剽窃から遠く離れて あるいは引用の織物

2021/04/27 08:03

 


引用


(夏目漱石の『吾輩は猫である』より引用)


(芥川龍之介の『杜子春』より引用)


(紫式部の『源氏物語』より引用)


(中原中也の『感情喪失時代』より引用)

        〇


ひとでなしの猫 宮川淳 『引用の織物』

サイケデリック鬱ワールド◆INSIDE OUTSIDERS◆バートルビーの子どもたち

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宮川淳(みやかわ あつし)とは - コトバンク

デジタル版 日本人名大辞典+Plus - 宮川淳の用語解説 - 1933−1977 昭和時代後期の美術評論家。昭和8年3月

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宮川淳 - Wikipedia

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        〇


 どこまでが引用でどこまでがオリジナルなのでしょう。

 どこまでが借り物でどこまでが自分の物なのでしょう。

 どこまでがコピー(複製)でどこまでがオリジナルなのでしょう。

 どこまでがコピー(宣伝文句)でどこまでが詩の文句なのでしょう。

 どこまでが詩でどこまでがデタラメなのでしょう。

 どこまでがデタラメでどこまでがおふざけなのでしょう。


 どこまでが本気でどこまでが正気でどこまでが狂気なのでしょう。

 どこまでが本物でどこまでが偽物なのでしょう。

 どこまでが本当でどこまでが嘘なのでしょう。


 引用の元をたどるとそれもまた引用だったりして。

 借り物の元をたどるとそれもまた借り物だったりして。

 コピーの元をたどるとそれもまたコピーだったりして。

 コピーの中にバグや変異やズレが含まれていたりして。

 そっくりなのに中身が空だったりして。


 起源神話の根強さ。

 オリジナル神話のたくましさ。


        〇


 あなたが持っているある本を開いてみるとします。

 ある一文があります。

 印刷物であるその本はどこか他にもあるはずです。

 あなたが見ている一文は、どこか他にある本の一文と同じはずです。


 あなたがその一文をPCなりスマホなりで書き写したとします。

 その一文を引用として明記するのではなく、自分の記事の中で自分の創作として公表したとします。

 それは盗作でしょうか。

 著作権に触れる行為として責められるべきものなのでしょうか。


 その一文の長さ、つまりデータの量の問題でしょうか。

 短い一文ならOK、長い一文ならたぶん問題かも、二文ならアウト――その程度の話なのでしょうか。

 あるいは、少し手を加えて変えればそれで問題なしと考えていいのでしょうか。

 誰でも書きそうなものなら大丈夫だという程度の認識でいいのでしょうか。

 それとも、単に良心の問題なのでしょうか。


 ばれたら、偶然の一致じゃないですか、ととぼければいいのでしょうか。

 パロディですよ、オマージュです、と言って笑って済ませばいい問題なのでしょうか。


 私には分かりません。


 文学だけの問題ではありませんね。音楽、アート、科学技術、ビジネス、学問全般において活動する際にも避けられない問題のようです。


 いっしょに考えてみませんか。

 



みなさんは、俳句を詠む場合、まずどうなさいますか? 今まで俳句を詠んだことのないヒトが、俳句を詠もうとするとき、5・7・5という規則だけをあたまに入れて、いきなり、森羅万象に目を向けるなんてことをするでしょうか? そのまえに、既存の俳句を読むだろうと思います。


*俳句は、いきなり詠むのではなく、まず読む。


のです。


 和歌であっても、ヨーロッパの言語の定型詩でも、状況は同じだと思います。さらに言うなら、韻文だけでなく散文でも同じことが言えるような気がします。たとえば、基本的に何を書いてもいい、


*小説は、小説を読んでから書ける(=掛ける=賭ける)。


のです。話を一気に飛躍させますが、ヒトの赤ちゃんは、いきなり言葉をしゃべりません。


*赤ん坊は、話し言葉を聞いてから話すようになる。


のです。


(拙文「つくる(4)」より引用)


        〇


 言葉はみんなのもの。

 誰もが生まれた時に、既にあったもの。


 言葉は真似るもの。

 誰もがまわりの人の言葉を真似て学んだ。


 まねる、と、まねぶ、と、まなぶは、きょうだいだったらしい。


 自分が口にする言葉は既に誰かが言ったもの。

 自分が書いている言葉は既にどこかに書いてある。


 言葉は借り物。

 既にある言葉を借りて使わせてもらう。


 借り物は返さなきゃならない。

 次の世代のために残すもの。

 だから、大切に使おう。


 言葉はみんなのもの。

 誰もが生まれた時に、既にあったもの。


(※お断りしておきますが、著作権を否定しているわけではありません。むしろ著作権を支持しています。ただし著作権は制度であり、著作権という考えが出て来たのは、言葉の長い歴史の中ではほんの最近の出来事なのです。これを機に著作権についてもっと勉強しようと思います。)



著作権の歴史 - Wikipedia

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コピーレフト - Wikipedia

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        〇



 こんなこともありました。

 以下の記事では平静を装っているものの、内心どきりとしました。


東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京、東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京 東京……


 これって、きのう(※安心してください、「きのう」の記事を読まなくても分かるように書きますので)お話した、「そっくりなもの」=複製=コピーの一例です。


(中略)


※この記事は、今朝、うちで購読している朝刊の一面の下のほうを見て、ああ、あれに似ているなあと思い出し、誰にも頼まれていないのに、急きょ投稿しました。こういう符合=偶然ってわくわくして好きです。その新聞の購読者の方、ねえ、そっくりでしょ?

(拙文「「東京」× 無限大」 + 「「東京」× 無限大」より引用)


(天声人語)東京東京東京……:朝日新聞デジタル

 「東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東京東

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角川文庫 誰か故郷を想はざる (改版)

「おまえは走っている汽車のなかで生まれたから、出生地があいまいなのだ」。一所不住の思想に取り憑かれた著者は、やがて母のこの

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        〇


 レプリカ、レプリ力、レプリカ

 上の三つのうち、真ん中の「力」は漢字の「ちから・リキ」なんですけど、こんなの分かりませんよね。


 アンド口イド、アンドロイド、アンドロイド

 上の三つのうち、最初の「口」は漢字の「くち・コウ」なんですけど、これもそっくり。違っているなんて分かりませんよね。

 でも、デジタル化された情報としては別物らしいのです。アナログな体感重視派としては、もう泣きそうになりながらも「同じだ」と言いたいです。ちなみに、今使った「アナログ」ではいたずらはしていませんよ。


 一見そっくりなコピー(あるいはコピーもどき)の中に微小な変異が潜んでいても分からないみたいですね。そう思うと怖いです。



 私は散文的な人間で詩歌は作れないのですが、日本の伝統的な定型詩には興味と敬意をいだいています。いまも多くの詠み手がいるのは短歌や俳句ですね。


 伝統的な定型詩には先行する膨大な数の作品があります。そうした先人のあるいは先輩の作品を読んで自分でも詠む。「読む」が「詠む」につながる。考えてみるとすごい話じゃありませんか。自分が大きな伝統の連鎖につながる、つらなる、つまりその一部になるのですから。


 もっとも、短い定型詩ですから、同一の、あるいはほぼ同じ作品が生まれるという事態も頻繁に起こるみたいですね。私はそうしたジャンルに身を置いて活動していないので、何とも言えませんが……。想像すると怖いです。


(拙文「言葉を誘い出すもの <言葉は魔法・023>」より引用)



        〇



 世界は似たものに満ちている。

 世界は顔で満ちあふれている。


 似ているはいたるところにある。

 同じや同一はない。


 似ているは印象。

 同じと同一は検証しなければならない。それも機材を用いて科学的に精密に。


 似ているが人にとっての体感できる現実。

 同じと同一は人にとっては抽象でしかない。



        〇



剽窃


(〓〓の『〓〓』より引用)

から


(詠み人知らず)

遠く


(author unknown)

離れて


(anonymous)

※「剽窃(ひょうせつ)」はあまり使われない言葉ですね。他人の作品やアイデアを盗作して発表する行為のことです。


小説から遠く離れて

村上春樹、井上ひさし、丸谷才一、村上龍、大江健三郎、中上健次などの代表作に説話論的な還元を施しつつ、本書自らが限りなく「小

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蓮實重彦 - Wikipedia

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批評あるいは仮死の祭典

電子書籍ストアKinoppy、本や雑誌やコミックのお求めは、紀伊國屋書店ウェブストア! 1927年創業で全国主要都市や海外

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        〇



ベトナムから遠く離れて - Wikipedia

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小説から遠く離れて :蓮實 重彦|河出書房新社

小説から遠く離れて 龍、春樹、井上ひさし、丸谷、大江、中上ら八○年代以降の代表的な小説に、説話論的な還元を施すなかから、小

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アメリカから遠く離れて

ジャズ評論の大長老と映画批評の巨人による饗宴がはじまる。『國民の創生』『教授と美女』『阿片戦争』…映画と記憶に誘われ語られ

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講談社文芸文庫 テクストから遠く離れて

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フタバから遠く離れて - 岩波書店

福島県双葉町の避難所に密着した映画作家が見たものは.関係者への豊富なインタビューを盛り込んだ書き下ろし.

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東日本大震災後、「全町避難」が、唯一いまも続く福島県双葉町。福島第一原発を抱える町は10年前200km離れた埼玉県のある廃

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シブヤから遠く離れて - Wikipedia

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城戸久枝 『あの戦争から遠く離れて—私につながる歴史をたどる旅—』 | 新潮社

父は戦争孤児だった。満州で家族と生き別れ、中国人として育てられた。文化大革命の嵐が吹き荒れるさなか、自力で祖国日本への帰国

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彫刻から遠く離れて - NADiff Online

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起源から遠く離れて

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CiNii 論文 - 江國香織から遠く離れて

江國香織から遠く離れて 吉田 司雄 工学院大学共通課程研究論叢 (39-1), 115-98, 2001

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“ふつう”から遠くはなれて—「生きにくさ」に悩むすべての人へ 中島義道語録

どんなに不器用でも人生は充実させられる。「よく生きる」ための知恵と技術。絶望によって鍛え上げられた希望の名言集。

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        〇



 似たものは目まいを誘います。

 くらくらしてきました。


 一方で適度の似たものは安心感をもたらすようです。

 というか、人は常に適度に似たものに囲まれているように思えます。

 それが常態なのかもしれません。


 持論ですが、適度に似たものとは顔です。

 人はいたるところに顔を見ます。

 人面〇〇どころではなく、左右の目と口に当たる三点があると、もうそれで顔を認めるのに十分なのだそうです。こういう空想は子どものほうが得意だといわれています。



 ●      ●


     ●



 世界は顔に満ち満ちているのです。


 時には不気味な顔も見ますが、基本的に人は顔に囲まれていることで安心します。

 人にとって最初の顔は、やはり母親なのかもしれません。



顔文字 - Wikipedia

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        〇



真、偽、本、顔、素顔、真性、本性、真名、真字、本名、偽名。


(拙文「1/3『仮往生伝試文』そして/あるいは『批評 あるいは仮死の祭典』【前篇】」より引用)


裏千家と表千家。どんな道、つまり芸道にも派閥が付きものです。流派、主流派と非主流派、正統と異端、多数派と少数派、保守と革新、本家と分家、正と邪、主と従、下克上、復古……。


西ローマ帝国と東ローマ帝国、西の大関と東の大関、北軍と南軍、北酒場と南酒場、右大臣と左大臣、右往左往、左前と右前、上り電車と下り電車、上座と下座と土下座、うなぎ登りとつるべ落とし。


パンタレイ。


京都〇川と大阪西〇と東京〇川。木村屋、きむらや、キムラヤ。柔道とjudo、俳句とhaiku、野球とベースボールとクリケットとソフトボールとカラーボール野球と野球拳……。


パンタレイ。


(拙文「三つ葉の日、三ツ矢サイダーの日、シルクロードの日、京都裏千家利休忌」より引用)


        〇









        〇



*連想ゲーム、一人ブレーンストーミング(※今後の記事のためのメモ)


 うつす、写す、移す、映す、遷す、撮す、伝染す

 うつる、写る、移る、映る、遷る、撮る、伝染る


 DNA、親子、きょうだい、はらから、親族、細胞、生殖、性交、分裂、繁殖、双生児、バニシング・ツイン、多胎児


 印刷、

 なぞる、

 ならう、倣う、倣う

 まねる、真似る

 まなぶ、まねぶ、学ぶ、真似ぶ

 

 鏡、カメラ、水面、反射、幻灯、影、映画、幻灯、谺・エコー、反響

 鏡像、ネガ、ポジ、縮小、拡大


 はなす、話す、放す、離す

 うける、受ける、承ける、請ける

 つたえる、伝える、つたわる、伝わる


 糸電話、電報、テレックス、電信、無線、電話、放送、インターネット、網、電網


 感染、伝染、感染、転写、複写、アクシデント、変異


 印刷術、複製文化、複写機、コピーペースト、コピペ


 デジタル化、視覚化、映像化、映画化、舞台化、言語化


 真似、複製、レプリカ、パプリカ、フーリン、ふーせん、言葉遊び、比喩、暗喩、隠喩、直喩、だじゃれ、オヤジギャグ、偽物、贋作、盗作、剽窃、オマージュ、本歌取り、パロディ、伝承、伝統文化、師弟、本家・分家、本流・亜流、正統・異端、著作権侵害、クリエイティブ・コモンズ、ミメーシス、ミーム、パクリ、もじり、風刺、形態模写、文体模写、物真似、そっくりのど自慢、そっくりショー、擬態


 印刷、謄写版、印鑑、シャチハタ、ハンコ、芋ハンコ、消しゴムハンコ


 同調、共鳴、共振、シンクロ、同情、思いやり、感情移入、なりきり、同意、賛成、賛同、共感


 想像、創造、捏造、妄想


 変換、換金、転換、交換、転移、変異、変移、変位、代理、代議制、ルプレザンタシオン、上演、代行、代理店、エージェント、表象、記号、信号、象徴


 パラレルワールド、反世界、反宇宙、反物質、反粒子、陰陽、陽子、中性子、イオン、プラスマイナス、対称・非対称、VR、絵空事


 再生、再現、リピート、変奏、アレンジ、編曲


 仮装、女装、男装、異装、ユニホーム、お仕着せ、制服


 インターネット・ミーム、イミテーション、イミテーションゴールド、まがいもの、章句品サンプル、フェイクファー、フェイクニュース、人工肉、アンドロイド、マネキン、ハウスマヌカン、分身、ゴーストライター、影武者、そっくりさん、こっくりさん、ひょっこりさん


 多重人格、二重人格、分身


 RT、リレー、リピート、リプロダクション、リストア、リフォーム、リサイクル、レコード、ルプレザンタシオン、レプリカ、リプレー、リプリー、太陽がいっぱい、パトリシア・ハイスミス、分身


 引用、パッチワーク、ごった煮、コラージュ、ブリコラージュ

 フュージョン、異化、アドリブ、ジャズ、パスティーシュ

 インスピレーション・霊感、憑依、オートマティスム(自動筆記)、神託、イタコ

 メタフィクション、小説の小説、演劇の演劇、作中劇、不条理演劇、シュール、ドタバタ


 ジャズ、アドリブ、インプロヴィゼーション、即興、でまかせ、おまじない、ナンセンス、ノンセンス



        〇



 言葉、話し言葉

 口承文学

 口伝え

 伝承


 うける、受ける、承ける、請ける

 つたえる、伝える、つたわる、伝わる



口承文学 - Wikipedia

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口承文芸(こうしょうぶんげい)とは - コトバンク

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - 口承文芸の用語解説 - 伝承 (誦) 文芸ともいう。文字で書かれた文芸に対立する

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        〇



 言葉、文字

 聖書の写本

 経典の写本

 源氏物語の写本


 うつす、写す、移す、映す、遷す、撮す、伝染す

 うつる、写る、移る、映る、遷る、撮る、伝染る



写本 - Wikipedia

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写本(しゃほん)とは - コトバンク

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - 写本の用語解説 - 鈔 (抄) 本,書本 (かきほん) などとも呼ばれる。版をつ

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        〇  

      


*「言い換える=置き換える=伝える=知らせる=言葉にする=何かの代わりに何か以外のものを用いる」


という意味での


*「翻訳」


は、


*不可能


だというほうに傾いています。これを「翻訳」すると、


*異言語間の翻訳は大いなる妥協でしかない。


とか、


*個人レベルで、ヒトとヒトとは分かり合えない。


となります(※「翻訳」は不可能だという意味のことを書いた後に、「翻訳」をやっている。これが、「でまかせしゅぎ」です。どうぞ、よろしく)。


     ■


 ところで、


*世界一のベストセラーは、バイブル=聖書だ。


と聞いたことがあります。実際、あれほど多数の言語に翻訳された書物はないのではないでしょうか。しかも、


*何語で書かれて=訳されていても聖典だ。


ということらしいのです。


*聖典としての翻訳を絶対に認めないクルアーン(コーラン)


とは、考え方が対照的ですね。


(拙文「翻訳の可能性と不可能性」より引用)


 翻訳と原著は別物だというのは、突拍子もないたとえかもしれませんが、夏目漱石の『我輩は猫である』の東北弁訳と関西弁訳を想像してみると分かりやすいのではないでしょうか。そんな「翻訳」が二つあったとして、原文というものがあり、その翻訳は原文と「等価なもの」であるはずだ、と頭で理解していても、原文を含めた三者が同じものであるとは日本語の語感が許さないのではないでしょうか。


 語感とは体感にきわめて近く、身体的なものだと思います。理屈や知識でねじ伏せるわけにはいかないという意味です。


(拙文「恐るべき敬体小説(言葉は魔法・第3回)」から引用)



        〇



 似たもの

 そっくりなもの

 同じもの

 ほぼ同じもの

 同一のもの

 等価なもの

 等しいもの


 あなたの持っている消しゴムはどこかにある消しゴムと同じ

 でもそれらは同一ではない。同一のものは世界に一つしかないはずです。

 むしろ、それはそっくりなのです。

 そっくりなところがそっくりなのです。

 激似なのです。

 人は似ているとそっくりしか認識できません。


 その意味で、同じ、同一、等価、等しいは個人のレベルにおいては抽象なのかもしれません。 



 さて、


*「似ている」が、あちこちにあふれている。


一方で、


*「同一である」ということは、きわめて、まれな現象である。


と言えそうです。


 なぜなら、「同一であるものは、原則として=基本的に、ある特定の1ヶ所だけにしか存在し得ない」という屁理屈が理由であるだけでなく、「同一である」ことを、ヒトが知覚したり、知覚した結果を認識し、断言するに至るまでには、かなりの時間=間(=ま・あわい)と隔たり=距離が必要だからです。


*ヒトにとって、「似ている」は「近しい=親しい」現象であるが、「同一である」は「ほぼ知覚不能」な現象である。


と言っても言いすぎではないような気がします。


(拙文「あらわれる・あらわす(8)」より引用)




        〇



 うつす、写す、移す、映す、遷す、撮す、伝染す

 うつる、写る、移る、映る、遷る、撮る、伝染る



印刷 - Wikipedia

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グーテンベルク聖書 - Wikipedia

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        〇


 うつす、写す、移す、映す、遷す、撮す、伝染す

 うつる、写る、移る、映る、遷る、撮る、伝染る



翻訳 - Wikipedia

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翻訳 (生物学) - Wikipedia

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転写 (生物学) - Wikipedia

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 今思い出しましたが、ジェイムズ・M・ケイン作の『郵便配達はいつもベルを二度鳴らす』(または『郵便配達はベルを二度鳴らす』)という邦訳が、田中西二郎訳、田中小実昌訳、中田耕治訳、小鷹信光訳の四種類も楽しめた(つまり本屋に並んでいた)時期がありました。こっちは原著なしで、日本語訳だけを四種類読み比べましたが、わくわくするような体験でした。若くなければできない冒険だと今になって思います。そう言えば、J・D・サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』(または『九つの物語』)もいくつかの訳本がありましたね。私は野崎孝による邦訳しか読んだことはありませんが。


『失われた時を求めて』の井上究一郎訳を私が好きなのは、律儀に訳してあるからです。つまり、センテンスが長くてとても読みにくいのです。ああいうのを難しいとは私は言いません。とにかく読みにくいのです。でも、あれよあれよという感じで気持ち良く読み進めることができました(難しいものはあれよあれよとは読めません、私の場合には)。「できました」と過去形なのが残念です。寂しいです。今は無理ですね。


 井上訳を原文に忠実な訳とは言いません。フランス語がろくにできないのに、偉そうな言い方をしてごめんなさい。あれは忠実と言うよりも、律儀な訳なのです。そもそも外国語の作品を原文に忠実に訳すなんてあり得るのでしょうか。はなはだ疑問です。


 直訳という言葉を思い出しました。そればかりか、意訳、逐語訳、逐次訳、大意、抄訳、完訳、改訳、重訳、超訳、名訳、迷訳、誤訳というぐあいに、次々とあたまに浮かびます。あと、翻案というものもありますね。翻案を広義の翻訳と見なすと、パスティーシュやオマージュや文体模写まで広義の翻訳だと言いたい気分になります。


(拙文「いやだ、ズルしちゃ駄目よという感じでしょうか。」より引用)



        〇


クルアーンの日本語訳 - Wikipedia

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        〇


 うつす、写す、移す、映す、遷す、撮す、伝染す

 うつる、写る、移る、映る、遷る、撮る、伝染る


複製文化(ふくせいぶんか)とは - コトバンク

世界大百科事典 第2版 - 複製文化の用語解説 -  今日われわれは,精巧な複製画や画集によって絵画と向かい合い,レコード

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コピー文化(こぴーぶんか)とは - コトバンク

日本大百科全書(ニッポニカ) - コピー文化の用語解説 - 複製文化reproduction cultureともいう。実物

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特集・レプリカ 文化と進化の複製書物館/工作舎

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        〇




*ヒトがつくるものは、ヒトに似ている。


と前回に書きましたが、今回も、前回に引き続き、


*つくる


の前の段階である、


*似ている


に徹底的にこだわってみたいです。


これを片付けないと、「つくる」に話を移せない気がするのです。「似ている」について考えるさいには、自分自身の実体験や、自分が体感できる経験を材料にするのが、いちばん分かりやすいと思います。何と言っても、世の中でもっとも関心があるのは自分自身であり、もっとも信頼できるのは、自分自身の感性や感覚ではないでしょうか。


(拙文「つくる(2)」より引用)


倉庫A・哲学系

過去のブログ記事のバックアップ集

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 似ているもの

 そっくりなもの

 同じだったり同一かは保留しての話


 そっくりなものはたいてい人間がつくり出したものではないでしょうか。

 そっくりな点がそっくりなのです。

 それくらいそっくり。


 人には同じに見える、そっくりなものには自然物にはない精巧さが備わっています。

 同じものなんて、人がつくらないかぎりないのではないでしょうか。


 人がつくるそっくりなものには、どこか人に似たところがあります。部分的に似ているも含めて。

 人に似ているのは、むしろ人が無意識に似せているからかもしれません。

 自分や自分の仲間に似ているから安心するのです。

 人は不気味なものはつくりません。



 テレビは、「記号」と非常に相性がいいのです。おととい行った電気製品の量販店は、「記号」に満ち満ちていました。商品とか製品は、大量生産されて、そっくりなものがたくさん存在しますね。「記号」というもののイメージは、まさにそれなんです。


*そっくりなものが、多量に並んでいる。そっくりなものが、世界各地に散らばって存在している――。


そういうイメージのものが、「記号」なんです。テレビの売り場なんて、そっくりな(※「同じ」や「同一」とは違います)映像がずらりと並んでいるのですから、それこそ「ほんまもん」の記号だらけなんですよ。はい。


>すべてのものは、「記号」という幻(まぼろし)を発している


今、コピペしたのは、さきほど上で書いた文です。


*幻=まぼろし=間ぼろし=間滅し=魔ぼろし=魔滅し

(拙文「「人面管から人面壁へ」  in  「うつせみのとれーらー(固有名詞・人名編)その2」より引用)


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過去のブログ記事のバックアップ集

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 ところで、こうやって自己引用をしていると、私は以前からいつも同じことを言っているような気がしてなりません。こうやって記事を書いていると既視感の洪水に襲われる気分になります。


 やっていることが同じなんです。同じことを繰り返しているのです。

 そっくりなのです。そっくりな点がそっくりなのです。


 進歩がないとしか考えられません。



        〇






        〇



 個人的には、ばらばらで揃わないものが好きです。

 見ていて安心します。

 仕組まれたばらばらもありますけど、まっいっかという感じです。


 不揃いはいいなあ。








        *


 引用やリンクだらけの長い記事を、ここまでお読みいただきありがとうございます。今回取り上げたテーマは、とても大きな問題ですね。もっと勉強しようと思います。


出演:


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君から遠くはなれて

シブヤから遠く離れて

あの戦争から遠く離れて

彫刻から遠く離れて

起源から遠く離れて

愛から遠く離れて

ミヤコから遠く離れて、みる

江國香織から遠く離れて

歓声から遠く離れて

リバプールから遠く離れて

カフカから遠く離れて

シナリオから遠く離れて

ルイユから遠くはなれて

“ふつう”から遠くはなれて


お疲れさまでした。


 


#言葉


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