【掌編小説】 影

 テープレコーダーが作動していました。


 そのことは、はっきりと覚えています。小学六年生の時の記憶です。場所は教室。六年四組。月曜日。そこまで覚えています。何月かは忘れました。


 自分を含めた児童たちが緊張していたのは、室内のほぼ中央の机の上に置かれた、テープレコーダーの存在のせいだけではありません。教室の後ろに、見知らぬ大人の男女たちが肩を寄せ合うようにして集まっているのです。二十人前後はいただろうと思います。ぶーんという、テープレコーダーの作動する音が聞こえていたような気がするのは、今思えば錯覚でしょう。


 それくらいテープレコーダーの存在は不気味で、教室全体に緊張感を漂わせていました。


     *


 道徳の授業でした。まず、教科書に載っているあるお話を、担任の女性教師に当てられた数人の児童が、分担して朗読しました。内容は、オリンピックで金メダルを取ったある球技のチームをたたえるものでした。


 そのチームは、某会社の社員が大半を占め、監督もその会社のチームの監督が務めていました。監督とチームのメンバーたちが、どんなに一生懸命に努力して、五輪での金メダル受賞という栄光を勝ち取ったか。その並々ならぬ努力を児童たちに感動させる。自分たちも頑張らなければならない、という気持ちにさせる。


 教科書をつくった会社も、それを検定して「合格」とお墨付きを与えた旧文部省も、そうした筋書きを想定していたことは、容易に想像できます。こういうのを出来レースと言うのでしょうか。


「はい、ありがとう、N君。さて、みなさんは、このお話を読んで、どう思いましたか? 感想を聞かせてください」


 その直後です。先生は教壇から降り、机のあいだを縫うようにして、教室の空席に歩みより、机の上に据えられたテープレコーダーのスイッチを、カチッと押したのでした。


 手を挙げる児童はいません。やはり、テープレコーダーと、自分たちの背後に立ち並ぶ大人たちの存在が、いつもの打ち解けた気分になるのを妨げています。そのうち、ためらいがちにぽつぽつと手が挙がり、意見の発表が行われました。めでたし、めでたし。これで、先生の顔も立った。そんな感じで時間が過ぎて行こうとしていました。


 ある児童が手を挙げました。普段はわりと無口な生徒です。いたずらも、よくします。通知表の「落ち着きがない」という項目には、一年生の時から決まってチェックマークがついていた子でした。


「Kさんたちは、ずるいと思います。同じ会社の人たちが一生懸命に働いているあいだに、監督さんと練習ばかりしてお給料をもらっているのは、おかしいと思います。オリンピックは、アマチュアの祭典だって、教科書にも書いてあります。練習は、ほかの人たちと一緒にお仕事をやったあとからしたほうがいいと思います。プロ野球の選手たちとは違います。だから、この話は変だと思いました」


 もちろん、その子の話したことを忠実に再現したわけではありません。ただ、その発言の趣旨からは、ずれていないと思います。発言に出てきた「Kさん」というのは、優勝チームのキャプテンの苗字です。監督の名前とともに、国民的英雄として、そのころは全国的に知られた人でした。昔の話です。今のようにオリンピックにプロが登場するなんて、考えられなかった時代の話です。


 教室内が、ざわめき始めました。話し声が聞こえてきます。話しているのは、児童たちではなく、教室の後ろでひしめき合っている大人たちでした。その日の授業は、他校の教師たちが授業参観をする――何と呼ぶのでしょうか――研修会の一部だったのかもしれません。


 後ろから、こそこそ話し声がするけど、何だろう? 後ろに近い席にいた、さきほどの発言をし終えたばかりの子は、そんなふうに思ったようでした。顔を窓のほうに向ける振りをして、大人たちの様子をうかがいました。その子の顔に、驚きの表情が浮かびました。大人たちがしきりに頷いているのです。笑みを浮かべている人もいます。険悪な雰囲気でないことは、直感的にわかったみたいでした。


 その子は、少し心配だったようです。放課後に、担任の先生から叱られるのを、ある程度覚悟していたと思われます。小学六年生だと、それくらいの見当はつきます。やっぱり、ちょっとまずいことを言ったのかな?――。 授業が終わるまで、その子はずっとうつむいていました。


 授業後も、その翌日も、先生はその子を叱りませんでした。当時は、そうした発言を許す教師たちが、多かったのかもしれません。現在の風潮を思うと、ちょっと考えられないような話だという気がします。そういう時代だったのでしょうか。教職員の組合が強い時期だったのでしょうか。


 そういえば、こんなこともありました。


 確か、自分が小学三、四年生のころです。学校で、学年別に映画鑑賞に出かけた日のことです。映画は、ディズニー製作のアニメーションでした。午前中に映画を見終わり、児童たちは学校にもどりました。給食の時間が過ぎ、午後からは映画の感想をクラス内で話し合う特別授業になりました。


 いい映画だった。いろいろな動物たちが出てきて楽しかった。出てきたうちでは、お母さんライオンがいちばん好きだ。絵がきれいだった。動きが自然で感心した。意地悪な人間が出てきたのが嫌だった。なかには悪い動物もいたけど、やさしい動物がたくさんいて感動した。あんな世界で暮らしてみたい。


 クラスの児童たちの口からは、だいたい以上のような感想が出ました。ある子が挙手もせず着席したまま、こんなことを話し始めました。


「動物なんて一匹も出なかった。全部、人間みたいだった。だって―― 」


 教師は、その子の発言をさえぎりました。その子は担任のその男性教師から、頬や腕をつねられたり、閉じた教科書の背で頭を叩かれたことが、数えきれないほどあったみたいです。担任の教師からは、嫌われていましたが、その子がほかの子たちからいじめを受けることはありませんでした。普段はあまりしゃべらないけど、いたずらはよくする。ときどき突拍子もないことをポツリとつぶやき、みんなを笑わせる。そんな子でした。


 男性教師から発言をさえぎられた子と、さきほどテープレコーダーの作動する部屋で発言をした子は、同じ子です。発言をさえぎった教師は男性、話し終えるまで発言をさせた教師は女性で、別人です。現在では、もう大人になったその子は、五年生になって出会い、二年間担任だったその女の先生に、今も年賀状を出しているそうです。先生からは、返事という形で一月五日前後に年賀状が来るのに、今年は来なかったといいます。そのことが、気にかかってならないようです。


 話は変わりますが、自分の人生を集約的に表している一枚の写真を選べと言われたら、「これです」という具合に、他人に見せられるものがありますか?


 自分は、今、二枚の写真を机の上に置いています。久しぶりに見る写真です。さきほどからお話している子が映っています。これこそ、その子の人生の縮図だと言っても言い過ぎではない写真です。保育園児だったころの、その子の全身が映し出されています。白黒です。おぼろげながら、その時の状況を覚えています。そうです。その子とは幼なじみなのです。


 その日は、保育園の発表会でした。二枚のうちの一枚の写真には、舞台の上に、八人の園児が前後二列になって並んでいる様子が映っています。互い違い、つまり上から見ればジグザグに整列しているために、観客席から見ると八人の姿が重ならないように配置されています。その子は、前列の右から二番目にいます。


 子どもたちは、頭に紙製の帯を巻き、その帯の正面には花形だの星形だの丸形だのといった大き目の、これまた紙で出来た模様をつけています。その子は白っぽく映っている丸形の模様を額につけています。


 もう一枚の写真も、同じアングルから同じ子どもたちを撮ったものです。同一人物が撮った写真でしょう。こちらの写真には、両手を上げ、両足を交互に上げ下げしてお遊戯をしている子どもたちの様子が映っています。その子も踊っていますが、どこかぎこちない感じがします。ほかの子たちに比べて動きが小さいのです。自分がやっていることに納得していない様子がうかがわれる。そんな感想を述べれば、それは考えすぎだと言われるかもしれません。


 先に紹介した、園児が整列している写真に話をもどします。ほかの七人がちゃんと気をつけの姿勢をしているのに、一人だけが足を開いています。それが、その子です。舞台の上のほかの子どもたちは、口をしっかり閉じて、指をそろえて伸ばした両手をぴったり腿につけています。その子だけが、口を半分ほど空けています。両手もわずかに曲げています。


 正面から見て前列の右にいる、つまりその子から見て左隣にいた別の子が、足を広げたその子のほうに顔を向けて、心配そうな目つきで見ているのが、おかしさをかもし出しています。舞台の上と観客席の両方に、緊張感が漂っていたのは確かです。


 そのとき、誰かが、たぶん先生、つまり保母さんたちだったと思いますが、しきりにその子に注意をしていたような記憶があります。


「Jちゃん、気をつけ、気をつけをして――」


 観客席にいたその子の親が、目を伏せるか、両手で顔を被っていたような記憶もありますが、昔のことなのでよくは覚えていません。大人の目でこの写真を見ているせいで、今の気持ちから勝手にそうした記憶を作り出しているのかもしれません。


 そんな子どもでした。推して知るべし、いわゆる問題児だったようです。今は、変人でしょうか。周りからはそう思われているにちがいありません。それはもう、毎日ひしひしと感じています。でも、とても涙もろい人です。根はいい人だと信じているので、別れずにいます、影みたいに。長い付き合いをさせていただいております。