言葉は魔法(第1回)

2021/04/15 08:09


 言葉は魔法。

 言葉は魔法です。

 言葉は魔法でございます。

 言葉は魔法だ。

 言葉は魔法である。


        *


 こうやって並べると、それぞれずいぶん印象が違うなあと思います。


 文章を書く時には常体(だ・である調)と敬体(です・ます調)を行き来しています。私の場合には小説は独白なので常体が多く、エッセイは話しかけるので基本的に敬体になります。



 敬体で書く時と常体で書く時には違った自分を感じます。違った自分がいると言ってもかまいません。軽度の憑依(軽度を付けてもおおげさな言葉ですね)を覚えます。


 要するに、人格が変わる感じがするわけです。その人格が自分かというとそうも言い切れません。自分というのは借り物ではないかとつねづね思っています。書いていると(書いていなくても)、どこかからかやって来るのです。そして言葉が出るのを助けてくれます。うーんうーんと苦しんでいると助けてくれるのです。まるで助産婦さんみたいに。


 言葉は借り物。


        *


 着ているものを変えると気持ちが変わりますね。新しい服を身につけたとたんに違った人格になった自分を発見した。そんな経験はありませんか。文体を変えると、それに近い気分になることがあります。


 たとえば、いつもとは違った書き方を試してみるとか、語尾だけをやさしくしてみるとか、逆に硬くしてみる。ある作家、あるいはnoteで気に入った書き手の文章を真似るとか、その「声」を借りてみる。ちょっと気取ってみる。やさぐれてみる。テレビドラマのあるキャラクターになりきってみる。


 言葉は声。


 奇をてらうのもいいでしょう。受けをねらうのも勉強のひとつです。せっかくひとさまに読んでもらうのですから、楽しんでもらいましょうよ。自分も楽しみましょう。


 思い切って、嘘をつくのです(嘘を書くことこそが文章の極意だ、と誰かが言っていた記憶があります)。あえて変わったことを書いたり、誇張してみたり、嘘をついてみたり、事実を脚色するといった行為は、プロアマ関係なく誰もがやっていますね。


 言葉は嘘。


        *


 飾りや遊びのない文章は味気ないから読まれない。そう自分に言い聞かせて、このさい開き直りましょう。自分というラベルを剥がしてみるのです。自分の中にあるはずの知らない小部屋に気づいてみるのです。小部屋は一つや二つではなく、たくさんあるかもしれませんよ。その扉を開けてみましょう。


 べつに嘘つきになれと推奨しているわけではなりません。人と話す時に、自分でも思いがけない内容を口にしたり、ふだんと違った話し方になることがありませんか。いまお話ししているのは、それとも似ています。そう考えると素直な文章なんてあり得ないのかもしれない。


 他人の目を意識して書かれない文章はない。誰もが誰かに宛てて書いている。その誰かを変えてみるのです。今日は、〇〇さんに宛ててメールを書いてみよう、なんて乗りで試すのもいいかもしれません。


 言葉は手紙。


        *


 話はちょっと飛びます。


 書くことは自分ではないものに身をまかせる行為なのです。自分ではないものとは言葉にほかなりません。言葉は誰にとっても借りものであって、代々受け継がれてきた共有物です。誰にとっても、生まれた時に既にあるものです。自分から出たものではありません。


 誰もがまわりの人たちを真似ながら言葉を身につけます。生まれた時には既にある制度でありルールですから、自分ひとりでどうこうできるたぐのものでもありません。他人がいて言葉があるのです。自分が口にしたり文字にする言葉は他人との関係で揺れます。ブレます。それでいいのです。


 言葉はあなたと私の間にある揺らめき。

 言葉はブレ。

 言葉は揺らぎ。

 言葉は揺りかご。

 言葉はブランコ。

 言葉は振り子。

 言葉はぶーらぶーら。


        *


 言葉は魔法。

 言葉は魔法です。

 言葉は、魔法です。

 言葉は魔法ですね。

 言葉は魔法ですよね。

 言葉は魔法でございます。

 言葉は魔法だがね。

 言葉って、ほら魔法じゃないですか。


 どれひとつとして同じものはありません。一つひとつを書き写してみると、違う自分がいて違う相手に向けて書いているのを感じます。移りゆくプリズム(多面体)としての自分を楽しむことができます。


 言葉はプリズム。

 言葉は多面体。

 言葉はスペクトル。

 言葉は分散。

 言葉はグラデーション。

 言葉は光の帯。

 言葉は虹。

 言葉はレインボウ。

 言葉はレインボー。


 私にとって虹とレインボウとレインボーは違います。指し示すものは同じかもしれませんが、ニュアンスとか意味合いとかイメージとか語感が異なって感じられるのです。


 言葉は虹。

 言葉はにじ。

 言葉はニジ。

 言葉はレインボウ。

 言葉はレインボー。

 言葉はrainbow。

 言葉はRAINBOW。


 こんなふうに表記できる日本語はすごいです。母語が日本語でよかったと思います。


        *


 言葉は魔法。

 言葉が魔法。

 言葉はですね、魔法なんですよ。

 てか、言葉って魔法じゃね?

 言葉は魔法なのだ。

 言葉は魔法っす。

 言葉、それは魔法……。

 言葉って魔法じゃない?

 魔法なんだよ、言葉っつうのは。

 魔法さ、言葉はね。

 言葉は魔法なんだってば。


 それにしても日本語の表現の多様さはすごいと思います。たとえば英語だと、「言葉は魔法」に相当する言い方のバリエーションはずっと少ないはずです。


 Words are magic. 


 英語力のない私には、これくらいしか思いつきません。

 

 日本語でのこうしたレベルでの多様性は、相手との距離の取り方から生じているように思います。相手によって人格がころころ変わるなんて言ったら、言い過ぎでしょうか。いや、考えれば考えるほど言えている気がしてなりません。


 日本語多重人格説なんて誰かが唱えていそうな気がします。


 日本語は多重人格。

 言葉は多重人格。


 言葉を使うと何とでも言えます。人の頭の中の話だからです。


 言葉は魔法。


 ところで、言葉は魔法だというのは人間だけの話です。ワンコにもニャンコにも鳥や魚にも通じません。人がいて初めて言葉は魔法なのです。というか、魔法は人がいて成立するものなのです。その意味では、魔法は普遍的なものではないかもしれません。


 何を言いたいのかのかと申しますと、言葉は魔法と言う時の魔法は神の領域にはないということです。人のいとなみの一つであってそれ以上ではないということです。生意気なことを言って、ごめんなさい。


 そんなわけで「言葉は魔法」というこの連載には神秘的であったりスピリチュアルな話は出てこないと思います。みなさんが日常的に言葉と接している際に体験する具体的な出来事について触れるだけです。


        *


 言葉は魔法。

 言葉は魔法です。

 言葉は魔法でございます。

 言葉は魔法だ。

 言葉は魔法である。


 上の言葉の羅列を見て揺れませんか? 書き写しても楽しめますよ。もし書いているうちに、ふらっときたり、くらっとしたり、きりっとしたり、でれーっとなったり、やさしい気分になったり、おらおらという気持ちになったとしたら、何かがやって来たのです。言葉は魔法。


 その機を逃さず、あなたの中にあるテーマでさっそく書いてみませんか。嘘でもまことでも何でもかまいません。もちろん短くていいです。私にも何かがやって来たので、それに身をまかせてこれから何か書いてみます。



【※この記事は「言葉は魔法」というマガジンに収めます。】

 *ヘッダーにはメザニンさんのイラストをお借りしました。


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 私にとって愛着のある「言葉は魔法」シリーズを再び投稿することにしました。以前の連載は勢いに任せて書きなぐっていたので、加筆して投稿していこうと考えています。全面的に改稿しなければならない場合もありそうです。


 以下はかつての記事のバックアップ(一部を除いて動画やリンクは削除してあります)です。


倉庫B・文芸系

過去のブログ記事のバックアップ集

renssoko.blogspot.com

 バックアップをもとに動画とリンクを貼って、bloggerで再現しようと考えていましたが、noteでやり直すことにします。noteの画面の方がずっと綺麗ですし。


うつせみのあなたに

小説とエッセイ

utsuse.blogspot.com

 仕切り直しです。


 よろしくお願いします。






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