書く行為と具体的に向き合う

星野廉

2020/11/27 09:13


 noteでは記事の下に「こちらもおすすめ」というコーナーがありますね。たくみんさんの記事を読んだのは、たしかそれがきっかけだと思います。あのコーナーは投稿された記事を機械が自動的に分析して選んでいるのでしょうか。キーワードの共通する、つまりテーマが似通っている記事が紹介されているような気がします。


 驚きました。noteには多種多様な書き手の方々による多岐にわたる記事が投稿されていますが、たくみんさんの記事にはびっくりしました。自分がふだん考えていること、自分がこれから書きたいこと、自分が書くべきこと――それが書かれているように感じました。僭越であり、たくみんさんには失礼な言い方で恐縮なのですが、自分の分身が書いているのか、そんな不条理な思いもよぎったくらいです。もちろん、嫉妬も覚えました。


 自分の理想とする文章と言っても言いすぎではありません。たくみんさんがどういう人なのかを知りたくはありません。たくみんさんの人間としての背景や属性なんかどうでもいい。そんな思いにする文章なのです。言葉として言葉と出会う、それだけで十分であり、それが正しい接し方だと思います。


 テキスト空間(「文学空間」のもじり)、純度の高いエクリチュール、非人称性、なんて言葉が頭に浮かびました。こういうのを思考停止と言います。哲学や美学や記号論や物語論や文学理論などで出てきそうな抽象度の高い言葉を吐いてお茶を濁すのです。モーリス・ブランショや宮川淳の文章に似ている、なんて具合に固有名詞が出てしまいました。こういうのを自らの失語を回避するためのこけおどしと言います。固有名詞の放つまばゆい光を「虎の威を借る狐」のように利用するわけです。


 こんな言葉を知っているんだよ。こんな人を知っているんだよ。こんな難しい言葉を使えるんだよ。どうだ! なんなら、引用しようか? ――姑息です。


 すべての記事に目を通したわけではありませんが、たくみんさんの文章には固有名詞、専門用語、観念的な語、引用がほとんど出てこないのです。そうした文章の要素を否定する気持ちはありませんが、noteにあって、ひいては文章一般において、これはきわめてまれだと思います。字面だけ見ているとさらりとしてシンプルなのですが、読むと深いのです。はっとするフレーズも多々あります。


 書き重ねる。


 体を張って日々書き重ねる。


 たくみんさんの文章、つまり言葉に、こうやって言葉をかぶせて重ねている自分が恥ずかしく、また空しくなりました。


 ご興味のある方は、ぜひお読みになってください。




「こちらもおすすめ」に感謝します。




 


#エッセイ

#言葉

#散文

#書くこと

#日本語

#文章を書くこと