【掌編小説】顔 ――五つの物語――(言葉は魔法・第6回)

2021/04/29 08:19


目次


顔*


顔**


顔***


レイアウトについて


顔****


孤独について


顔*****


ネット上で書いている人たちへのエール


顔*


 朝起きると、見知らぬ顔が鏡の中にいた。忘れもしない、二十年前のゴールデンウィーク最終日のことだ。驚いたのは言うまでもない。誰にも言わなかったのは、誰も気づいていないみたいだったからだ。家族も、学校でも。最も敏感であってほしい我が家の犬さえも。

 翌日の午後、学校から帰る途中に、私を追い抜いていったバスの一番後ろの窓から見ていた私の顔と目が合った。私たちは互いに目を見開き、口を手で被った。驚いたのは言うまでもない。声を上げなかったのは、誰にも気づかれたくなかったからだ。私は心の中で、その顔にさようならと言った。


 考えないように生きるのには慣れたつもりだが、一日に何度かは思い出すし、しばらく頭から離れないこともある。親にも友達にも言えなかったことは、今いっしょに暮らす夫にも子どもたちにも言えるわけがない。言って楽になれるとも思えない。生きていくためには心にしまっていたほうがいいものがある。

 私に支えがあるとすれば、誰もが言えない秘密を抱えているにちがいないという確信だ。そう信じているから、私は深い孤独に耐えることができる。そう考えることで私はかろうじて笑顔になれる。


        〇


顔**


 朝起きると、見知らぬ顔が鏡の中にいた。

 忘れもしない、二十年前のゴールデンウィーク最終日のことだ。

 驚いたのは言うまでもない。

 誰にも言わなかったのは、誰も気づいていないみたいだったからだ。

 家族も、学校でも。最も敏感であってほしい我が家の犬さえも。

 翌日の午後、学校から帰る途中に、私を追い抜いていったバスの一番後ろの窓から見ていた私の顔と目が合った。

 私たちは互いに目を見開き、口を手で被った。

 驚いたのは言うまでもない。

 声を上げなかったのは、誰にも気づかれたくなかったからだ。

 私は心の中で、その顔にさようならと言った。


 考えないように生きるのには慣れたつもりだが、一日に何度かは思い出すし、しばらく頭から離れないこともある。

 親にも友達にも言えなかったことは、今いっしょに暮らす夫にも子どもたちにも言えるわけがない。

 言って楽になれるとも思えない。

 生きていくためには心にしまっていたほうがいいものがある。

 私に支えがあるとすれば、誰もが言えない秘密を抱えているにちがいないという確信だ。

 そう信じているから、私は深い孤独に耐えることができる。そう考えることで私はかろうじて笑顔になれる。


        〇


顔***


朝起きると、見知らぬ顔が鏡の中にいた。忘れもしな

い、二十年前のゴールデンウィーク最終日のことだ。

驚いたのは言うまでもない。誰にも言わなかったのは、

誰も気づいていないみたいだったからだ。家族も、学

校でも。最も敏感であってほしい我が家の犬さえも。

翌日の午後、学校から帰る途中に、私を追い抜いていっ

たバスの一番後ろの窓から見ていた私の顔と目が合っ

た。私たちは互いに目を見開き、口を手で被った。驚

いたのは言うまでもない。声を上げなかったのは、誰

にも気づかれたくなかったからだ。私は心の中で、そ

の顔にさようならと言った。考えないように生きるの

には慣れたつもりだが、一日に何度かは思い出すし、

しばらく頭から離れないこともある。親にも友達にも

言えなかったことは、今いっしょに暮らす夫にも子ど

もたちにも言えるわけがない。言って楽になれるとも

思えない。生きていくためには心にしまっていたほう

がいいものがある。私に支えがあるとすれば、誰もが

言えない秘密を抱えているにちがいないという確信だ。

そう信じているから、私は深い孤独に耐えることがで

きる。そう考えることで私はかろうじて笑顔になれる。


        〇


レイアウトについて


 文章のレイアウトを変えると、印象ががらりと変わりますね。私には『顔』という掌編の顔が変わったように感じられます。それとも顔はそのままで、変わったのは表情なのかもしれません。いずれにせよ、内容までも少し違ったように感じられると言えば言いすぎでしょうか。


 とにかく、『顔』にある文字や言葉や行の空間(スペース)を変えたことで、イメージ、つまり顔つきや表情ががらりと変わったとは言えそうです。なかなか興味深い現象です。不思議でなりません。


 みなさんも、ご自分でつくった文章のレイアウトを、投稿に際して、変更したりいじったりする経験はあると思います。その時に、鏡に映る見慣れた自分の顔があたかも変わったみたいな、あるいはいきなり足もとに水をかけられたとか、地面の底が抜けたようなひやっとした気持ちになることはありませんか。


 もっとも、こういうレイアウトやフォントや文体などの話は、メッセージよりプレゼンの仕方がずっと大切だという、ビジネス書や自己啓発書によく見られる主張で説明できると思います。確かにそうですね。プレゼンの仕方の重要性は大です。


 今思ったのですけど、同じ食べ物も違った器に盛ると味がまったく違ったものに感じられるというのにも似ている気がします。こっちのたとえのほうが、味わいがありますね。器という比喩もまた、プレゼンテーションの仕方ということで話が落ち着いたりして。話をややこしくして、ごめんなさい。


 それにしても、不思議です。


        〇


顔****


 朝起きると、見知らぬ顔が鏡の中にいました。

 忘れもしません、二十年前のゴールデンウィーク最終日のことです。

 驚いたのは言うまでもありません。

 誰にも言わなかったのは、誰も気づいていないみたいだったからです。

 家族も、学校でも。最も敏感であってほしい我が家の犬さえも。

 翌日の午後、学校から帰る途中に、私を追い抜いていったバスの一番後ろの窓から見ていた私の顔と目が合いました。

 私たちは互いに目を見開き、口を手で被いました。

 驚いたのは言うまでもありません。

 声を上げなかったのは、誰にも気づかれたくなかったからです。

 私は心の中で、その顔にさようならと言いました。


 考えないように生きるのには慣れたつもりですが、一日に何度かは思い出しますし、しばらく頭から離れないこともあります。

 親にも友達にも言えなかったことは、今いっしょに暮らす夫にも子どもたちにも言えるわけがありません。

 言って楽になれるとも思えません。

 生きていくためには心にしまっていたほうがいいものがあります。

 私に支えがあるとすれば、誰もが言えない秘密を抱えているにちがいないという確信です。

 そう信じているから、私は深い孤独に耐えることができます。そう考えることで私はかろうじて笑顔になれるのです。


        〇


孤独について


 拙作『顔』についてですけど、自分だけが感じているみたいで、他の誰も感じていないらしい変化があるとしたら、それは深い孤独のなかでのきわめて個人的な体験であり、誰にも言いたくないたぐいの秘密だろうと思います。いや、そんな大げさなものではなく、もし誰かに言えば神経や精神を疑われそうで話せないだけなのかもしれません。「あんた、大丈夫?」なんて言われて顔をまじまじと見られるなんて、嫌ですよね。


 ものを書くとき、私は自分が深い孤独にいることを感じます。執筆が自分と向き合う作業だからです。競技場にいるアスリートと同様、誰も助けてくれません。自分はものすごく変なことをしているのではないか。こんな不毛なことをしている自分を、世間や家族は許してくれるのか。支えは、自分と同じような孤独を味わっている人たちがきっと他にもいるという思いです。


        〇


顔*****


 朝起きると見知らぬ顔が鏡の中にいた――。

 ある女性から聞いた話だ。

 

 彼女は語る。

 忘れもしない、あれは二十年前のゴールデンウィーク最終日だった、前日に家族で鎌倉に出かけて夜遅く帰った、そんなことは前にも後にもなかったのでよく覚えている。

 その日、彼女は朝からゆっくりしていた。当然のことながら彼女は驚いた。誰にも言わなかったのは、家族の誰も気づいていないみたいだったからだ。台所で顔を合わせた母親も、廊下ですれ違った父親も、夕方になって部活から帰ってきた兄も、いつもと同様に視線を交わすことはないにせよ、互いの顔が視野に入っていたはずだ。それなのに、相手が声を上げるとかまじまじと見つめられる事態には至らなかった。

 最も敏感であってほしい飼い犬さえ、夕方の散歩をさせても別段変わった反応を示さなかった。納得は行かないが、万事が普通に運んでいるのを目の当たりにすると勘違いではないかと彼女は思い始めた。


 翌日学校でも取り立てて言うほどのことは起こらなかったが、下校の途中に大通りで追い抜いていったバスの一番後ろの窓から見ていた顔と目が合った。前々日までの自分の顔だった。

 互いに目を見開き口を手で被った。鏡を見ているように同じ動作をしていた。彼女が驚いたのは言うまでもない。声を上げなかったのは、誰にも気づかれたくなかったからだ。まわりの目を気にする性格なのだ。心の中でその顔にさようならと言った。相手も同じ言葉をつぶやいている気がした、と彼女は言う。


 考えないように生きるのには慣れたつもりだが、一日に何度かは思い出すし、しばらく頭から離れない日々もある。二十年も経つとあの日の出来事は偽の記憶ではないかと思う時もある。

 記憶は鮮明なわけではなく、しだいに薄れつつある。アルバムを見れば前の顔には会えるはずだが、今の彼女には昔の写真を見る習慣はない。

 これまでの間に親にも友達にも言えなかったことは、いまいっしょに暮らす夫や子どもたちにも言えるわけがない。言って楽になれるとも思えない。生きていくためには心にしまっていたほうがいいものがある。

 そう彼女は述懐する。それが人生哲学のようになっている。


 彼女にとって生きる上での支えは、誰もが言えない秘密を抱えているにちがいないという確信だ。そう信じているから、深い孤独に耐えることができるし、そう考えることでかろうじて笑顔になれると信じている。



ネット上で書いている人たちへのエール


 ネット上では、これまで印刷物で実践されてきたのとはかなり異なる表記や表現が出てきています。試行錯誤の状態でしょうが、このまま続くだろうという予感があります。ネットで活動している人には迷いや悩みも多いに違いありません。


 印刷という固定を目標および前提とする出版の世界と、きわめて容易に改変可能という意味で常に流動しているネット空間とはまったく別物であり、違う次元にあるのではないかという気がします。


 それだけにネット上で書いている人は苦労も多く、また孤独の中にいる自分を感じると思われます。果たしてこれでいいのだろうか、こんな悩みをかかえているのは自分だけはないか、と。


 ネットで創作活動をしようとしている人たちに向けてエールを送った過去の記事(過去の記事のバックアップなので、リンクなどは外してあります)があるので、ここで紹介します。


 以下の「空前の「純文学」ブーム」と「書く・書ける(1)」はほぼ同じ内容です。面白おかしく書いてあります。


空前の「純文学」ブーム

げんすけ 2020/07/03 09:18  現在、かつてないほどの大きな規模で「純文学」ブームが起きているのをご存知でし

renssokoaaa.blogspot.com

書く・書ける(1)

げんすけ 2020/09/13 07:56  とにかく、すごい剣幕で怒っていました。ケータイ小説について、です。何かの雑誌

renssokoaaa.blogspot.com


 以下の「言、葉、は、魔、法。<言葉は魔法・008>」には実務的な内容も含まれています。書いているうちに興奮し泣きそうになって訴えている部分もあります。恥ずかしいのですが、そのまま紹介します。


言、葉、は、魔、法。<言葉は魔法・008>

星野廉 2020/12/09 13:24  言葉は魔法。 「言葉は、魔法……。」 『言葉は、魔法——。』  言、葉、は、魔

renssoko.blogspot.com


 幸いなことにネット上ではうるさく言う人はいません。いても、無視すればいいだけのこと。いいことを言っていると思えば耳を傾けましょう。


 自由に書きましょう。

 好きなように書きましょう。

 そして、謙虚さを忘れず、他人のリアクションで軌道修正をしましょう。


(「言、葉、は、魔、法。<言葉は魔法・008>」より引用)



 みなさん、自分を信じていっしょに頑張りましょう。



【※この記事は「言葉は魔法」というマガジンに収めます。】


 *ヘッダーにはメザニンさんのイラストをお借りしました。




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