1/3『仮往生伝試文』そして/あるいは『批評 あるいは仮死の祭典』【前篇】

星野廉

2021/01/06 07:58


 このところと言うか、この数年間ずっと読んでいるのは、蓮實重彦の『批評 あるいは仮死の祭典』と古井由吉の『仮往生伝試文』です。最近はこの二冊ばかり読んでいると言っても言いすぎではないと思います。手にしていないときにも、この二冊のことを考えていることがあります。


 とりとめのないことを考えているのですが、今気になって仕方がないのは、たとえば「仮」です。この文字が呼び寄せてくれるさまざまな言葉やイメージをあたまのなかで追うのが心地よくてたまりません。辞書の助けを借りるとエスカレートします。走り書きしてみましょう。まとめようとはしません。あくまでもメモです。


     *


 かり、借りる、借る。

 貸し借り、rent、賃貸、賃借、貸し、貸す、化す。

 かりる・かえす・かす。

 あたえる、もらう、てにいれる、うばう、ぬすむ、もつ、いだく、ためる。

 かわり、かわる、つかう、つかえる、もちいる、やくだてる、やく、つとめ、しもべ、しも、かみ。

 借りる、借問(しゃもん)、仮借(かしゃく・かしゃ)、借家、借屋、借宅。


 仮、仮借(かしゃく・かしゃ)。

 貸、代、代理、代表、代行、代議員、代議制、代理人、代理店、代行者、agent、representative、representation、représentation。

 仮、か、け、化。

 仮、け、仮有(けう)、俗有、実有、仮諦(けたい)。


 かる、借る、狩る、猟る、駆る、刈る、苅る、枯る、涸る、嗄る、上る、離る。

 枯れる、涸れる、から、殻、空。

 仮、仮面、仮性、仮名、仮字。


 解字、白川静。

 坂部恵、『仮面の解釈学』。


 かり、仮、假、叚、おおう、ざらざら、仮面、暇、霞、葭、蝦、瑕、瑕疵、かし。

 真、偽、本、顔、素顔、真性、本性、真名、真字、本名、偽名。

 かりそめ・仮初、仮定、仮想、仮装、仮葬。


 仮死、(詐死)、(作死)、死にまね、空死に(そらしに)・虚死(そらじに)、空足を踏む、擬死、冬眠、臨死、瀕死、危篤、虫の息、死に際、臨終、いまわ、最期、末期、断末魔、今際の際、往生際、冬眠、半死半生、死に体、なしくずしの死。

 心肺停止、心停止、呼吸停止、脳死、遷延性意識障害・植物状態・ベジ。

 昏睡、昏倒、気絶、失神、「間断なき失神」、「壮大な仮死の祭典」、心神喪失、人事不省、無意識、夢うつつ、譫妄。


『早すぎた埋葬』(エドガー・アラン・ポー作)、『第四解剖室』(スティーヴン・キング作)、『コーマ』(ロビン・クック原作)、「諸行有穢の響きあり」における「虚死(そらじに)」。


 仮病、つくりやまい、詐病、作病、虚病、半仮病、虚偽性障害、仮眠、仮寝、かりぶし、旅寝、草枕、野垂れ死に、行き倒れ、斃死、作話、作文、偽の記憶、記憶障害、メタ記憶、虚言、妄想、幻覚、幻想。


 仮往生、(近往生)、(臨界往生)、(臨往生)、(前往生)、(生前往生)。

 往生、往く・化生する、往生伝、往生の物語、O嬢の物語、立ち往生、無理往生、圧状。


 仮定、仮想、仮想現実、架空、(仮空)、空想、夢、夢想、疑似世界、シミュレーション、シミュラークル。

 ニーチェ、クロソウスキー、ドゥルーズ。

 仮象、表象、現象、事象、物象。


 日、月、白、明、見、目、耳、自。


 「」、『』、「、」、「。」、「、(ルビとして縦書きの文字の右に打たれる読点)」


 渡部直己、芳川泰久(十、+)、ジャン・リカルドゥー、ジェラール・ジュネット、アラン・ロブ=グリエ(8、∞)。


 仮屋、本屋、仮谷、刈谷、狩屋、狩谷、狩矢、借家、苅谷、雁屋、仮屋崎、假屋崎、上仮屋、内雁屋。


 仮令、たとい、たとえ、かりに、よしんば、もし、およそ、たまたま。

 仮の姿、かりに、とりあえず、さしあたって、もしも、たとえば、たとえ、たとえる、比喩、隠喩、暗喩、明喩、直喩、換喩。

 メタファ、メタモルフォーゼ、メタフィクション、メタ哲学、メタメタ。


『フーコーそして / あるいはドゥルーズ』、『仮往生伝試文』そして/あるいは『批評 あるいは仮死の祭典』。


     *


 飽きません。こういう文字・言葉の連なりを目にしていると、わくわくぞくぞくします。あれよあれよといううちに時が経ちます。三十分や一時間なんてすぐに過ぎます。言ってはいけないことなのでしょうが、このまま逝ってもかまいません。この種の快感には依存性があるので要注意です。


 あいだに読点を置いて、二文字を並べるだけでも、また違った妙味が楽しめます。たとえば、これです。


 仮、借。


 いいですねえ。手持ちの辞書のなかだと隣り合った文字なんです。これだけでも十五分は楽しめそうです。十五分って意外に長いですよ。


 仮、瑕。


「仮往生」の「仮・かり」から「かし・瑕疵・仮死」にいっちゃいますね。だじゃれと見なしてもいいような漢字の感じ・感字。思わず、笑ってしまいました。


 次は、二文字のペアです。


 仮名、偽名。


 そっくりでかわいいペアですね。きょうだいなのかな。かたちで見ると、反と為の部分が違うだけですよ。あとはいっしょ。その意味に思いをめぐらすと、ぞくぞくしてきました。漢和辞典で見た解字の知識が邪魔になります。何だか深いところまで降りることができそうです。次は、ひらがなからなる言葉のペア。


 かりに、たとえ。


「かりに……」とか「たとえ……」なんて口にしてみると、「うんうん、何?」という具合に自分の声なのについつい身を乗り出してしまいます。言葉は動きを誘い出すということですね。「かりに」と「たとえ」はどう違うのでしょう。こういうことを考えるのが好きです。似ているけど、ふたつあるということは、違うのでしょうね。使い方が異なるのかなあ。めまいが来そうです。正解を求めていたり、ましてお勉強をして物知りになりたいわけではないので、すぐに辞書を引くなんて真似はしません。「何だろう」を引き延ばします。どこか遠くに行けそうな気分になってきました。


     *


 最近、短歌や俳句に興味があって、その方面の本やサイトや note の記事を覗いているのですけど、俳句で「切れ・切れ字」という言葉とその考え方についての説明を読んでぞくそくしました。連句と連歌についての解説もおもしろく読みました。今、上の言葉の羅列やペアを眺めていて既視感を覚えたので、なんだっけと考えているうちに、切れや連句や連歌を思い出したのです。


 言葉と言葉との、あいだ、あわい、差異、すきま、ま、あいま、切れ間、さかい、くぎり、きわ、わかれめ、きれめ、といった連想が出てきて、とまらなくなりました。こういう話というかイメージが好きでたまりません。きれめで連想し、はて、かぎり、はしっこ、はし、ふち……とずれていく感じも心地よいです。切りがないので、とめておきますね。


 上記の言葉・文字の羅列に話をもどします。あの言葉・文字の連なりを眺め、とりとめのない思いに身をまかせて、わくわくしているわけですが、それをあえて言葉にすると、たとえば次のようになります。長くなりそうなので、前後に*を打って、テーマ別に書き並べます。これも、あくまでも書きなぐったメモです。なお、文体を「だ・である調」にします。


     *


 自分を仮の姿と考えてみる。仮だから一時的なもの。次々と移りゆくのかもしれない。仮のままに終わるのかもしれない。かりに真の姿に至るまで殻を何度も脱ぎ捨てなければならないとするなら、それは苦行に似ている。仮のままでいい。移り変わりたくもない。


     *


 言葉は誰にとっても借りものである。自分の一部のようで自分ではない。既に誰かの口から出たものであり、誰かが文字として綴ったものである。それを借りてつかう。代々受け継がれてきたものであり、今もどこかで誰かがもちいている共有物でもある。次の人にバトンタッチしたい気持ちはある。そのためには、つながらないといけない。窮屈だ。


 誰もがまわりの人たちを真似ながら言葉を身につける。生まれたときには既にある制度でありしきたりだから、自分ひとりでどうこうできるたぐのものではない。他人がいて言葉がある。自分が口から発したり文字にする言葉は他人との関係で揺れる。自分から出た瞬間に、もう素知らぬ顔で他人に媚びを売っているかのような不実な面をそなえている。憎らしい。でもかわいい。


     *


 借りるは返すと貸すを想定している。するとされるは、一つの絵におさまるという意味で同義。追われる夢のなかでは、追うという視線と視座が夢の主語として眺めている。人は夢の主語なのか。夢自体が主語なのか。


 動物にえさをやる幼児のうれしそうな表情。乳や食べ物を与えられる側にいつづけたおさなごは、食べ物を与える行為のなかで「される」側の居心地の悪さから切り離された自分を感じる。解放の喜び。するとされるを一つの絵として見ることは、フィクションの芽生えかもしれない。


 自他の区別ではなく、むしろ自他の並置。される側の自分とする側の他。距離、相対化、虚構化。視点という抽象。


     *


 貸し借り、かりる・かえす・かす、交換、贈与、婚姻、供物、祝儀、ギフト、文化人類学、経済学、心理学、文学、法学、政治学、記号論、哲学。


 カネ・貨幣は仮値。おそらく本値はないだろう。そもそも貸し借りできないものは人には見えない。というか、人は目に見えないもの(知覚できないもの)を交換の対象にしない。必ず目に見えるもの(知覚できるもの)に交換して、さらにその代理を交換するという手続きを踏む。人にとって見えないものはないのと同じだからだ。「現金な」とは、まさにこのこと。


     *


 仮の名と偽りの名は異なるのだろうか。ことなし、ことあり、ことなる。仮と偽とのあいだには何があるのか。どうずれているのか。仮免と本免があるように、仮名は本名にいたるまでの一時的なもので、確信犯じみた偽名とは別物と考えるべきなのか。仮は変化を前提とし、偽には居座り続けるふてぶてしさがある。仮は出る、お化けや幽霊のように。偽は現われる、神や霊のように。いや、仮であることを次々と重ねていくのなら、これまたふてぶてしいし狡猾とも言える。


     *


 かな・仮名・仮字とまな・真名・真字という分け方が以前から気になっている。差別のにおいがするのだ。真偽、正誤、善悪、上下(じょうげ・かみしも)、左右(左大臣・右大臣、左きき・右きき)……。本物と偽物という分け方に代表される、あらゆる二項対立つまり事わけ・言わけに、うさんくささと欺瞞を感じる。仮から本へと移ったところで、昇格したわけではないだろうに。移り変わりを上下や真偽、ましてや善悪の比喩で色づけする作業には辟易するほかない。


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 仮面とはマスクのこと。デスマスクもマスクです。春には花粉対策兼疫病対策にマスク、さらには真夏にもマスクをしていた。秋、冬とマスク生活は続きそうな気配。これが仮の姿であってほしい。


 マスクの親戚であるマスカレードつまり仮面舞踏会という言葉をタイトルにしたり、歌詞に取り入れた楽曲が多いのには驚かされる。それだけ人は仮面に魅力を覚えてひき付けられるということか。恋愛と仮面を絡めると話がおもしろくも、ややこしくもなりそうだ。人生は仮面をかぶった人間たちが踊り明かす舞踏会だとも言える。陳腐なたとえ。ひとりまたひとりと姿を消し、舞踏会もいつかは終わる。地球もある意味で仮面舞踏会なのかもしれない。いや、そうにちがいない。そうでないはずがない。


 仮面の反対は何だろう。本面というのはお能の能面関連の言葉らしいが、何なのかは知らない。真面と書いて「まとも」とか「まほ」があるらしい。まともは真面目のことだからわかりやすい。辞書を脇に置いて考えよう。仮面の反対は、すっぴんではないか。お化粧も一種の仮面と言えないことはない。素顔でもいいかも。


 仮面を比喩つまりたとえと考えると、その反対は本性や本心とも言えそうな気がする。本性や本心を隠して仮面をかぶるという比喩。仮面夫婦なんてまさにそんな感じかもしれない。すっぴんでもできるのが顔芸。顔芸最強。おもしろくて話がそれていく。


     *


 かりにこれが仮の姿であり仮のからだであれば、人はここで借り物である言葉をもちいて、かりの世界を思い浮かべ、からの言葉をつむいでいくしかない。それがフィクションであり、騙り・語りであり、比喩あるいは言葉の綾であり、ファンタジーであろう。仮に借り物をもちいるしかない記述は、既述であり奇術すれすれのまがいにすぎないのかもしれない。


 言葉に限らず、人のあらゆる創作行為は、かりの世界を仮設することだと言えるのではないか。言語芸術だけにとどまらず、絵も音楽も踊りも写真も映画も、仮・借をめぐり、仮・借をもちいて、つくる行為ではないか。真や本をもちいることはできないから、借りて模倣するしかない。模倣するとは、借りることにほかならない。今ここにはないものを仮で仮につくる。その仮が新たな世界となる。仮はひとり歩きする。


     *


 辞書を読んでいて「借る」に「代用する」の意味があって、どきどきした。代用については、十年前のブログ記事をnoteで再投稿するというかたちでけりをつけたつもりだったが、そうもいかないらしい。「何かの代わりに何かではないものを用いる」とはまさに「代用する」という仕組みのことなのだ。ここでもまた出てきた金太郎飴。また出た幽霊・お化け。


 代理だけの世界。代理としての世界。言葉も知覚も認識も、すべて何かの代わりつまり代理、何でも代行します。代理のひとり歩きに手を焼く人間。言葉のひとり歩きは日常茶飯事。それだけではない。国民の代表つまり代理が我が物顔でひとり歩きどころか暴走しているのは、この国だけではない。


 代理は最強。代理の一人勝ち。代理という仕組みに勝てない人間。責任は代理にはない。


 代議制そのものがあらゆる国と地域で破綻している。代表に権利を委譲すると言えば聞こえはいいが、代理人に権力をかすめ取られているのが実情ではないか。安定した議会での多数に支えられた与党が、権力の後ろ盾なしにはとうてい通らない荒唐無稽な強弁を通している。合法的な独裁と独裁的法治国家は、言葉の綾でもなくギャグでもなく現実になっている。なしくずしに独裁への道が広がる。ネット上の政権応援団が愉快犯から親衛隊へと昇格する日も近いだろう。


 きな臭い話になってきた。体調が悪化しそう。気持ちのいい話にもどそう。


(※以上の走り書きは後日別の記事として膨らませるつもりです。)



【ここまでが、『仮往生伝試文』そして/あるいは『批評 あるいは仮死の祭典』【前篇】です。】 ⇒ 【中篇】



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※この文章は「文供養/文手箱」というマガジンに収めます。




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