夢うつつや夢の中で出会う場所
2021/04/04 08:21
夜寝入る時や夜中に目が覚めた時に、かつて読んだ小説のシーンや風景が断片的に頭の中に出てくることがあります。ストーリーではありません。断片が脈絡を欠いてとりとめなく浮かんでくるのです。
特定の作家の作品をたくさん読んでいると、その作家の書く時の癖に気がつくことがあります。特に小説なのですが、同じような場所や状況がよく出てくるとか、似た登場人物が繰り返し出てくると感じることがあります。
たとえば、宮部みゆきの小説の中では、実によく雨が降ります。短編でも長編でもです。水浸し、川の氾濫、暴風雨、台風――といった形で、頻繁に雨や水が出てきます。大雪の中で事件が起きる長編もあります。ファンの方は、ああ、あれだと心当たりがあるにちがいありません。火や炎も、よく登場しますね。
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宮部みゆきはスティーヴン・キングの熱狂的なファンを自称していますが、キングと宮部の作品には共通点が見られます。雨や雪や液体(もちろん水と血液も含みます)と、火と、少年( あるいは「少女」とされながら説話的な要素としては「少年」の機能を果たしている登場人物)です。キングの場合には、子ども、特に男児にいたずらをする性的虐待者がよく出てきます。
宮部とキングにおいては、雨や雪や液体(水や血)が降ると物語が始動する、つまり物語のスイッチが入るのです。またキングにおいては、性的虐待者や不審者が現われることでストーリーの展開が促される、あれっと声を上げるほど急に調子が出てきたのを感じる場合があります。嬉々として書いているのではないかと思うほどです。
あとキングの作品では、「眠る」または「横たわる」(睡眠や不眠だけでなく、仮死や拉致監禁や意識不明を含みます)という身ぶりが、ストーリー・テリングを始動し促す重要な触媒になっているものがあります。
宮部みゆきとスティーヴン・キングの古い作品は、いまも書棚や押し入れ内の段ボール箱に入っています。かつてはよく読みました。元気があったからです。未読の作品も積ん読になっています。何しろ長いものが多いので、もう読むことはないと思います。
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宮部やキングはページターナー、つまりページをめくるのがもどかしいほどの面白い読み物の書き手ですが、似通った場面や状況や登場人物を繰り返し書きながらも、次作を心待ちにする読者が多数いるのは興味深いことです。ワンパターンと非難する人もいるでしょうが、これだけ広く愛されているのですから、決まったパターンには中毒性があるのかもしれません。
似たようなものが繰り返されることに安心感を覚えるという心理は分かる気がします。音楽には詳しくないのですが、楽曲においては反復と変奏が大きな役割を果たし、同じ旋律やテーマが繰り返されたり、形を少し変えて出ることによって、聴く人が快感を覚えるという話を聞いた覚えがあります。
これもまた詳しくないというかまったく経験がないことなのですけど、幼い子どもに本を読み聞かせる際に、親や保育士さんが子どものためを思って話を変えると、子どもが不機嫌になったり、眠りそうになっていたのに目をぱっちり開けて「ちがうよ」と抗議すると聞いたこともあります。
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夜寝入る時や夜中に目が覚めた時に、頭に浮かぶ断片的な心象にも反復と変奏を感じます。宮部みゆきの小説に何度も出てきた覚えのある公園や、川と堤防のある風景。キングの小説に繰り返し出てくる豪雨と洪水に見舞われた街の様子。
角田光代の小説に頻出する、引越しの前後の雑然と物や段ボール箱やゴミ袋が散らばって置かれた部屋。吉田修一の小説でしょっちゅう流れる汗。やはり吉田修一の小説にやたら出てくる、上階の窓やベランダから車の流れる通りを見下ろす仕草。病室のベッドに身動きが取れない状態でいて、音を頼りに病院内外の様子にあれこれ想像をめぐらすという、古井由吉の諸作品におけるオブセッションじみた描写。
こうした繰り返し訪れてくる風景やイメージは毎回微妙に変化しているように感じられます。見る見るうちに様相が変化する場合も珍しくありません。
そんなシーンや状況の出所を作家名を挙げてたどっているのは、この文章を昼間に書いているからに他なりません。夜中にあっては、こうした心象はいわば匿名的なシーンや風景として断片的に浮かんできます。ああ、これは誰々のあの小説のシーンだなんて考えません。そういう無名ともいえる視覚的なイメージが浮かんでは消えるのです。
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匿名的、中性的、ニュートラル、のっぺらぼう、無名、身元不明といった一連の言葉がイメージするとりとめのなさが、夜の思考の特徴なのです。たとえば、公園であったり川沿いの堤防の風景が浮かんでも、それが宮部みゆきの小説によく出てくる東京の下町の風景だとは、その時には意識していない気がします。
夜の寝際や目覚め際の夢うつつの中では、公園が公園であるとか、川が川であるとか、そうした言葉と意味で認識される世界とは異なる場所にいるように思われます。ましてや固有名詞は意識されません。知った顔や見覚えのある場所でしかありません。
これが夢となると名前や意味は完全に意識されず、言葉と意味を欠いた形象のイメージとして立ち現れるのです。明視とまでは言いませんが、姿と形ははっきりしていても言語化されないのです。言語化されていない視覚の世界とでも言いましょうか。
とはいえ、確かめようがありません。夢うつつや夢の中での出来事は後付けというか、後に目覚めた意識の中で思い描くしかないわけですが、その時にはきっとそうしたものはそうではなくなっているのではないでしょうか。
別に夢で見たものでなくても、覚めた、醒めた、褪めた、冷めた意識の中では、刻々と体感されているはずの多くのものが取り逃がされている、そんな諦めに似たものを感じています。それでいいのだとも思います。
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