【note版】電子書籍って何? ―無名の書き手の立場から―

星野廉

2021/05/02 08:08



「【掌編小説】顔 ――五つの物語――(言葉は魔法・第6回)」という私の記事を読んだ方から(Twitterもやっているnoterさんです)、私が電子書籍化している「電子書籍って何? ―無名の書き手の立場から―」という文集が面白かったから、noteで紹介してみたらどうかという提案を受けました。



言、葉、は、魔、法。<言葉は魔法・008>

星野廉 2020/12/09 13:24  言葉は魔法。 「言葉は、魔法……。」 『言葉は、魔法——。』  言、葉、は、魔

renssoko.blogspot.com

上の「【掌編小説】顔 ――五つの物語――(言葉は魔法・第6回)」という記事では、「ネット上で書いている人たちへのエール」へというタイトルで、以前にnoteに投稿した記事(bloggerにバックアップがあるのです)を紹介していますが、それと同じように「役に立ったから、ぜひ」とその人に言われたのです。


※「言、葉、は、魔、法。<言葉は魔法・008>」も過去の記事ですが、ネットでの創作活動(特に書き方や表記)について本音を述べています。


電子書籍に改めて目を通してみると、恥ずかしい箇所が多々あるのですが、確かに今も当てはまる内容なので、noteの記事として紹介することにしました。noteのほうがさくさく読めるからです。これだけのデータ(39,095文字)が記事にできるのだから、noteはすごい! とどっこいしょ。


上の記事では、「ネット上で書いている人たちへのエール」へというタイトルで、以前にnoteに投稿した記事(bloggerにバックアップがあるのです)を紹介していますが、それと同じように「役に立ったから、ぜひ」とその人に言われたのです。


電子書籍に改めて目を通してみると、恥ずかしい箇所が多々あるのですが、確かに今も当てはまる内容なので、noteの記事として紹介することにしました。noteのほうがさくさく読めるからです。電子書籍に限らず、広くネット上で創作活動をしている人たちに役立つだろうと思われる「裏話」や「本音」も含まれています。


なお、古いデータはそのままにしてありますので、ご了承ください。


現在の私は、この電子書籍を書いた当時とは異なる境遇にあり、考え方もかなり変化していることも申し添えておきます。



■『電子書籍って何? ―無名の書き手の立場から―』


もくじ

・もくじ

・ある夏の出来事 (「はじめに」に代えて)


1.私がインディーを選んだわけ

2.電子書籍って何?

3.電子書籍は、なぜ安いのか?

4.電子書籍は売れない?

5.新しい文学の形と、新しい文章

6. いつもピカピカの本

7.電子書籍が売れないのは当然?

8.電子書籍のブログ化&ブログの電子書籍化


電子書籍って何? —無名の書き手の立場から—|パブー|電子書籍作成・販売プラットフォーム

電子書籍って何でしょう? そんな疑問から出発し、無名の書き手の立場から電子書籍の現状をつづっています。gooブログとAme

puboo.jp

目次

ある夏の出来事 (「はじめに」に代えて)

1.私がインディーを選んだわけ

2.電子書籍って何?

3.電子書籍は、なぜ安いのか?

4.電子書籍は売れない?

5.新しい文学の形と、新しい文章

6.いつもピカピカの本

7.電子書籍が売れないのは当然?

電子書籍のブログ化&ブログの電子書籍化 (前編)

電子書籍のブログ化&ブログの電子書籍化 (後編)


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ある夏の出来事 (「はじめに」に代えて)


「小説家になろう 」 http://syosetu.com/ というサイトがあります。私が知ったのは2010年の3月頃でした。グーグルで検索をしていて偶然に見つけたのです。 トップページの上部に小さめの文字で、


小説家になろうはオンライン小説、携帯小説を掲載している小説投稿サイトです。 小説掲載数170,644作品。登録者数245,778人。


と記されています。【2012年7月16日現在】


私はそのサイトを利用し始めました。それまでに書き溜めていた小説の草稿に加筆し、サイトに投稿するになったのです。


     *


その2010年に、私にとって、ある大きな出来事がありました。


上記の「小説家になろう」のサイトにある右側のコラムをご覧ください。コラムの中央に「お便りコーナー」があります。


そのなかに、「第10回:星野廉先生」という文字が見えます。もっとも、今この文章を書いている、2012年1月11日現在のことですから、そのうち消えるでしょう。


「第10回:星野廉先生」をクリックすると、「小説家になろう」の運営に送った、私の書いた以下のメールがあります。


     ◆


 それは一通のツイートから始まりました。


「小説家になろう」の手引きの中に、ツイッターなどを利用して、自分の書いた小説について出来るだけ多くの人に知らせよう、という意味の項目があります。


 私は愚直に、そのアドバイスを守っていました。具体的には、「小説家になろう」のサイトと、自分のブログをリンクさせ、ブログランキングに参加したり、ツイッターで自著の更新などを発信していたのです。


 そして、ある日、教育〇ザイン〇究所という出版社の社長様から、児童向けの短編集を電子書籍として出版してみないか、というお言葉をツイッターでいただきました。


その結果、ほぼ1カ月で「ひとりじゃない」というタイトルの電子書籍が出来上がり、出版の運びとなったのです。社長様の言葉に嘘はありませんでした。たった1カ月で夢が実現したのです。


「九つの命」「ねえ、傘、貸して」「輝きの日」「トイレ同盟」――この4編がアンソロジーとして、今回出版されました。


  500円というワンコインでお求めいただけます。


 アドバイスなどという不遜なことをするつもりはありません。ただ、これだけを言わせてください。


 ユーザのみなさん、このサイト内だけでなく、広い層の人たちに自著を読んでいただく努力をしてみませんか。


『ひとりじゃない』  星野廉著・〇育デザイン研〇所発行  価格 500円(税込)  


 以下の書店などで販売されています。書店のサイト内に入り、「ひとりじゃない」で検索をしてください。


 電子書店パピレス

 紀伊國屋書店 BOOK WEB http://bookweb.kinokuniya.co.jp/indexp.html  

 ジュンク堂書店 電子書籍サイト http://www.ebookbank.jp/junkudo/ep/top/  

 八重洲ブックセンター 電子書籍ダウンロード販売 http://www.ebookbank.jp/ybc/ep/top/  


 なお、以下の私のブログでも、ご案内しております。  


 「うつせみのあなたに」 : http://blog.goo.ne.jp/utsusemi_12 



     ◆


只今引用した、私の「お便り」のなかで、〇があるのは、たいした意味はありません。ご想像にお任せします。


     *



「お便りコーナー」は、「小説家になろう」のメンバーが「プロデビュー」した際に運営に送って感謝の意を表明するものだ、と考えられているようです。


以上は、私にとって、「ある夏の出来事」でした。苦い出来事だったと言うべきでしょう。


     *


この本は、私にとっては「大きな出来事」だった上述のお話がベースになっています。


同じような「出来事」を体験なさった、作家志望者、セミプロの作家、無名の書き手の方々が急増しているのを、現在私は肌で感じます。


     *


そうした方々だけでなく、そうなるであろう方々にも向けて、私はこの連載を続けるつもりです。


今そうした方々は幸せでしょうか? 満足なさっているでしょうか?


それが気になってなりません。電子書籍は、私にとっては大きな悩みの種だからです。さらに言えば、この連載を書いているのも、その悩みの種を解消したいからに他なりません。


     *


電子書籍をめぐる状況と環境は、急速に変わりつつあります。あの「ある夏の出来事」は、現在では誰にでも起こり得る出来事になってきています。


誰でも、本が作れるのです。ただし、プロの作家を目指す人にとっては、すべてが順調にいくとは言えない厳しい情勢があります。


なぜなのかは、この連載をお読みになるうちに、きっとお分かりになるだろうと思います。





1.私がインディーを選んだわけ




 現在、私は電子書籍を自分で作って販売しています。いわゆる「インディー(インディペンデント)」です。みなさんも、電子書籍を作ってみませんか。


 ブログ感覚で簡単に作れます。


 出版社や編集者などの業者抜きで出版できます。 したがって、業者から当然のように押しつけられた出版契約書により、


自分の作品の出版権あるいは電子出版権や、販売権(※著作権とば別です)


を、数年間にわたって業者に握られることもありません。


 また、


著作権使用料(いわゆる「印税」)


の振り込み金額が、たとえば1万円に満たない場合には、支払いを次回に持ち越す――などという、薄利な電子書籍の売り上げに関する、悪質な契約条件を押しつけられることもありません。そもそも、売り上げの正確な数値を、著作権者(作者)が確認することは可能でしょうか?


     *


 私の場合には、電子書籍の作成・販売のサービスを提供している「ブクログのパブー」http://p.booklog.jp/ を利用しています。


 このサービスの中に、有料の本の課金や決済の処理までが含まれているのは、とても助かります。


 基本的に0円で、本が作れるのです。


 いわゆる「印税」も業者に委託するより、ずっと多く、本の価格の70%です。


 今、「0円で、本が作れる」と書きましたが、1冊の本を作るために著者が費やす時間と労力は計りしれません。良い本を書くためには、長い時間と並大抵ではない苦労が必要です。0円どころではありません。


 本の価値は、コンテンツ(中身)とそのクオリティ(質)で決まります。


 その点を誤解なさらないようにしてくださいね。


     *


 さて、電子書籍を作る際に、知っておかなければならない大切なことがあります。


 まず、校正・編集・レイアウト・表紙作り(※文字だけでもできますが、イラストや写真を使えばきれいな表紙になります)・挿絵といった作業は、当然のことながら、


すべて自分でしなければなりません。


 やろうと思えば、ひとりでできます。電子書籍だからです。紙の書籍では、まずできないでしょう。また、不得意な作業だけを他人に依頼するという方法もあるでしょう。


「校正や編集はプロでなければできない」と言う人たちがいます。残念ながら、あるいは、幸いなことに、そうした時代は終わりつつあります。


 たとえば、小学生・中学生・高校生たちの書いているブログを、お読みください。自由奔放な書き方と表記法が、ネット上では既に現実のものとなっているのです。それが紙の印刷物にまで影響をおよぼしています。


 今述べた現象は、日本語だけのものではありません。簡単な例を挙げましょう。


srry i cant understand u


Sorry, I can't underdstand you.


という具合です。


     *


 次に、最も大切なことを挙げます。


 宣伝をして売るのは、自分だということです。多くの人に、自分の名前と作品名を知ってもらい、さらに買っていただくための努力をしなければなりません。


 電子書籍を作成し販売する業者が、親切に大々的な宣伝までしてくれることは、まずありません。マーケティングも宣伝も、著者である自分がしなければならないということです。


 そうであれば、0円で電子書籍化するのが賢明な選択だと思います。


 ただし、すべてを自己責任で行う覚悟が必要です。「ブクログのパブー」は、そうした覚悟のある、志の高い人にとって最良のプラットフォームです。


 パブーを盛り上げれば、パブーに作品を載せていることがステータスになり、ひいては自分の本の宣伝にもなります。


 自著の出版化をお望みのみなさん、一緒に頑張りませんか。


【※私は「ブクログのパブー」の宣伝要員ではありません。「パブー」の方針に賛同し、「パブー」を愛しているだけです。憶測や誤解を招かないために申し添えておきます。】





2.電子書籍って何?




私は、パブーというサイトを利用して、


インディーで電子書籍を作成・販売


しています。インディーとはインディペンデントの略語ですから、独立系とか、電子書籍関連の業者による縛りがほとんどない状態という意味です。


そんなわけで、


「電子書籍って、何?」


とよく尋ねられます。


実を言うと、2年前(2010年)の私は電子書籍が何なのか、ぜんぜん知りませんでした。


私は、小説とエッセイを書いています。以前から、自分のブログや、オンライン小説を投稿するサイトに作品を載せていました。


書いているだけでは、誰も読んでくれませんから、ツイッターで「小説を書きました」みたいなことを書いて、作品へのリンクを添えておきました。


     *


2010年の夏に、


「小説を電子書籍化してみないか」


と、ある出版社の社長からツイートをもらいました。


私としては、「はあ?」という感じでした。


その時には、


電子書籍という言葉は知っていましたが、具体的にどんなものなのかは知りませんでした。


書籍というのだから本だ――。


電子が付いているのだから、紙の本じゃない――。


ということは、CDやDVDやブルーレイの形で書店で販売されているに違いない――。


それをパソコンで読むのだろう――。


そうか、そうか――。


と思い込んでいたのです。


     *


さっそくワード文書化された小説を添付ファイルにして、声を掛けてくれた出版社にメールで送りました。


その時点でも、


「私の書いた小説が書店の店頭に並ぶんだなあ」


と思っていました。


ところが、そうじゃなかったのです。


     *


電子書籍は、基本的には、配信される音楽や着メロと同じだったのです。


それを知った私は、びっくりしました。


購入の仕方を説明します。


1)電子書籍を扱っているネット上の書店に、パソコンでアクセスします。


2)その店にユーザー登録します。これは無料です。


3)買う本を探します。タイトルや著者名で検索できます。


4)「表紙」と一緒にタイトルと著者名が画面に映ります。それをカートに入れて買うのです。


5)代金は、クレジットカードや、コンビニ決済・銀行振込・ゆうちょ振替・Webmoney で払います。ただし、クレジットカード以外では手数料がかかる場合があるので注意してください。


     *


購入が完了すれば、あとは


そのネット上の書店サイトで直接オンラインで読むか、電子書籍をダウンロードして読むか


だけです。 つまり、


電子書籍のお買い物は、音楽配信サイトで曲を買ってダウンロードするのと、同じ


です。


無料本と、試し読みできる有料本と、試し読みできない有料本があって、購入後は、その「電子書籍=本」をオンラインで読むか、ダウンロードして読むか、だけなのです。


     *


どうやって読むのかというと、


1)ダウンロードはしないで、PCを使ってオンラインで本を読む(一度購入すれば何度でも読めます)。パソコンの画面で読むわけですから、読みやすいです。今は、横書きがほんとどです。


2)PDFの形でダウンロードしても読めます。PDFだと自由に保存ができ、他のパソコンでも読めます。


3)スマートフォンなどで読む。この方法については、後で説明します。


ね、音楽配信サイトから曲をダウンロードするのと同じでしょ。


     *


以上は、私が利用している「ブクログのパブー 」での電子書籍の買い方と読み方の説明です。他の電子書籍店や電子書籍扱い店でも、ほぼ同じです。


パブーのマニュアル では、電子書籍について分かりやすく解説されています。もくじを見て、自分に必要な部分だけをお読みください。


上で説明しなかったスマートフォンやタブレット端末(電子書籍リーダー)での読み方も書いてあります。つまり、iPhone・iPad・Android端末・SONY Reader・kindle などを使っての読み方です。


     *


どうでしょう。お分かりいただけたでしょうか?


繰り返しますが、以上は、私が利用している 「ブクログのパブー」 での電子書籍の買い方と読み方の説明です。他の電子書籍店や電子書籍扱い店でも、ほぼ同じです。


「パブーのマニュアル」では、電子書籍について分かりやすく解説されています。もくじを見て、自分に必要な部分だけをお読みください。


上で説明しなかったスマートフォンやタブレット端末(電子書籍リーダー)での読み方も書いてあります。つまり、iPhone・iPad・Android端末・SONY Reader・kindle などを使っての読み方です。


     *


パブー内にある私専用の「マイページ 」には、小説6編とエッセイ集16編が収めてあります。


当初は、一部を除く本を有料にしていました。現在(2012年)は、


全作品を無料


にしています。


なぜ、無料にしたのか


は、本書で徐々にお話しします。


     *


試しにオンラインで、あるいは PDF や ePub をダウンロードする方法で、無料の電子書籍を読んでみませんか。私の本は


全部無料


ですよ。なんて宣伝してしまいました。以下に、関連のリンクを紹介しておきます。





3.電子書籍は、なぜ安いのか?




みなさん、ネット上の電子書籍専門店や、電子書籍を扱っている書店を、PCや携帯やスマホで訪ねたことがありますか? 初めて、バーチャルなお店に入って気付くことは、まず本の値段が安いことでしょう。


へーっつ、やっすいなー、と思うに違いありません。


宣伝になってしまうので、具体的なお店の名や書籍名は書けませんが、だいたい次のような価格です。


そうですねえ、


単行本の2分の1か、3分の1くらい。文庫本の70%前後でしょうか。


なかには、無料本を置いてあるサイトもあります。


なぜ、そんなに安いのでしょう?


電子書籍についてよく知らない人でも、ちょっと考えれば分かると思います。


電子書籍の前に、紙の書籍から考えてみましょう。


     *


かつて自分の書いた小説を紙の本にしたくて、出版業界の人を訪ねたことがあります。


――あのう、この小説を出版したいのですが……。

――無名の君が本を出すんだよね。

――あ、はい、そうです。

――君、いくら出せる? 

――はあ? 私がですか。

――他に誰かいる? 

――誰って、私の家族とか親戚という意味ですか。

――まあ、そう思ってくれてもいいけど、いくら出せる?

――あのう、出版社さんのほうは出してくれないんですか。

――無名の作家の君にかい? まさか、出すわけがないじゃない。1編の本を出版するのに、いくらかかるると思う?

――さあ?

――その原稿の量だと、最低300万円は必要だね。それだけのお金を、君か君の親御さんが負担してくれるのなら、たぶん出版できる。ただし、それは自費出版という形になる。自費出版の場合、本気で売るつもりなら、宣伝費にもっとお金がかかる。だから、300万出せないのなら、諦めるんだね。

――あ、はい……。

――それより、君、文芸誌を出している出版社主催の新人文学賞に応募してみればいいのに。それが、一番手っ取り早い方法だろうね。で、受賞する自信はある?

―― いえ……。お忙しいところを、どうもありがとうございました。


以上です。


     *


早い話が、紙の本を1編出版するのには、


最低300万円かかる


ということですね。


その300万円には、人件費(編集者・その助手・校正者など)、印刷費(紙やインクや機械の稼働費や人件費を含む)、広告費(新聞・雑誌・その他のメディアにタイトル・著者名・キャッチフレーズなどを載せる)、運搬費(紙の本を印刷所から出版社や書店へとトラックなどで運ぶ)、書店内で本が目立ついい場所に置くための費用(いわゆる平積みするためにはお金がかかる)などが入っているらしいのです。


私は業界人ではありませんから、自分の体験と、他の作家志望者の方々から聞いた話を、上で再構成してみました。


300万円という金額にも、数々の異論があるに違いありません。


     *


さて、電子書籍です。


上記の300万円の内訳に、もう一度目を通してください。無名の書き手が、自分でできそうな作業はありませんか? 人にもよりますが、紙の本なら難しいですよね。


たとえば、あなたは北海道から沖縄にいたる多数の書店に、トラックで自分の本を運ぶことができますか?


でも、


コンテンツ(作品・原稿)さえあれば、電子書籍の作成と販売は0円で可能です。そういうサイトがあります。


ただし、


編集・校正・宣伝を自分でできる人は限られている


と思います。


そうであれば、自分の不得意な作業だけを専門家にお金を払って任せる手もあるでしょう。その場合には、それほど大金はかからないと思われます。


みなさん、次のように考えてみてください。


自分が小説なり、論文なりを書く。それをワード文書にする。そのワード文書をPDFに落とす。


それで出来上がったPDF文書は、立派な電子書籍です。


あとは、それをダウンロードという形で、ネット上の店からお客さんたちに配信し、さらに課金・決済を代行してくれる、多数の業者のうちで良心的なお店を選ぶ。


それだけです。どうですか? 安くできますよね。


紙の本を出している大手や中小の出版社も、基本的にはそうやって電子書籍を出しているのです。インディーで、つまり個人で電子書籍を発行(出版)している人たちも同じです。簡単に言えば、そういうことです。


だから、電子書籍は安いのです。


個人と業者、無名と有名、素人と玄人、アマ or セミプロ or プロ――。今後は、そうした境い目があいまいになってくると言われています。


     *


最後に最も大切なことを挙げます。


1)書き手は、コンテンツ(本の中身)とそのクオリティ(質)を、どれだけでも良いものにすることに専念するのが理想である。


2)本作りにおいて、書き手が苦手な作業は、良心的な業者や、プロではないがそこそこのノウハウを持った人にお金を払って任せるのが賢明だと言える。


これまでに、私は電子書籍で小説を6編とエッセイ集を11巻出しました。それで得た最大の教訓は、


宣伝は難しい


です。というか、


めちゃくちゃ難しい


です。


びっくりするほど、電子書籍というものは売れないのです。


宣伝が不十分であれば、当たり前ですよね。


特に


無名の個人


の場合には悲惨です。半端じゃなく骨が折れます。これを日々痛感しております。


めちゃくちゃ簡単につくれるが、めちゃくちゃ売るのが難しい。


ということです。






4.電子書籍は売れない?




これまでに私は小説6編とエッセイ集11巻を電子書籍で出しました。で、よく尋ねられるのが「売れるでしょう?」とか「儲かるでしょう?」という、やや間接的な質問です。「何冊、売れましたか?」とか「いくら儲かりました?」という直接的で露骨な言い方ではありませんが、ほぼそういう意味だと理解してもいいでしょう。


電子書籍は次のように分類できると思います。


1) 無名の個人が書いた本 : これは事実上、書き下ろし、つまり初めて活字になる本です。著者は無名ですから、宣伝が大変です。宣伝するには大金が必要です。何らかのマスメディアで取り上げられたり、「この電子書籍は面白いですよ」という具合に有名人や識者が紹介してくれる、といった奇跡的な出来事が起こらない限り、売れません。


2) 単行本→文庫本→電子書籍という、二番煎じと三番煎じの本 : これはおいしいですね。著者も出版社も3度売るチャンスがあるのですから。特に、売れっ子の本なら確実に儲かります。


     *


さて、1)の場合ですが、ビジネスとして考えた場合には悲惨です。以下のような架空の会話で説明しましょう。


――やあ、久しぶり。半年前に出した例の電子書籍、売れてる?


――それが……。


――6カ月も経ったんだから売れただろう。ようやく、作家デビューって感じだね。これからは、××君、じゃなくて、××先生って呼ぼうかな。


――いえ、いえ、紙の本じゃないから、作家だなんて言えませんよ。


――またまた、そんな謙遜をして。ツイッターや、ブログや、SNSを使って、一生懸命に宣伝していたじゃない。ぶっちゃけた話、いくら儲かった? というか、何冊売れた?


――(ばつの悪そうな顔をして、人差し指を立てる)


――指、一本か。てことは、300円の本が一千冊? すごいじゃないか、インディーの電子書籍だから印税は7割だって言ってただろう。つまり、300円かける 0.7 かける 1,000 冊……。21万円? すごいじゃない。きょうの夕飯、おごってよ。


――そ、そうじゃなんです。(そう言いながら、再び人差し指を立てる)


――どうしたの? 泣きそうな顔をして。じゃあ、100冊で、2万1千円?(会話のテンションが下がる。) 


――(首を横に振る)


――悪かったね……。(1つ咳払いをする)そうかあ、10冊かあ。(会話のテンションが完全に落ちる)


――そ、それが……。


――え? もしかして、1冊?


――友達がお情けで買ってくれたのを除くと、1冊だけしか売れていないんだ。


――どっ、ひゃー!! アンビリバボ! あり得ない。


――それが、あり得るんだよ。(もう、泣き顔)


以上の会話はフィクションですが、90%以上は事実に基づいています。


     *


電子書籍が売れないことについては、本書の「3.電子書籍は、なぜ安いのか?」 というタイトルの記事とも大いに関係があるので、ご参照ください。


その「電子書籍は、なぜ安いのか?」 でも書きましたが、上の1)の場合には、


宣伝が難しい


ということが大きな理由になるでしょう。もちろん、その電子書籍の内容とクオリティも大いに関係ありますけど。


電子書籍の販売では薄利多売が原則です。


そうした面のある電子書籍を販売するさいには、電子書籍の作成から販売までを業者に委託する方法があります。


気をつけなければならないのは、半ば強制的に、あるいは著者の無知に付け込んで、業者が出版契約書を当然のように押しつけてくることです。これは怖いというか、要注意です。


電子出版権と販売権を握ってしまう業者が多いからです。


上の1)では、著者は初めて電子書籍で作品を発行(出版)するのがほとんどだと考えられます。


繰り返しますが、電子書籍の販売は薄利多売です。では、業者は多売してくれるでしょうか。つまり、本の著者名(ほとんどが無名です)とタイトル名をたくさんの人たちに知らせるために、大々的な宣伝をしてくれるでしょうか。


まずしてくれないでしょう。宣伝をするとすれば、大金を投じる必要があるからです。業者はボランティアや慈善事業をしているわけではありません。ビジネスとして、お金を儲けるのが業者の役割です。


     *


こんな例を聞いたことがあります。


電子書籍を作成・販売している業者のなかには、本の電子出版権と販売権が作者ではなく業者にあると契約書に明記するものがあるそうです。そこまでの作業を業者に委託する義理は作者にはないのにもかかわらずです。


つまり、業者が電子書籍を、いわば人質のように取ってしまうのです。


それだけではありません。業者が本の電子出版権と販売権を、何と5年間も独占するとうたう契約書を、作者に「押しつける」というのです。ここでの「押しつける」という言葉は、業者が作者の無知に付け込むという悪質な行為を指します。


さらに業者は、


本の販売価格 × 本の販売部数 × ★%(★は業者によって違います) = 著作権使用料(業者が作者に代わって本を作成・販売する金額)


という計算を契約書に明記します。


繰り返します。電子書籍は薄利多売が原則です。上の計算にある著作権使用料(いわゆる「印税」です)は、無名の作者であれば小額でしょう。


通常、業者は「印税」を作者に支払う場合に、銀行口座に振り込む方法をとります。ただし、振り込み金額が1万円に満たない場合には次回に繰り越すと、契約書に明記するという、きわめて悪質な業者もいるとのことです。


それが5年間も続くというのです。


    *


そういう悪質な業者は何を企んでいるのでしょう。次のように考えられます。


A)契約書の取り交わしに無知でビジネスに疎い作者を、無料で電子書籍を発行(出版)するというエサで釣る。


B)作者から受け取った作品を電子書籍化する(これはきわめて簡単な作業です)。


C)自分のサイトなどで本を売るが、面倒な宣伝はしない。宣伝している振りはする。


D)本が少し売れればそれでいい。


F)印税が1万円にまで達することはないから、無知な作者にどんどん作品を書かせる一方で、同じような無知な作者に片っ端から声を掛けて集める。そして例の契約に持ち込む。


何と気楽な商売でしょう。


     *


残念ながら、日本での電子書籍の認知度は低いです。


みなさん、電子書籍って何かご存知でしょうか? お知りになりたい方は、本書の 「2.電子書籍って何?」 をどうかお読みになってください。


電子書籍がどんなものかは知っているが、どうやって出せばいいのか分からない――。そうした方は、 本書の「1.私がインディーを選んだわけ」 をお読みください。


     *


冒頭の2)が残っていますね。以下にコピペします。


2) 単行本→文庫本→電子書籍という、二番煎じと三番煎じの本 : これはおいしいですね。著者も出版社も3度売るチャンスがあるのですから。特に、売れっ子の本なら確実に儲かります。


この場合には、作者も出版社も、採算など度外視してもかまわないでしょうね。単行本と文庫本で、もとは取れているのですから。


     *


「電子書籍は売れない?」


「はい、びっくりするほど全然売れないです。環境が整っていませんから」


というのが、この文章の結論です。書籍の内容のクオリティは別にしての一般論ですけど。


     *


ああ、環境が整うまで、ただ待つしかない――。 たまに、愚痴だらけのこんな文章をブログに書くしかない――。 とほほ――。


これは、独り言です。


よし、時期が来るまでは、執筆に専念しよう――。どれだけでも、いい作品を書いておいて、いつか電子書籍化するんだ――。


これは、決意です。





5.新しい文学の形と、新しい文章


エッセイ過去1年半くらいに私が経験したことについて、エッセイを書くつもりでした。ネット上で起きていることをめぐっての話です。


でも小説の執筆に専念すると公言したあとなので、書こうとしていたエッセイのために溜めこんでいたメモを断片的に連ねていくことにしました。



***************************



◆新しい文学の形――小説投稿サイトやブログ小説について


     *


「小説家になろう 」 http://syosetu.com/ というサイトがある。私が知ったのは去年の3月頃だった。グーグルで検索をしていて偶然に見つけた。


トップページの上部に小さめの文字で、


小説家になろうはオンライン小説、携帯小説を掲載している小説投稿サイトです。 小説掲載数170,644作品。登録者数245,778人。


とある。【※2012年7月16日現在】


アマチュアの小説や詩の書き手たちが、自分の作品を投稿し、互いに評価し合うというサイトだ。


このようなサイトが存在し、上記のようにたくさんの人たちがパソコン(携帯で参加している人もいる)で文章をつづり、それを公開していることに驚いた。


一番驚いたのは、小説を横書きで読むことに慣れた20万人近い数のユーザーがいるという事実だ。


ウェブ上のサイトは基本的に横書きだから、驚くべきことではないのかもしれない。



私自身が翻訳の仕事で使うのも、マイクロソフト社のワードの横書きだ。産業翻訳は横書きで納品するのが普通だ。


一方、文芸作品を出版翻訳する場合には、たいていは横書きで草稿を作り、最終的に縦書きに表示して、クライアントに送る。校正も縦書きで行う。


実用書であれば、横書きが完成稿となる場合が多い。


いずれにせよ、小説や詩は、原則として縦書きだ。



それなのに、上記サイトを利用して10万人を超える人たちが横書きで小説や詩を読んでいる。それだけではない、ブログに小説や詩を書いている人たちがいるはずだ。その数は10万人どころではないだろう。


     *


「小説家になろう」の姉妹で「小説を読もう 」 http://yomou.syosetu.com/ というサイトがある。


トップページの上部に小さめの文字で


小説を読もう! は数万作品の小説が無料で読めるオンライン小説サイト/ケータイ小説サイトです。


と書かれている。


同ページの右下に「タテ書き小説ネット 」 http://pdfnovels.net/ とあり、その文字をクリックすると、


タテ書き


というタイトル(「タテ書き小説ネット」とも呼ばれている)と、次のようながことが書いてあるサイトに行ける。


本格的な縦書きオンライン小説サイト。



オンライン小説を縦書き・ルビ対応(PDF形式)で提供しています。


簡単に説明すると、「小説家になろう」に投稿されたおびただしい数の作品が、縦書きで読めるのだが、その字面がとてもきれいなのに驚く。PDF形式でのルビがうまく処理されていて、ルビのある行とそうではない行とのスペースの差がない。あるとしても、ほとんどない。つまり、美しいのだ。


以前、私はある出版社から電子書籍を発行(出版)したことがあるが、その作品でのルビの施し方が実に汚かった。


なぜ、プロであるはずの出版社から出た有料の電子書籍が、無料で読め自由にダウンロードできるPDFに劣るのか? たぶん、その出版社の技術が相当低かったのに違いない。


     *


「小説家になろう」と併存している「タテ書き(タテ書き小説ネット)」で公開され、無料でダウンロードされている作品は、PCでしか読めないとはいえ、立派な電子書籍である。


     *


「小説家になろう」というサイトに参加して、知ったことがある。


ユーザーたちが互いに自分たちの作品の評価をし合うのはいいとして、そうした行為に過度に依存していると見受けられる人たちがいる。仲間同士の褒め合いに終始しているという意味だ。


この人は、このサイトに投稿されている小説や詩やエッセイだけを読んでいるのではないだろうか? いわゆるプロの作家の書いた文章を、浴びるくらいに読む時間を確保しているのか?

そんな疑問の対象となるユーザーがいる。しかも万単位でいる。


以上は、ブログに小説を投稿し、何らかのグループを作っている人たちにも、よく見られる傾向だ。


いわゆるプロの物書きで、しかも文章力のある作家の作品を浴びるように読まなければ、私たち凡人は、少なくとも出版社主催の文学賞に入選できないのではないか?


一部のユーザーにとっては、小説家になろうではなく、小説家にならないが、あのサイトの適切な呼称ではないか、というのが私見だ。


◆新しい文章


     *


現在、この国では未だかつてないほどの規模で、文章が変化しつつあるように見受けられる。

具体的には、私が書いている、この文章を見ていただきたい。


冒頭の一字空けがなく、段落の意識が薄まり、あるいは消えて、数行のセンテンスが束ねられて、改行となる。それが断章形式につづられるという形になっている。


こうした文章の書き方を、私がするようになったのは、インターネットの普及と、電子メールでのやり取りが当たり前になってきたのとシンクロナイズしていたように思われる。

現在では、ビジネス文書や私信でも、このような書き方が増えているのではないだろうか?


以上の現象は、時代の流れか、それとも言語の乱れか?


忘れてならないのは、改行や濁点や句読点が使われるようになったのは、日本語の長い歴史のなかでは、つい最近のことだという事実である。

言語を静的なものではなく、動的なものとして受け止める必要があるように思う。


また、漱石の当て字は、漱石固有のものではなかったことも大切な点だ。 つまり、表記はばらばらであったという意味である。


確かなのは、いわゆる「日本語」とは抽象的な語であるがゆえに、それをめぐる議論は「正確さ」ではなく、「声の大きさ」(力関係)で正否が決まるということだ。



     *


新聞の読者による投稿欄を読んでいると、数カ月ごとに、現在の言葉の乱れを批判する文章が載る。書いているのは高齢者であったり、中高生であったりする。


特に、話し言葉の乱れを嘆くものが多い。そういう投稿文では、「正しい vs. 正しくない」、「美しい vs. 美しくない」、「自然(当然)である vs. 自然(当然)ではない」、といった図式が、あたかも存在するように書かれている。


新しいものが出てくると、それを嘆いたり、非難したり、禁止する。これは、おそらく世界各地で過去から何度も起こって現在にいたる現象だと思われる。話し言葉や文章だけにとどまらない。服装、髪形、行儀作法、言動、冠婚葬祭など、多種多様なレベルで起きてきたようだ。


私はそうした現象を見聞きするたびに、 「ああ、またか。そんなことで目くじら立てても、時代は進む――」と思い、ため息をもらす。


実際、そうではなかっただろうか?


話を、文章やその書き方に絞ろう。


携帯やPCを用いてのメールやブログやツイッターでは、どのような文や表記が書かれているか? これは、みなさんが、ご承知の通りであろう。とはいえ、ITにはそれを利用できなかったり、その恩恵を受けられない弱者がいることを忘れてはならない。


いずれにせよ、ネット上では「ちゃんとした」「おとな」なら、腹を立てたり、顔をしかめたり、首をかしげるであろう、書き方が飛び交っている。


顔文字、絵文字がいい例だ(最近、私は絵文字を自分で作る高校生がいると知ってびっくりした)。


「私ヮ・私ゎ」とか「~ですぅ」とか「あ”ー」とか「サプリメント」などの表記もそうだ。


また、故意の当て字や誤字脱字・誤記も忘れてはならない。


このように、「ちゃんとした」「おとな」たち(そんなのいるの?)の血圧を高める素材にネットは満ちあふれている。


また、改行・句読点・レイアウト・約物(やくもの)・不注意による誤字脱字など、校正・表記の基準が無視される。


私見を述べるなら、ちゃんとしたおとなたちや業界人たちや役所が、わめこうと、どなろうと、禁止しようとしても、新しい技術に並行して起こる、以上の多岐にわたる事態は避けられないだろう。


     *


電子書籍というものがある。言葉では知っているが、どんなものかは知らない人が多い。この国における電子書籍の普及は、現時点では勢いがそがれた格好になっている。


やがて認知度が高まり、いずれは社会が受け入れるようになるだとうと、私は期待している。


電子書籍に関して、よく言われることを以下に箇条書きにしてみよう。


・書き手と読み手のあいだが限りなく狭まる。これは、出版界や印刷業界にとっては悪夢であるに違いない。死活問題だからだ。


・上述の「小説家になろう」的な文学の楽しみ方が増える。意地の悪い言い方をするなら、次のようになるだろう。書き手と読み手の双方が素人同士である形態の文学と市場が生まれる。つまり、校正者や編集者が行ってきた作業がなくなる。その結果、玉石混交状態となり、クオリティの低い作品が多数出回るようになる。


・書き言葉の乱れ・質の低下(悪く言えば)と、多様化・豊かさの向上(良く言えば)に拍車がかかる。ひいては、話し言葉にも変化をおよぼす。



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以上述べた、新しい文章と新しい文学の形について、もっと知りたい方のために電子書籍化されたエッセイを紹介いたします。私が書いたものです。


その電子書籍のタイトルは『空前の「純文学」ブーム』 で、パブーというサイトにて無料で読めます。


以下に、パブーについて紹介いたします。私がユーザーである、という理由だけで取りあげます。




6.いつもピカピカの本




『電子書籍って何? ――無名の書き手の立場から――』 という、ギャグみたいなタイトルの電子書籍を出しました。言うまでもなく、本書のことです。電子書籍について知らない人たち向けの電子書籍だとすれば、確かに冗談でしょう。


この本の解説に次のようなことを書きました。


【電子書籍って何でしょう? そんな疑問から出発し、書き手の立場から電子書籍の現状をつづっています。goo と Ameba ブログに投稿した記事をまとめたものです。本書は執筆中としておき、新しい記事を書いたさいには、その時点で記事を追加していきます。常に更新中の書籍です。いわば「未来に向けて開いた本」です。そんなことができるのも、電子書籍ならではの本作りだからだと言えるでしょう。】


つまり、本書はブログに投稿した記事集だということです。


     *


ところで、2008年の暮れから2009年の3月にかけて、私はほぼ毎日長文のブログ記事を書いて投稿していました。

その記事に加筆して生まれたのが、 『うつせみのあなたに PART1』 から『うつせみのあなたに PART11』 という、とてつもなく長い哲学的エッセイ集です。


このエッセイ集は「ブクログのパブー」 内の「マイページ」 に収めてあります。


     *


ブログという形態の書き物に対し、私は不満がありました。というか、今でもあります。ブログを開くと、常に最新の記事が出てきますね。

それが嫌でたまりません。


私が書いていたのはエッセイです。私の場合には、読み切りの記事よりも連載、あるいは連作的なものが多かったので、時系列に並んでいないと筋が分からないのです。


記事のバックアップがあったので、ホームページを作ったり、 「小説家になろう」 というサイトに載せて、時系列に記事を並べ替えていました。


それでも、何だか落ち着かないのです。今思えば、要するに本にしたかったのです。


紙の本にしようとすれば自費出版になり、私にとっては大金を投じなければならない――。どうしよう?


そんな具合に迷っていたころに、電子書籍というものがあることを知りました。


最初は、デジタルデータ化した文書をCDに落とし、それを街の書店で売るものだと、思い込んでいました。


     *


そんな私が、今ではインディーで22編の電子書籍を出しているのです。自分でも、どうしてこうなったのか、よくわかりません。運とかご縁とかいうものでしょうか。


電子書籍を作成する業者に自作の出版権や販売権を握られることは嫌いです。ほとんどメリットがないからです。だからインディペンデントの立場を選んでいます。


とはいうものの、膨大な数の電子書籍のなかで、自分の本を宣伝するのはとても難しいことです。


紙の本でも、宣伝が非常に難しいでしょう。


「パブー」という、電子書籍の作成・販売サービスを提供してくれるプラットフォームで、自由に電子書籍を作っている私のようなインディペンデントの書き手がいる。一方で、電子書籍の販売(素人にとってはやっかいな課金・決済を含みます)だけでなく、作成(少し練習すれば素人でも簡単にできます)までを業者に任せている書き手もいます。


「宣伝は、うちに任せてください」とか、「わが社が、がっちりサポートしますから」とか、「うちのサイトの目立つ位置に表示するようにします」などという業者の口車に乗り、出版契約書に署名して、自分の作品をいわば人質にとられている人がたくさんいます。私も当初はそうでした。


     *


業者はどうやって、ある特定の電子書籍、たとえばあなたの書籍を宣伝してくれるのでしょうか? ツイッター? 自社のサイト? それとも、何か画期的な方法で宣伝する?


そもそも見込み客を的確に選び、そのお客さんたちに効果的かつ効率的に「この本を買ってください」と訴える、マーケティングや宣伝方法が、ネット上にあるのでしょうか?


業者が、自社の販売用サイトや、販売を委託した電子書籍専門店のサイトの目立つところに、私の本の紹介文を表示してくれると言っている――。よく耳にする話です。

業者が、そんなことを電子書籍の作者に約束できますか? 全作者に、そんな約束をしていたら、サイト上に目立つところがなくなってしまうじゃありませんか。


この辺のからくりについては、本書の「1.私がインディーを選んだわけ」 と「3.電子書籍は売れない」 をお読みください。


     *


著作権だけでなく、出版権(電子出版権)と販売権は、著者が持っているほうが良い というのは、紙の本よりも特に電子書籍について言えることです。


最大の理由は、著者が自分の作品に加筆したり、改稿したり、あるいは新たに章を付け加えるといった作業が容易にできるからです。


以上の作業を紙の書籍でやろうとしたら、大変な労力と費用がかかります。


電子書籍であれば簡単にできます。上で述べたように2つの場合が考えられます。


1)変更 : 作品の加筆や改稿


2)更新 : 新たな章の追加   (A)追加が前提となっている(連載という意味です) (B)追加が想定外である(ある日突然そんな気になる作者もいるでしょう)


1)の場合には、既に本を買った人に、無料で新版をダウンロードしてもらう必要があります。そうなると、本を書いた人と本を買った人をつなぐ何らかの仕組みが前提となります。現時点では、私には妙案はありませんが(シリアルナンバーくらいしか思いつきません)、解決可能な問題でしょう。


2)の(A)では、本が常に更新されている必要があるので、作者と読者が密接につながっていなければなりません。

2)の(B)では、更新された新版を読者が欲しいかどうかで対処が分かれるでしょう。これも解決が十分に可能な問題点だと思います。


フィクションであれ、ノンフィクションであれ、あまり長くない文章の連載は雑誌において行われてきました。ハリー・ポッターのような大規模なシリーズになると、話は別ですが。


こうしたケースでのメリットは、ある連載を読んでいる読者が、他の記事で埋まった雑誌を買わずにすむことでしょう。

デメリットは、お目当ての連載記事を読んでいた読者が、他の記事を目にして新たな発見や出合いをするチャンスがなくなることでしょうか。


     *


以上のことから、電子書籍においては作者と読者のあいだが、従来の紙の本にくらべてぐんと狭くなる と言えそうです。


また、創作に専念したい作者に代わって雑務を行うエージェントという、新しい職業が生まれることも大いにあり得るだろうと思います。

紙の書籍では、少数の例外を除き、「エージェント=出版社」という構図になっていますね。ただし、今述べた「代理業=エージェント」も活躍しているとのことです。


     *


では、まとめに入ります。


電子書籍においては、


「常に更新されているバージョン」


が可能である。つまり、


「いつもピカピカの本」


が手に入ると言えるでしょう。


本書『電子書籍って何?』 が、そのモデルケースです。

この「いつもピカピカの本」は、私の運営している2つのブログと連動しているからです。


さらに、最近私の書いた『うつせみのな ―ブログ記事集―』 も「いつもピカピカの本」を目指しています。その本の解説を以下に引用します。


【本書は、goo と Ameba ブログに投稿しつつある記事をまとめたものです。したがって本書は「執筆中」としておき、新しいブログ記事を書いたさいには、その時点で章を追加していきます。つまり常に更新中の書籍です。いわば「未来に向けて開いた本」です。そんなことができるのも、電子書籍ならではの本作りだからだと言えるでしょう。】


冒頭に挙げた本書の解説とほぼ同じですが、本章で言いたいことがコンパクトにまとめられています。


     *


以上は、出版の諸事情に無知な1人の書き手の私見でしかありません。


また、「いつもピカピカの本」という発想は、今後電子書籍が切り開く可能性の1つとして受け止めていただければ嬉しいです。




7.電子書籍が売れないのは当然?




ある無名の書き手が電子書籍で小説を発行(出版)しようとしている、と想定してみましょう。


どのようにして電子書籍を出すことになったのでしょう? いろいろなケースがありそうです。


     *


無名の書き手の原稿を電子書籍化する業者がいますね。さまざまな業種から参入しているようです。印刷業と出版業のなかでの中小・零細企業が目立つ気がします。また、本作りとは無縁だった企業や個人も見受けられます。


共通点は、ワード文書やテキスト文書を、PDFやePUBというファイルに落として電子書籍化するだけのノウハウを持っていることでしょうか。それがいわば「武器」です(後述しますが、この「武器」は大したものではありません。やがて誰もが簡単に電子書籍を作れるソフトができるでしょう)。


     *


電子書籍といっても、ルビなしの横書きしか作成できない業者もいるでしょうし、縦書きで作るだけのスキルを持った業者もいます。


縦書きと言っても、ルビがある場合に行間が広がってみっともない字面にしかできない業者がいる一方で、ルビがあるなしに関係なくきちんと行間をそろえた本を作ることができる業者もいるようです。


     *


書き手も、さまざまでしょう。どのような書き手がいるでしょうか?


私自身が無名の書き手ですし、書き手の味方ですから、書き手を分類する、つまり差別することはやめておきます。


     *


「あなたの原稿を無料で電子書籍化し、■■で販売します」とアピールする――。


こうした業者が多いです。業者のなかでは良心的な人たちでしょう。ただし、「無料で」というのは正確な言い方ではありません。「電子書籍が売れた場合には、その売り上げの△%を徴収する」という条項のある出版契約書を、書き手とのあいだで交わすからです。


当たり前ですよね。業者は無料奉仕をしているわけではないのですから。

でも、「無料で」という言葉で、ビジネスの慣行に弱い書き手を「錯覚させる」という点では、ちょいワルというべきでしょうか。


ただ、自らが電子書籍化した本が、いつか売れるだろうという夢をいだいている点では、書き手同様に、ナイーブでありロマンチストだと言えるでしょう。【※英和辞典で、naïve を引いて、その意味を確かめてください。】


なぜなら、無名の著者が出した電子書籍は、まず売れないからです。


     *


中には、ナイーブどころか確信犯的な悪質業者もいます。その手口は次のようなものです。


電子書籍は薄利多売が原則ですから、片っ端から小説家志望者に声を掛け、出版契約書を押しつけます。つまり、「無料」や「書籍化」や「作家デビュー」や「販促や宣伝もバッチリ」などという言葉で誘い、作家になりたい人をどんどん、かき集めるのです。そして、原稿を「無料で」電子書籍化して電子書籍取扱店や自社のサイトで販売します。


そうしておいて、著者自身が一生懸命に知り合いなどに呼びかけて電子書籍を売った利益を、丸ごと手に入れます。どういうことかと申しますと、印税の振込に関し、たとえば「但し、振り込み金額が1万円に満たない場合には次回に繰り越すものとする」という契約書の文言を実行するわけです。


電子書籍の販売価格は安いですね。薄利多売が原則です。とはいうものの、契約で定められた著者の取り分(印税)が蓄積されて、「1万円」(たとえば、です)を超えることはまずないと考えられます。たとえ超えたとしても、著者には事実上正確な売り上げを確認する方法がないのと、業者は嘘をつくという性悪説に立てば、著者が然るべき印税を手にすることはないでしょう(もちろん、良心的なというか、契約をきちんと履行する業者もいるでしょうが)。


     *


こうした条件の下で、業者が多数の書き手と契約し、法律や世渡りに無知な書き手たちをおだてて多数の本を作れば、「ちりも積もれば山となる(※「ちり」は失礼な言い方です。ごめんなさい)」ということわざ通り、そこそこの利益になるでしょう。専属の著者をたくさん抱えて、契約の有効期間をたとえば5年間にすれば、そこそこの利益どころか、かなりの金額になるはずです。名指しませんが、現にそうした方法を実践しつつある零細企業があります。


目安としては、印税が本の60%未満で、印税の振り込み金額が3千円以上、電子出版契約期間が1年以上(1年ごとの更改ならいいでしょう)の業者は、要注意だと思います。これは業者にとってはかなり厳しい条件ですが、私はこれくらい厳しくしないと、安易なお金儲けを企む業者が増加する歯止めにはならないと考えています。


「そんな条件じゃ、やってられないよ」という業者の声が聞こえるようです。そうなのです。上記のような条件で、書き手をサポートする業者など要らないのです。 「ブクログのパブー」のように業者は販売と課金に重点を置き、電子書籍の作成はブログ感覚でできるような方法を書き手に提供すればいいのです。電子書籍の作成についてですが、書き手が自分で作成できるソフトが近いうちに登場するでしょう。


書き手が求めているのは、もっと正確に言えば書き手が本当に必要とするのは、販売・課金を代行するエージェントなのです。それと宣伝を代行するエージェントが不可欠ですが、宣伝については後述します。


     *


業者の示す出版契約書に出版権だけでなく独占的な販売権がある場合には、そうした権利の意味をよく考える必要があります。


というのは、業者に独占的な販売権を握られれば、契約書に明記された期間中(上で述べたように長いところでは5年間という例もあります)、書き手の作品は業者にいわば「人質」として取られるからです。


さらに条件のいい他の業者に販売を依頼することも、あるいは自分の作品に加筆や改稿したくても、できないという意味だからです。

契約はシビアなものですから、契約書は慎重に読みましょう。自分に不利な文言があれば、異議を唱える勇気とプライドを持ちましょう。


     *


「1編につき、OO円で電子書籍化し、■■で販売します」と宣伝する――。


これは、上述のナイーブな業者をもっとリアリストにした感じですね。「どうせ、この電子書籍が売れるわけはないのだから、先にお金をもらっておこう。あとは知らない」ということですから。


     *


「1編につき、OO円で電子書籍化し、■■で販売します。宣伝もします」と宣伝する――。


これは、「電子書籍が売れないのは当然?」という、この文章のタイトルにもかかわってきますが、業者はどうやって「宣伝する」あるいは「販売促進をする」のでしょうか? 


本気で「宣伝する」気でいる業者であれば、上述の naïve ではないでしょうか? 逆に、「宣伝する」気は全然なく、書き手にアピールしているとすれば一種の、いや立派な詐欺ですね。


裁判にかければ、「宣伝する」という条項の不履行により、書き手側が勝利するでしょう。実は私自身、裁判の寸前までに至った経験があります。裁判の前に、私が勝ちましたけど。


     *


「無料で電子書籍化し、■■で販売します。宣伝もします」と宣伝する――。


この例が、もっとも多いケースだと思われます。


先ほども書きましたが、どうやって宣伝をするのでしょう。ツイッター、ブログ、メール、ホームページ、メルマガ、SNSぐらいが考えられます。今挙げた6つの手段は、業者だけでなく、書き手もしなければならないでしょう。


書き手側から考えれば、書くことに専念できなくなる恐れがあります。


     *


私の体験から申しますと、


宣伝するのは、めちゃくちゃ難しい


です。


半端じゃなく、難しい


です。


「難しい」ではなく「不可能に限りなく近い」


というのが、私の感想というか実感です。


買ってくれるのは、著者の名前を知っている家族、親戚、友達、知り合い、仲間くらいでしょう。でも、購入者が内輪だけではビジネスとは言えません。


では、どうしたらいいのでしょう?


(ちなみに、原稿の電子書籍化も販売も、無料で簡単にできるサイトがあります。上述の「ブクログのパブー」です。ここを利用すれば、上述の業者に依頼する必要はありません。)


     *


紙の本で考えてみましょう。


みなさん、本を買ったことがありますよね。本を選ぶときの基準は何ですか? 著者名や推薦者名(書評者名も含みます)や出版社名では、ないでしょうか。つまり、


名前


です。


コンテンツ(本の内容)の良し悪し


は、購入のさいの基準にはなり得ません。無名の著者の書いた本のコンテンツを知るのは、読者が本を買った後のことです。読んでみないことには、中身の良し悪しはわかりません。


つまり、読者は「冒険」をするのです。当たりか外れかの賭けです。あえて、そうした賭けにのぞむ物好きな人は、まずいないでしょうね。紙の本に比べ、電子書籍がかなり安くてもです。



     *


◇◇で◆◆さんが「おススメ」していた


から買った、という場合もありますね。そのさいにも、「おススメ」している◆◆さんは著名人でなければなりません。メジャーな人と言ってもいいでしょう。あるいはカリスマ性を持った人や、「時の人=今が旬な人=一時的に名の売れている人」とも言えそうです。


「◇◇」も、メジャーでよく名の知れたメディア(テレビやラジオの番組・CM、新聞や雑誌のコラム・書評・広告、セレブの発言やブログなど)でなくてはならないでしょう。そこから口コミが発生すれば成功です。


     *


最近では、「書店員さんのおススメ」といった漠然とした、宣伝・販売促進が流行っていますね。


たとえ無名であっても「書店員」という職業名が、上で述べた著名人と同じくらいの力を持っていると言えそうです。やはり、


名前の力


です。


     *


勘のいい方だと、もうお気づきになったと思いますが、


電子書籍が売れないのは当然?


というこの文章のタイトルの答えが出たようです。


無名の書き手の電子書籍を出しても売れないのは、


書き手が無名


だからです。売れないのは当然なのです。


紙の本であれ、電子書籍であれ、著者が無名であれば、宣伝や販売促進のしようがないとも言えるでしょう。特に電子書籍は薄利多売が原則です。そのような商品に本腰を入れ、大金を投じてまで宣伝する人がいるでしょうか?


     *


では、どうすればいいのでしょうか?


現在大不況下にある、既存の出版社の苦しみを考えてみましょう。



紙の本でさえ、売れないのです。事態はかなり深刻なようです。


電子書籍は紙の書籍より、ずっと安く作成し販売できるといっても、著者が無名であれば売れるわけがない、ということですね。


先ほど、書き手が必要としているのは販売・課金の代行業者であると書きました。

さて、無名の書き手の作品を、書き手に代わって宣伝してくれる業者など成り立つでしょうか? 宣伝だけならできます。宣伝が成果をあげるか、となると話は別です。まず無理でしょう。


「いや、できます」と確約した業者は、訴訟を覚悟しなければならないと考えられます。つまり詐欺で訴えられるということですね。現に、紙の本で、そうした訴訟が跡を絶たないのは、みなさんご承知の通りです。


     *


無名であれば、電子書籍を出しても売れないのが当然――。じゃあ、出しても無駄? 徒労? 自己満足?


答えは、イエスにかなり近い感じですね。


そうした厳しい事実と絶望的な現状にお気づきになった方々が、このところ続々増えているのを肌で感じています。


大金を投じて紙の本で自費出版を体験し絶望された方々よりは、お勉強にかかった金額がうんと低かったのが、せめてもの救いでしょうか。


     *


さて、どうすれば無名から有名になれるのでしょう?


小説であれば、既存の新人賞や文学賞に応募して入賞し名を売る以外に方法はなさそうです。


何か大事件を起こして有名になったら、などという不穏な考えが頭をかすめました。


もちろん、不穏ではいけませんね。ただ、何らかの形で自分の露出度を高める必要があるのは確かでしょう。


名を上げるために文学賞を目指すとするなら、紙の本であろうと電子書籍であろうと、同じじゃありませんか。


     *


どうでしょう? 目が覚めましたか? 


孤独に耐えて臥薪嘗胆・努力・精進する――。


仲間と切磋琢磨する――。


文学賞獲得を目指す――。


従来どおりの地味な話に落ち着きました。事の本質は変わらないみたいです。


みなさん、他に良い方法があれば、どうか教えてください。お願いします。



電子書籍のブログ化&ブログの電子書籍化 (前編)




先日、驚くべき情報が、わたしのPCのモニター上に現れた。 「ブクログのパブー」からのメルマガによると、


>色々なブログから、パブーで本が作れるようになりました!


とのこと。なんと


*ブログと電子書籍のあいだが大幅に縮まった。


というのだ。


私はブクログのパブーを利用して、これまでに小説6編とエッセイ集16編を電子書籍化している。そのニュースは大きな驚きであると同時に大きな喜びでもあった。


     *


パブーとは、電子書籍の作成と販売サービスを提供してくれるサイトであり企業である。パブーのユーザーの一人である私が、なぜ上述の知らせに驚いたのかというと、ちょうど同じようなパブーの使い方を実行しようと思っていたからだ。


*ブログ記事をそのままエクスポートおよびインポートしてパブーで電子書籍化する。


というのがパブーの新サービスである。一方、私が考えていたのは、


*パブーの電子書籍をブログとして使う。


という方法だ。というのも、パブーでは電子書籍を


*「完成」していない「下書き」という状態で保存し公開できる。


し、


*本を「非公開中」にも「公開中」にも自由に設定できる。


からである。


     *



つまり、


*パブーで「下書き」中の電子書籍を「公開中」に設定にすれば、本の形で小説やエッセイの連載ができる。


し、


*パブーで「下書き」中の電子書籍を「公開中」あるいは「非公開中」に設定にすれば、ブログとして使える。


ということである。また、



*連載が可能だということは、更新ができる。


という意味であり、


*連載を常に最新のバージョンで提供できる。


とも言える。要するに、


*加筆、訂正、更新が自由自在にできる。


ということだ。紙の本や雑誌であれば、そうした変更をするのに、ごたごたした手間と多額の費用がかかるだろう。


     *



以上のブクログのパブーの新サービスの詳細については、 「パブーのお知らせ」 にある「Movable Type(TypePad)形式のブログインポート機能ができました」 を参照していただきたい。


     *



紙の本と電子書籍を比較してみよう。


「紙の本じゃなきゃ嫌だ」


という意見の人がたくさんいるのを、私は日々肌で感じている。そう言う私自身にも紙の本への愛着は強い。ここでは、そうした愛着といった事情は脇に置き、


*ブログと電子書籍のあいだにある可能性


に焦点を絞ってみる。


     *


まず、ブログの現状を見てみよう。


数値が出せなくて恐縮だが、この国でブログを定期的にあるいはたまに書いている人の数は多いと思う。


*ブログというものがなければ、かまえて文章を書くことはなかっただろう。


と考えられるブログ利用者が、かなりいるにちがいない。なぜ、「かまえて」なのかというと、ブログは基本的に不特定多数の人たちに向けて書くものだからである。言い換えれば、


*未知の読者を意識しながら書いてこそ、ブログなのである。


ブログのランキングサイトである「にほんブログ村」や「人気ブログランキング」を閲覧してみれば、ブログのジャンルが驚くほど細分化されているのに気づく。とりわけ、前者のカテゴリーとサブカテゴリーの数が多い。



「へえー! こんなブログもあるのか」


とか、


「私だけだと思っていた(or 悩んでいた)のに、同じ〇〇の人がこんなにたくさんいる」


という感じだ。


     *


ブログサービスを提供しているサイトに入ってみるのもいい。私も利用している「アメブロ」に登録すると、「グルっぽ」と呼ばれるグループに参加することができる。


このグルっぽの数が驚くほど多い。さまざまな人が何らかの趣味、傾向、立場、信条、性癖、関心事をキーワードにグルっぽを立ち上げている。


多種多様のグルっぽが存在し、各グルっぽのメンバー数は1人から万単位のものまである。上述のにほんブログ村のジャンルも細かいが、アメブロのグルっぽはそれよりも数段多様化している。


「ミクシィ」の「コミュニティ」に匹敵するのではないかと思われる。いや、それよりもグルっぽのほうが多いかもしれない。アメブロはSNS的要素が強いので、


*同じ〇〇という共通点によって、全国の仲間と交流し連帯できる。


という状況が生まれる。


     *


私はアメブロのユーザーなので、アメブロをモデルにして話を進める。アメブロにさまざまなグルっぽがあるということについて、いく通りかの解釈や説明ができるだろう。私が注目しているのは、


*社会における各種のマイノリティ(少数者)が、ネット上で仲間と出会える機会が生まれると同時に、その受け皿が発生する。


という点だ。インターネットが、これほどまでに普及する以前であれば、


*あるマイナーな〇〇を持つ、あるいはかかえる人が、自分と同じような好みや傾向や立場を持つ人と出会い、そして交流する。


ことなどできなかったにちがいない。この国そしてこの社会において


*多種多様なマイノリティ


が、これほどつながったことは史上初めての現象だと言えるだろう。



(後編につづく)






電子書籍のブログ化&ブログの電子書籍化 (後編)




     *


次に電子書籍に話を変えてみよう。


冒頭で述べたように、私は「ブクログのパブー」のユーザーである。パブーで電子書籍を作成し販売してみた結論は、私のような


*無名の書き手の本が、知り合い以外の人によって購入される確率は限りなくゼロに近い。


というものだ。つまり


*コネと義理では何とか少数が売れても、本の著者名と宣伝文だけをわざわざ読み、さらに買ってくれるまでの未知の人はほとんどいない。


ということである。こうした状況は、


*紙の本で自費出版する。


のと変わらない。大きな違いは、


*電子書籍はきわめて安く出す発行(出版)できる。


という点だ。大げさに言えば、


*電子書籍は0円でも出版できる。


のである。もっとも、これは正確な言い方ではない。紙の書籍であろうと電子本であろうと、作者がつぎ込む労力と時間ははかりしれず、容易に数値化できない。多大な「経費」を負担している無名の書き手もいるにちがいない。


     *


*全国的レベルでの有名人、地方レベルでの有名人


という具合に、名が知られている人ならば、そのレベルに比例する形で、本の売れる可能性が決まるだろう。


一方、


*無名の作者であれば、その著作は電子書籍でも紙の本でもまず売れない。


と言いきれる、とすら思う。


     *


*宣伝とマーケティングが適切ではないから売れない。


のだ、という見方もできるだろう。しかし無名の書き手の本となると、宣伝とマーケティングに要する費用は並大抵の額では済まないにちがいない。本を売る場合には、


*運や時流も大きく左右する。


ことも、忘れてはならない。無名の書き手とは逆の有名作家の場合はどうだろう。


*著名作家の単行本を文庫化し、それをまた電子書籍化する。


という、きわめて「美味しい」話になるのではなかろうか。


     *


昨年(2010年)は、


*電子書籍元年


と呼ばれたらしい。


*米国から複数の「黒船」(大手電子書籍店)がやってくる。


と、ささやかれていたということだ。そうした気配に危機感を覚えたのか、去年に国内の大手の電子書籍店は販売する対象を変えた――。そんな噂を聞いた。


*最も売れないジャンルの本である小説、なかでも売れないプロの作家および無名の書き手の小説を扱わない。


という「方針」を秘密裏に決めたという話も聞いた。そうした大手を見習う形で以前から販売していた中小の電子書籍店も、当然のことながら、その「方針」に沿って営業を続けて現在にいたっている。


以上は、あくまでも噂であるが、その噂が本当であるらしい例を、私は複数知っている。その「複数」が氷山の一角であるという印象をいだいているが、検証したこともなければ、したくもない。


     *


昨年の暮れあたりに「黒船」の第1号である米国企業が、この列島に上陸した。現在、上述の国内大手の電子書籍店が、どんな対策を講じているのは知らない。


それはさておき、興味深い点は、「黒船第1号」が、国内大手の「方針」とほぼ同じ方策で、電子書籍の販売をおこない始めたらしいということだ。


たとえば、ある零細企業――書店や出版社だけでなく印刷業やさまざまなIT関連企業や、従来とは異業種の会社など多種多様である――が自社で作成した電子書籍を、「黒船第1号」で売ってもらうためには2週間ほどの


*「審査」


があるという。それを聞いた私は耳を疑った。「審査」とは、現在もおこなわれている、この国の教科書検定や、戦前の全体主義時代におこなわれていた、


*「検閲」


に他ならないではないか――。いや、待てよ、「黒船」が米国企業であること考えると、かつてのGHQによる検閲と同じではないか。



     *


話を整理しよう。


この国では大手の電子書籍店とその店に寄り添う形で存在してきた、「電子書籍の登録所」(お役所みたいで嫌な語感だ)が、


>最も売れないジャンルの本である小説、なかでも売れないプロの作家および無名の書き手の小説を扱わない。


という「方針」のようなものを打ち出したらしい。それが、根も葉もない噂ならいい。だが、実際にそうした動きが見られ実現しているのだ。


そんな流れのなかで、悲鳴を上げ始めた中小および零細規模の電子書籍店が、「黒船」来訪と上陸に期待を寄せていた。期待とは


*自由(解放)と平等と自立、つまりデモクラシー


である。ところが、例の


*「方針」とそっくりなことを「黒船第1号」がし始めた。


と聞いた。


     *


「これじゃ(無名の作家の書いた)小説は、全部アウトだよー」


という業者の「悲鳴」も聞いた。


そうした動きは「黒船第1号」特有のものなのか? 昨年までこの国で椅子にふんぞり返っていた「大手電子書籍店」のとった「方針」と、共通する何らかの意図があるのか? そうだとすれば、真意は何だろう? 単なる倫理的基準に照らし合わせる「審査」とは、とうてい思えない――。


私は疑問を持った。零細電子書籍店の人にも尋ねてみたが、


*分からない。


という。なぜ、国内大手と黒船第1号は、


*無名作家の芽を摘む。


のか?


     *


暗い話のあとには、明るい話をしよう。冒頭に挙げたパブーの話だ。



>色々なブログから、パブーで本が作れるようになりました!



という話がメルマガで知らされる前に、「JUGEMブログ」がパブーで電子書籍化できるようになった、というお知らせを何かで読んだような気もする。そんなわけで、私は主要な無料ブログサービスを利用してみた。


その結果、


*パブーを使ってなら、今の段階ではJUGEMが一番電子書籍化しやすい。


と思うにいたった。


ところで、私はかなりのおっちょこちょいである。なんと、ブクログのパブーとJUGEMとは、paperboy&co という同じ会社に属しているのである。それに気付いたのは、つい数日前のことなのである。


パブーのサービスを利用してJUGEMが使いやすいのは、


*当然


ではないか。


     *


ブログから個人がデータをエクスポートして、それを電子書店販売サイトでインポートし、電子書籍化する。


*これはすごいことだ。画期的なことだ。


と私は思う。


*電子書籍のブログ化&ブログの電子書籍化


が実現したからだ。どうして、それが画期的なことなのか?


これからはブログを楽しんでいる人たちが、ブログ記事を電子書籍化するようになるだろう。一方で、ブログも楽しめるスマートフォン(あるいは、スマートフォンに対応したブログサイト)が急速に普及し始めている。つまり、まさに、


*誰もがどこでもブログ感覚で簡単に電子書籍をつくれる時代が来た。


ということだ。


     *


「黒船第1号」に続き、「第2号」の米国企業がこの列島に上陸するというニュースを、数日前(2011年10月20日)に知った。「第2号」が


*「検閲」


をしたり、


*無名の作家による小説を排除する。


ような方針を持たないことを祈らずにはいられない。



     *


*電子書籍のブログ化&ブログの電子書籍化


と、


*誰もがどこでも簡単に電子書籍をつくれる時代が来た。


ことが何を意味するか? 勝手に妄想させていただくなら、今後は次のようになるのではないかと思う。


PCとスマートフォンを使えば、オンラインでは、


*電子書籍、ブログ、メルマガ、HPサイト、ツイッター、SNSといった分類と境い目が、きわめて曖昧になる。



だけでなく、さらに言うなら、


*少数の作者と数多くの読者層、書き手と読み手といった線引きが意味をなさなくなり、境い目が薄れる。


ようになるのではないだろうか。なぜなら、今挙げた広義のサイトから得られたデータが、各人の持つ1台のPCや1台のスマートフォンで、データの出どころが何かの区別なく楽しめるからだ。そうした状況は、部分的ながら既に実現していると思う。


*閲覧する側の者には、メディア(データの出どころおよび流通の形態)のジャンル分けは意味をなさない。


し、


*ジャンルがあるとすれば、コンテンツのジャンルだけだ。


とも言えそうな気がする。


*利用者は自分の好きな、あるいは必要とするジャンルのデータを求めている。


のであり、そのデータの出どころや、どうやってデータが伝わって来ているのかには興味を持たない。


語弊のある言い方をあえてするなら、


*利用者は手に入れた情報が、どこの馬の骨のものであろうとかまわない。


     *


こうした状況についての反発もあるだろう。ステレオタイプ化した言葉は、


*玉石混交


だ。嫌な言葉だ。私は


*玉石混交は出版前ではなく出版後の読者が決めるものだ。


と考えている。言い換えれば、


*審査は要らない。


ということである。


     *


いずれにせよ、購入されたデータに対する


*課金と決済


や、そもそも


*有料にするか無料にするか?


という問題が出てくるのは当然であるが、ここでは触れない。


     *


*電子書籍のブログ化&ブログの電子書籍化


今の私は、そのことで頭がいっぱいだ。 



(「付記」につづく)





電子書籍のブログ化&ブログの電子書籍化 (付記)




     *


私のブクログのパブーへの期待は大きい。他の電子書籍店との違いをみてみよう。


1.大手の店に電子書籍を「登録」するという形をとっていないため、誰もが自己責任で本を作ることができる。


2.1 のスタンスで営業活動をしているため、事実上「審査」と呼ばれる検閲がない。


3.電子書籍を作成し販売するサービスが、事実上無料である。


4.有料本と無料本が、サイト上で混在している。


5.ユーザーにとって、より快適な環境をつくるための「進化」を続けている。この点については、 「パブーのお知らせ」を読めば、パブーの進化が現在進行形であることがよくわかる。


6.プロとアマ、有名と無名、有料と無料という時代遅れの線引きがほとんどない。


7.「玉石混交」という社会における根強い差別がパブーにはなく、サイトに収録されている多種多様な本をほぼ同列に扱っている。ただし、ランキングの基準が不透明であるのは残念である。


8.本が売れた場合の、作者の取り分(印税)が70%である。この業界では、きわめて作者に「やさしい」額だ。


9.パブーで作成した本は、さまざまな端末に対応するようにつくられている。この点については、 「マニュアル」にある 「本を読もう」を参照していただきたい。


10.以上9項目の、時代にマッチした優れた特徴を、PRする努力が欠けているのは残念である。


     *


このエッセイをお読みになった方が、「電子書籍のブログ化&ブログの電子書籍化」という画期的な出来事と環境を、ご自分の領域に生かしていただければ、と切に願う。






9.さようなら、電子書籍


【※以下は、アメブロ(Ameba ブログ)に、2012-04-05 から 2012-04-09 に投稿したブログ記事です。バックアップされた記事を、そのままコピペし、 mixi の日記に掲載したものです。ただし、アメブロをご存じない mixi ユーザーの方のために、若干加筆してあります。なお、ブログは削除し退会しました。】


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マイノリティ

2012-04-05 16:11:28 テーマ:ブログ


久しぶりにアメブロに来たが、細かい点でいろいろ変わってきているのに気づく。


今は春休みだからなのか、中高生のユーザーがあちこちにいる。小学生もいるようだ。アメブロは、基本的に出会い系ネットサービスとほとんど変わらない機能を備えている。それなりに制限をもうけているようだが、いくらでも穴がありそう。


一方で、さまざまな背景をかかえたマイノリティたちにとって貴重な、あるいはかけがえのないグルっぽもある。社会には性別、セクシュアリティ、メンタルヘルス、障害、虐待といったフィールドに放り出された格好になっている人たちがいる。


アメブロが、そうした人たちの受け皿になっていることは確かなようだ。同時にまた、その受け皿を悪用しようとしている人たちがいるようにも見受けられる。


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心さわさわ

2012-04-06 09:25:54 テーマ:ブログ


抑うつ状態が悪化すると、消えてしまいたくなる。消えてしまうというのは死ぬという意味だ。死ぬという言葉が好きではないので、消えるとか、消えてしまうと書き、また言いもする。


消えてしまいたくなることはしょっちゅうあるが、それは軽度の感情だ。それが重度になると、かなりつらい。どのように消えるかを考える。方法はいろいろあるが、ここでは挙げない。


ブログには書いてはならないことがある。


凍死する季節は過ぎた。そうなると、消えてしまいたい時には困る。今がまさに困っているところだ。凍死が魅力的なのは、やはり楽そうだからだ。


アルコールや眠気を催す薬を飲み、雪のなかにぶっ倒れれば、それでいい。それほどの苦しみはないだろう。


死ぬ時くらいは、一人にして欲しいという気持ちがある。歩いて30分もたたないうちに山があるところに、私の住む家がある。絶好の立地条件を満たしているではないか。


その冬も過ぎてしまった。


心がさわさわする春まっさかり。


元気を出そう。



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barthesian ? 何、それ、美味しいの?

2012-04-06 11:18:18 テーマ:ブログ


このブログのタイトルである barthesian がどういう意味なのか、と読者さんからメッセージをいただいた。話が長くなりそうなので、次のように書いた。


>実は、私も知らないのです。何かの本に書いてあったのは確かなのですが、意味は忘れたというか知らないのです。ただ口調がいいので、何となく音で覚えていただけです。フランス語で「バルテジアン」みたいに発音するのですけど。


ここまで書いて、いくらなんでもテキトーすぎるし、不誠実だと思い、以下のように書き直した。


>内田樹さんをご存知ですか? 大学で哲学を教えていた人です。内田さんのツイッターのアカウントは、@levinassien と名づけられています。それは、内田さんが、エマニュエル・レヴィナス(Emmanuel Lévinas)というフランスの哲学者を専門に研究なさっていたからみたいなのです。


>levinassien というのは、「レヴィナスの」という形容詞だったり、「レヴィナスの研究者(ファン)」みたいな意味になります。レヴィナシヤンみたいに発音します。


>デカルトという哲学者の名前をお聞きになったことはありませんか? フランス語では、René Descartes と書きます。levinassien と同様に、「デカルトの」とか、「デカルト研究者」とか「デカルトのファン」みたいな意味で cartesian と書き、カルテジアンみたいに読みます。


>お尻をいじって、いやーん、とか、いあ~ん、みたいな声を出させるなんて、フランス語もお茶目な言葉ですね(笑)。


>で、私のブログのタイトルである barthesian なのですが、バルテジアンと読んで、Roland Barthes というフランス人のおねえさん、じゃなかった、おばさん、じゃなかった、おじさんのお尻をいじったものなのです(←この辺は、深読み可能です)。日本では、「ロラン・バルト」と表記されています。故人です。


>何をやっていた人なのかと言いますと、何でも屋さんでした。文芸批評家、思想家などといったところです。自分の研究対象を、とっかえひっかえする性癖がありました。


>私は、大学の卒論で Roland Barthes について書いたので、ま、barthesian でいっか、の乗りで名づけたのです。


と、長いメッセージを書いてしまった。


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新人文学賞への道と、その後

2012-04-07 14:14:00 テーマ:ブログ


将来作家になるやつは、ここにはいないね――。


ある知り合いが言った。「ここ」とは、 mixi 内にある作家志望者のコミュニティのことだ。私は反論もできず、相手の話をじっと聞いていた。


プロの小説家の登竜門となっている、メジャーな文芸誌主催の新人文学賞受賞をめざしている書き手なら、mixi などに時間を費やしてはいない。時間が足りなくて困っているはずだから――。知り合いは、そんな意味のことを付け足した。


そうかもしれない。


     *


私は mixi のアカウントを残したまま、3日前にこのアメブロを再開した。再開して間もなく、小説家志望者向けのグルっぽと、小説や本が好きな人たち向けのグルっぽに参加した。一昨日から昨日にかけて、「入試」を受けたグルっぽからも入会を許可する通知が次々と来たので、続々入会した。


なぜか? いっしょに文学賞受賞レースに加わり、走ってくれる人が欲しいからだ。甘ったれた考えだと、自分でも思う。とはいえ、一人で走るだけの度胸が私にはない。


複数のグルっぽに入会した私は、入会と同時に各グルっぽで投稿を始めた。自己紹介とアメンバー募集の2種類のスレッドに書き込みをしたのである。投稿文はあらかじめ作っておいたので、コピペするだけの単純な作業だった。


一昨日も昨日も、短時間に続けて書き込みをするなという意味の赤い文字が、PCの画面に表示された。警告文が出るとそれ以後に投稿が出来ない設定になっているようなので、そこで作業をやめた。要するに、度を過ぎた行動をしていたことになるらしい。


     *


文芸誌主催の新人文学賞の応募者、一次および二次選考を通過した者、最終候補作品の作者、入賞者――。


ここまでの過程をクリアする作家志望者はどれくらいの確率でいるのだろう? かなり低いにちがいない。


一度だけ、自作の小説が最終候補5作に残ったことがある。もっとも、その年は「受賞作なし」という結果になったが、気休めにもならなかった。ただ悔しかった。きっとあの時に、私は「作家デビュー」に最も近いところにいたのだろう、と今になって思う。


     *


文芸誌主催の新人賞受賞者として選ばれた人たちは、受賞作の次に商品となる小説を書き続けなければならない。デビュー作以後の作品がコンスタントに文芸誌に掲載されたり、出版される確率はさらに低いと思われる。つまり、消えていく新人賞受賞者となる。


新人賞を受賞した後に、プロとして名前が全国に知れ渡った中堅の作家にまでのし上がる――。


そこまでになる確率は、宝くじの一等並みと言っても言い過ぎではない気がする。


将来作家になるやつは、ここにはいないね――。


あの言葉が頭から離れない。アメブロを再開した今でも。


そうかもしれない。


いや、きっとそうだ。私を含めて。


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師匠が消えた

2012-04-07 14:52:36 テーマ:ブログ


師匠と呼んでいる人がいた。師匠と言っても、ネット上の関係でしかなく、本名も年齢も知らない。私より年上であることは確かだろう。物知りな人で、文学だけでなく、出版界の現状についても詳しかった。



「将来作家になるやつは、ここにはいないね――」



前回の記事で、mixi 内にある作家志望者のコミュニティについて、そのように評したのが、師匠である。社会のさまざまな出来事や仕組みについて、必ず辛らつな意見を述べる人だった。



私は mixi でこの人と出会い、頻繁にメッセージのやり取りをしていた。過去形なのは、今は師匠の消息が分からないからだ。何の挨拶もなく消えてしまったのである。いろいろなことを教えてくれた人なので、寂しいし悲しみも少しながら覚える。



メッセージやコメントを交わす形で交際していた人が前触れもなく急に消えることは、ネット上では珍しい出来事ではない。私自身も、消えたことが何度もある。だが師匠だけは今もなお恋しいし、また出会いたい。



ネガティブな発言ばかりを口にする人なので、こちらが落ち込んでいる時などは、わざとメッセージを返さなかったり、その人の「つぶやき」にコメントをしなかったこともあった。



「あなたには、mixi よりアメブロが合っている気がする――」



メッセージという形で、師匠からそう言われたのは数カ月前のことだった。今考えると、師匠からのそのメッセージが来て間もなく師匠が消えたような気がする。記憶違いかもしれないが。



アメブロは文字通りブログなのだから、記事に対して未知の人がコメントをくれたり、ペタを返してくれるチャンスは多いだろう――。師匠がそう言ったのは、mixiで「足あと」機能が改悪されたころだった。



「足あと」とは、mixi 内で誰かが誰かのホーム(プロフィールとブログを合わせたマイページみたいなもの)に訪れるとほぼリアルタイムで、その訪問がホームの持ち主に通知される仕組みだった。それなのに、どういうわけか、訪問者の足あとが確認できるのが後日に限定される仕組みになった。



改悪に反対するコミュニティ(アメブロのグルっぽに当たる)ができるなど、ユーザー側の不満は膨らんだ。私もいくらかの不便と不満を感じた。



たとえば、朝一番にPCを立ち上げる。真っ先に mixi にログインする。訪問者を確認する。そして訪問者のホームを訪ねる。そうした一連のわくわく感がなくなったことは確かだ。かといって、mixi の運営部門に対して何らかのリアクションをするまでの不満は、私にはなかった。



朝、アメブロにログインする。記事へのコメント、ペタ、アクセス解析を確認するのは、わくわくするし楽しい。今のところ、コメントはないし、ペタは何かを売ろうとする業者が付けたものばかりだし、アクセスもとんとんという感じだ。



何しろ、このブログを始めて4日目なのだからこんなものだと思う。結論を出すのは早すぎる。



それにしても、師匠にまた会いたい。今朝もPCを起動させてすぐに mixi にログインして、師匠からメッセージが来ていないかをチェックした。アメブロへのログインは、今のところ二の次になっている。


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やっぱり、ひとりがいい

2012-04-07 16:04:30 テーマ:ブログ


アメンバー募集の文章を作家志望者向けグルっぽのスレッドに書き込んだことを、前々回に書いた。実は、それと並行して mixi のコミュニティにも、私と同じように小説の新人賞をめざしている人たちに呼びかけた文章を書き込んでいた。


いっしょに走ってくれる人として、私はいくつかの条件をつけた。以下に、コピペしてみる。


*お互いに作品を読み合わない。【※素人の小説を読む時間があれば、プロの作品を読むほうがましだから。】


*お互いに作品の評価をし合わない。【※なあなあ関係か、不毛な激論におちいりやすいから。】


*情報交換や世間話や雑談をしたり、励まし合うだけ。【※要するに、お互いにへこまないように癒やし合うのが最大の目的。でも、甘えちゃ駄目。】


*共依存しないように気を付ける。【※依存は怖いですよ。依存し合うと、たいてい共倒れに終わります。】


     *


アメンバーとマイミクを募集するための、以上の文言には書かなかったこともある。


ブログを作品の発表の場としている人とは、付き合う気持ちはない――。


文学賞を主催している出版社に作品を送ることだけを念頭に、日々読書をするなり、草稿を書くなりしている人とネット上で交際したい――。


電子書籍デビューを夢見ている人と友達になりたくない――。【※電子書籍に夢をたくしている人を傷つけなくないから。】【※この点が気になる方は、本書の「7.電子書籍が売れないのは当然?」 をお読みになってください。】


ということだ。


     *


きょうは土曜だからか、今朝PCを立ち上げると、アメンバーとマイミク募集へのリアクションがいくつかあった。どれもが、午前0時以降に送られていた。 結論から言うと、私はプロの小説家をめざすにあたって励まし合う人を探すのはやめた。返事をくださった人たちには申し訳ないが、私には単独行動が向いているらしいと気づいた。


実生活においても、私は何事もひとりでする傾向がある。集団行動は大の苦手だ。幼いころから、単独行動をする性癖があった記憶がある。親も、昔の話として私の一人遊びについて語ることがある。


一人で列車に乗って遠くへ出かけて警察に保護されたとか、山に入って一時行方不明になったものの午後9時ころに帰ってきた――。その類の行動が何度もあったらしい。


今振り返っても、小学校以降での課外授業や学校行事や授業以外の作業でも、私はマイペースですることを好んでいた。基本的にひとりでいることが好きだという点は、現在も変わらない。


いわゆる「社会人」となってからも、私は定職に就かずにいる。そのため周りからは、毎日ぶらぶらしていると思われてきたし、今もそう考えている人は多いだろう。ただ、現在は母の介護をしているので、世間の目は以前とはいくぶん違った見方をしている気がしないでもない。


     *


話を戻そう。


上で述べた理由から、きょうの午前中に、mixi とアメブ内にある作家志望者関連のコミュニティとグルっぽの掲示板に書き込んだ、マイミクとアメンバー募集の文言を削除した。


ネット上の友達が欲しくなくなったのではない。新人文学賞受賞のために励まし合い、また競い合う人を募集するのをやめただけだ。


そうした目的と無関係の友達は欲しい。できれば、ものを書くのとは別の創作活動をしている人、あるいは創作活動とは無縁の人である友人が欲しい。


     *


私はこれまでと同様に、ひとりで小説を書いていくことにする。


ネット上での付き合いだったが、唯一小説や文学について語り合うことのできた「師匠」が消えてしまい、心細いけれど。


「師匠」がこの記事を読んでいてくれたら――。


私の条件にぴったりの誰かが、いっしょに走ってくれたら――。


甘いなあ。自分でも、つくづくそう思う。小説を書くことは、絶対的な孤独のなかで行う作業なのに。


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春だから

2012-04-08 17:04:05 テーマ:ブログ


江國香織さんの『スイートリトルライズ』を読み終えて、漱石の『それから』を読んでいた。なぜ、漱石なのかというと、江國香織さんの作品と夏目漱石の作品が似ていると思えてならなかったからだ。


根拠はない。ただそんな気がしただけだ。では、なぜそんな気がしたのか? たぶん、2人はミステリーやサスペンスとは距離を置いたところで小説を書いていた、そして書いている、というイメージがあるからだろう。


謎解きやサスペンスの巧みさで勝負したくない――。私には、そうした強い信念がある。裏を返せば、その2つが苦手だから口にする方便だとも言えるが。


『スイートリトルライズ』の次に、重松清さんの作品を読もうとも思った。本棚には、未読の『エイジ』と『きよしこ』がある。


質の高い児童書の書き手が減ってきている、とかいう話を何かで読んだ。そのなかで、「かつて重松清が書いたような」とかいう言葉があったような記憶がある。そんな曖昧な動機から、重松さんの小説を読もうと思っただけのことだ。


重松さんについて、ネットで検索していたら、「家族小説」という言葉が出てきた。なるほどと思った。児童を対象とした小説ならば、児童がアイデンティファイできるキャラクターを登場させる――。ごく自然な創作上のなりゆきだと言えるだろう。


江國香織さんが絵本や児童書を翻訳したり、自分でも書いていることを思い出し、自分の進もうとする方向は決して間違ってはいない、などと勝手に理屈をつけ、自らを勇気づけていた。


     *


以上は、一昨日までの読書記録と今後の読書計画だった。それががらりと変わった。


漱石の『それから』が、つまらなくてたまらなくなった。読むのを中断するのではなく、もう一切読まないでおこう。そう思った。


文庫本で、しおりを挟むと半分より少し多いところにある。じっと本を見つめて迷っていたが、やめようと決めた。思わず、


万歳!


と叫んでいた。


次は、重松清さんの『エイジ』と『きよしこ』だ。NHKの「きよしとこの夜」という番組名が頭に浮かび、ひとりで大笑いしていた。そのうちに嫌な予感がしてきて、笑いがとまった。


気持ちを入れ替え『エイジ』を読み始めた。予感が当たった。


おもしろくない。ちっとも、おもしろくない――。


それだけではない。わけあって男性恐怖症の私は、重松氏の顔を思い出していた。重松氏とそのファンの方々には、まことに申し訳ないが、鳥肌が立った。


だめだ、こりゃ!


となった。


     *


今、読んでいるのは『流しのしたの骨』である。私の私淑する江國香織さんの小説だ。師の技を盗むつもりで、ゆっくり、じっくりと読んでいる。


それにしても、なんで、江國香織さんと漱石が似ているなんて考えたのだろう。


春だからか――。


そんなことを書いていて、ふと思った。


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さようなら、電子書籍

2012-04-09 15:53:30 テーマ:ブログ


昨日から今日にかけて、「電子書籍とのお別れ会」をやっている。


ぶっちゃけた話、電子書籍への恨みと辛みを、慇懃無礼な文言でツイートしているのである。


以下のURLにある最新のツイート2本をお読みいただきたい。特に本日付けのツイートは、届けるべき相手を考えもせずに(つまり、マーケティング戦略ゼロで)、やけっぱちで乱発信したものだ。


本日フォローされた方々は、誤配だと思っていらっしゃるにちがいない。この場を借りて、お詫び申し上げたい。ごめんなさい。【※本日のツイートは、あまりにもみっともないので削除した。どうも本日の私はかなり精神的にまいっているらしい。】




ツイートを翻訳すれば、


くたばれー、電子書籍ぃー


みたいな悪態とか、


電気書籍? ブームは、もう終わったんじゃないですか? 何か?



みたいな意地の悪い、根拠のない、現実を無視した罵倒になる。【※念のために書き添えるが、電子書籍は、これから徐々に日本の社会に受け入れられていくであろう。紙の書籍も、それなりに出版され続けるだろう。テレビが登場してもラジオがなくならなかったのと同じである。】


     *


確かに、私にとって、2010年の7月からの約2年間は、自分の書いた小説6編とエッセイ集11巻の宣伝に振り回されっぱなしだった。どんなふうに振り回されていたのかを語る気力はない。今日も、かなりへこんでいる。


電子書籍なんて駄目だと書いてある電子書籍――。


そんなものまで書いたので、私のてんてこ舞いぶりに万が一興味のある方は、本書をななめ読みすることをお勧めしたい。そう。本書が「電子書籍なんて駄目だと書いてある電子書籍」なのである。特に、本書のサブタイトルに注目してほしい。すべての電子書籍を否定しているのではない。


     *


いやー、つらい。消えてしまいたい。


季節の変わり目でもあるからなのか、昨日と今日は肩がぱんぱんに凝り、からだ全体が熱っぽく、抑うつ状態が悪化している。


誰でも簡単に、しかも安く作れる電子書籍に見切りをつけ、メジャーな既存の文芸誌主催の文学賞に応募すると決意は固めたものの、今日だけは読書も執筆もする元気がない。


こんなに抑うつ状態がひどい時には、悪あがきをせず、心身を休めて、時間がたつのを待つしかない。


とほほほほ――。




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