ここはどこ?

2021/03/30 08:37


 ここはどこなのだろうとよく考えます。自分は誰なのかとか、自分とは何なのかという気持ちとは違います。自分という存在を保留あるいは度外視した上で、ここはどこなのかと考えるのです。


 施設や病院に収容された人が一番よく口にするのは、「私は誰?」ではなく、「ここはどこ?」と「(あなたは)どなた?」だと言われます。自分は何ぞやという問いはよほど心に余裕がないと頭に浮かばないのではないか。そんなふうに想像しています。


 施設で面会した母が言った「ここ、どこなの?」が忘れられません。似た状況に置かれれば、私もそう言うはずです。「ここはどこ?」という問いに、捨て置かれた人間の寄る辺なさと切羽詰まった人間の叫びを感じます。


 根源的な疑問と言ったら言いすぎでしょうか。人は生まれて「ここはどこ?」とおぼろげながら感じ、ここはどこなのだろうと時折考えながら生き、「ここはどこ?」とおぼろに思いながら亡くなる、無くなる。


        *


 今こうして文章を書いている場所は自宅の居間なのですが、ここはどこなのでしょう。頭では分かっている気がするものの、よく考えると不明になります。PCに向かって文章を入力している時には、いったいどこにいるのでしょう。


 ブログサイトにログインしてキーボードを叩いて画面に直接記事を書いている最中には、ネット空間にいるとでもいうのでしょうか。それは抽象だという気がします。大学ノートにペンを走らせ文字をつづっている際にはどこにいるでしょう。居間にいるのは確かなのですけど、今お話ししているのはそういうことではないのです。


 小説を読みながら、あれこれ情景を思い描いているあなたは、どこにいるのでしょう。映画に見入っているあなた、音楽を聞いているあなた、トイレでぼーっとしているあなた、そして、この記事を読んでいるあなたはどこにいるのでしょう?


 病院の待合室なんかでスマホでゲームをしている人を見ると、あの人はどこにいるのかと考えこんでしまいます。あと車や電車で移動している人も――自分を含めてですが――どこにいるのか分からなくなります。どうやら私は意識について考えているようです。身体と意識を分けて考えているということでしょうか。


 意識と体はつながっているはずなのに、別々のものとして意識しているらしいのです。とりとめのないことをくだくだと書いて、申し訳ありません。実は今眠いのです。あっ、怒らないでください。冗談ではなく真剣なのです。正気だと言う自信はありませんが、本気なのです。


 ある思考実験をしているとも言えます。


 夜、寝入る時の感覚が好きです。意識だけになってすっと夢うつつの境地に入っていく時、この上ない安らぎを覚えます。寝際には論理的な思考が希薄になりますが、道理や筋道にかなった思考ではすくい取れない物や事と触れ合う時空の中にいる気もします。


 お酒や薬物の助けを借りなくても誰もが毎晩経験するであろう、「そうした夜の思考」を大切にしたい。「そうした夜の思考」について考えてみたい。「そうした」と失語症的な言い方しかできないものに、あえて言葉を与えてみたい。眠気の中にいて、今そんな気持ちでいます。




※この文章は「夜の思考」というマガジンに収めます。「夜の思考」では、小説とエッセイと批評の間を行き来しながらとりとめなく連載をしていきたいと思っています。




#エッセイ

#言葉

#思考

#夜

#意識

#場所