薔薇はどんな名前で呼んでも薔薇。
それでも、人はその名前という言葉に思いや願いや祈りを託す。
なぜなら、言葉は魔法だから。
魔法は人がいて成立する。
以下の動画はバルコニーでのシーンです。動画の6:47あたりから、上で引用した英語の科白が出てきます。おそらく英語の教材なのでしょう。字幕が出るので科白を音読して楽しめます。
*
話を戻します。
いつだったか、NHKの「日本人のおなまえっ!」にミッツ・マングローブさんがゲストで出ていて、たしか芸名に濁音のある文字(音)を入れて験をかつぐみたいなお話をしていました(間違っていたら、ごめんなさい)。例として、ご自分の名前の他にマツコ・デラックスさんを挙げていたのが記憶にあります。名前をめぐっての濁音信仰とか濁音伝説ってあるのかもしれませんね。面白いです。
みなさんも、お好きな芸人さんの芸名に濁音が入っているかどうか、考えてみてください。統計を取ると面白いかもしれません。売れてる売れていないとか、不祥事歴の有無などを基準にして。
*
大切なことというか、ここで考えてみたいのは、名前は空っぽの器、つまり音であり文字でしかないのに、
*名前に祈り・願いを込める。
とか、
*名前、あるいは、言葉には、パワーがある。
と、人が信じる現象です。
*
さきほどは洋画の邦題を例に取りましたが、例外もあるわけです。
荒野の決闘、町の人気者、哀愁、赤い靴、白い恐怖、肉体の悪魔、花嫁の父、ライムライト、恐怖の報酬、理由なき反抗、王様と私、戦争と平和、誇り高き男、赤い風船、追想、やさしく愛して。
どのタイトルにも、濁音は含まれていません。でもヒットしたのです。
さて、こうした映画がヒットした以降は、洋画も邦画も下火になります。映画自体がテレビに屈する時代が、到来するわけです。
ところで、映画でも、テレビドラマでも、小説でも、歌の題名でもいいです。自分がいちばん楽しかった、苦労がなかった、単に若かった、輝いていたなあ、と現在思い出される時期に流行ったもののタイトルや名前って、懐かしいし、口にしてみると心がなごむし、不意にそのころの記憶が、ばあーっという感じでよみがえったり、思わず目が潤んできませんか。
名前よりはちょっと長いものである、流行語、標語、キャッチフレーズ、CMの文句、歌詞なんていうものも、いいですね。
そういう言葉には記憶の断片を放出する、あるいは発する「不思議な力」がこもっているという気がします。よく、
*「話す」は「はなす・放す・放つ・離す」
と言いますが、そうした大和言葉にそなわった不思議な「つながり」にはパワーがあるような気がしてなりません。
名前はタイムカプセル。
言葉はタイムカプセル。
名前は力を放つ。
名前は力。
言葉は力を放つ。
言葉は力。
人はその力をもらう。いただく。
言葉は魔法。
*
余談ですが、
言葉には知覚器官や皮膚だけでなく、脳、神経、そして知覚をつかさどる以外の器官や内臓に染み入ってくるような、パワーが感じられる時があります。こうなると、言葉は信号であり、人はからだの全細胞で言葉という信号を受け取るなんていう、大げさな言い方を肯定したくなります。
*
言葉の中でも名前には記憶が結びついていたり、その音や文字の形が人の体に働きかけたりするといった看過できない現象があるように思います。
たとえば、地名がそうです。
土地の名。
土地の記憶、土地の名の記憶。
土地にまつわるイメージ、土地の名にまつわるイメージ。
誰もが土地の記憶やイメージに土地の名を重ねて思い出します。
生まれた土地、生まれたが別の場所で育ったために知らないも同然の土地、一度旅行したことがある土地、まだ訪ねたことはないが行ってみたいとずっと思っている土地、好きだったあの人がいるという土地、祖先がいたと話に聞く土地――。
土地の名をめぐって文章にしたり、歌にする場合もありますね。この場合の歌には、短歌や俳句や詩も、そして楽曲も含まれます。
土地の名をうたう。
土地の名は遠い記憶を呼び覚ます。魔法の言葉。
土地の名には土地の旋律が宿っているような気がします。土地の名は一つでも、その旋律は無数にあるのではないでしょうか。
*
地名。
土地の名という音に、メロディーという音の流れを乗せる。
土地の名をとなえ、うたうことで、こころが空に舞う。
目と耳になった魂が、空を飛ぶ。
土地の名にはこころに働きかける力があるように感じられます。土地の名を口にすると、こころが軽くなり、からだがその土地にむかう準備がととのったかのような不思議な気持ちになることがあります。そんな時、こころとからだは、ここにはない気がします。うたは、わたしをどこかへ運んでいく乗り物ではないでしょうか。
故郷に帰りたい。
かつて訪ねた土地にまた行きたい。
見知らぬ土地に行きたい。
*
名前、とくに土地の名、人の名――こうした言葉の放つ光と力は強いと思います。一方で、無名の言葉や意味の不明な言葉、まるでおまじないのようにわけの分からない言葉が、それを唱えたり、節をつけて歌うことによって、心と体に何らかの作用をおよぼすことは誰もが日常的に経験しているのではないでしょうか。
マナマナといい、ケ・セラ・セラといい、南欧の言語、つまりもともとラテン語から来た言葉やおまじないのようです。その特徴として、子音と母音が交替で並ぶので語呂がいいですね。英語の中に混じるとまた独特の響きを放ちます。「あいうえお表」を見ると一目瞭然ですが、日本語でも子音と母音でセットになった音が大半を占めます。その日本語にマナマナとかケセラセラというような意味不明の子音と母音の連なりが混じると、呪術効果が増すように感じられます。
おまじない・お呪い、まじなう・呪う、のろう・呪う、のろい・呪い・いわう・祝う、いわい・祝い――。こう並べると、尋常ではない雰囲気を感じます。
のりと・祝詞とか経文をとなえる・唱える行為には何かがありそうです。
呪術、呪い・まじない、魔術・マジック・magic、マジ・magie(フランス語です、マジな話が)、まじもの・蠱物。
この符合(ふごう)、符号(ふごう)、付合(つけあい)は、只事ではない。
*
ただ歌っているだけ。でもちゃんと間違えないで歌っている。そんな歌があるって幸せではないでしょうか。苦しい時にも、悲しい時にも、うれしい時にも、口から出てくる歌がある幸せ。覚えている言葉がある幸せ。死ぬ間際でも、その歌や言葉を口ずさむことが可能なのです。意味を考える必要はないのです。
言葉は音。
言葉は声。
言葉は音声。
言葉は意味を失う。
もともと音や声に意味などない。
ただ音があるだけ。
ただ音の流れがあるだけ。
ただ流れがあるだけ。
もともと言葉は無文字だったはず。
文字は後付け。
初めに言葉があった。
初めに声があった。
言葉は音楽。
言葉は音/声。
言葉は歌。
言葉は旋律。
言葉は魔法。
声は喜び。
声は怒り。
声は悲しみ。
声は力。
力は伝わる。
声は感情。
声は破壊する。
*
声は感情。
声は信号。
声は力。
声は伝わる。
声は魔法。
*
では、まとめます。
輸入する外国映画の邦題に濁音を入れて験を担いだという説がある。
芸名に濁音を入れて縁起を担ぐ芸人もいるらしい。
人は名前に祈りや願いをこめる。
人は言葉に祈りや願いをこめる。
名前、あるいは言葉には、パワーがある。
そう人は信じるから。
人はそのパワーをもらう。いただく。
言葉は魔法だから。
*
やたらと名前にこだわる戯曲に、ウィリアム・シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』がある。モンタギュー家とキャピュレット家。家の名前に翻弄される男女の悲劇。
名前は空っぽの器。
薔薇はどんな名前で呼んでも薔薇。
それでも、人はその名前という言葉に思いや願いや祈りを託す。
一方で、名前という言葉に振りまわされるのも人。
なぜなら、言葉は魔法だから。
魔法は人がいて成立する。
*
自分がいちばん楽しかった、苦労がなかった、単に若かった、輝いていたなあ、と現在思い出される時期に流行ったもののタイトル、名前、流行語、標語、キャッチフレーズ、CMの文句、歌詞。
言葉によって記憶が呼び覚まされ体に力がみなぎることがある。
人はその力をもらう。いただく。
名前はタイムカプセル。
言葉はタイムカプセル。
*
言葉は力を放つ。
言葉は力。
言葉は全身に働きかける信号と言えるかもしれない。
人はその力をもらう。いただく。
言葉は魔法。
*
土地の名をうたう。
土地の名は遠い記憶を呼び覚ます。魔法の言葉。
地名。
土地の名という音に、メロディーという音の流れを乗せる。
土地の名をとなえ、うたうことで、こころが空に舞う。
無名の言葉や意味の不明な言葉、まるでおまじないのようにわけの分からない言葉が、それを唱えたり、節をつけて歌うことによって、心と体に何らかの作用をおよぼすこともあるらしい。
信じるのは人。もちろん信じない人もいる。人それぞれ。
魔法は人がいて成立する。
言葉は魔法。
*
言葉は音楽。
言葉は音/声。
言葉は歌。
言葉は旋律。
もともと言葉は無文字だったはず。
文字は後付け。
初めに言葉があった。
初めに声があった。
声は喜び。
声は怒り。
声は悲しみ。
声は力。
力は伝わる。
言葉は魔法。
*
声は感情。
声は信号。
声は力。
声は伝わる。
声は魔法。
声という魔法は人がいなくても成立する。
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