【短縮】「あなた」=「without you」(言葉は魔法・第14回)

星野廉

2021/05/23 08:23


目次

あなた、彼方、貴方

意味のずれも比喩も駄洒落も、二重写しが原理

あなたに、そこにいてほしい

「あなた」は単独でも歌になる

「あなた」=「without you」

「あなた」=「I love you.」

あなた、彼方、貴方



 自分のことを「僕」となかなか言えない子どもだったことや、大人になってからも自分を一人称で言わない傾向があることについては、これまでに何度か書きました。


「私」を省く

 小学生になっても自分のことを「僕」とは言えない子でした。母親はそうとう心配したようですが、それを薄々感じながらも——いや

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 最近、気づいたというか意識するようになったのですが、二人称を使うのにもためらいのあるみたいなのです。こうした傾向は以前からあるのか、今始まったことなのか、考えているところです。


「あなた」と「きみ」ではどちらを使いますか? 


 今私はためらいがあって、


 あなたは、「あなた」と「きみ」ではどちらを使いますか? 


とは書きませんでした。でも、通じますよね? 日本語は有り難い言葉です。というか、人称を省いても何とか話が通じるという芸当ができる日本語を母語としているために、こうなったのかもしれません。面白いし、不思議ですね。


        *


 私は「あなた」という人称代名詞が好きです。「きみ」はまず使いません。使う相手がいないというべきなのかもしれません。親しい人がいないという意味です。「おまえ」は使った記憶がありません。使いたくも使われたくもない言葉です。


 あなた(かなた)・彼方・貴方(貴男・貴女)


 こんなふうに書けますね。どういうことなのでしょう。


 簡単にいきましょう。


「向こう」とか「遠く離れて」の「あなた・かなた・彼方」から転じて(要するに間違えたり、ずれたりして)、「(向こうという意味の)あっち」とか「(向こうにいる)あのかた」となり、いろいろすったもんだありまして、とにかく「you」の意味の「あなた・貴方(貴男・貴女)」が生まれたらしい。


彼方とは - コトバンク

精選版 日本国語大辞典 - 彼方の用語解説 - 〘代名〙 (「あち(彼方)」の変化した語)① 他称。話し手、聞き手から離れ

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貴方とは - コトバンク

精選版 日本国語大辞典 - 貴方の用語解説 - 〘代名〙 (「あなた」の変化した語) 対称。① 近世後期、上位者に用いた。

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意味のずれも比喩も駄洒落も、二重写しが原理


 今回の記事でいちばん言いたことは、「あなた」という言葉に、「遠く離れた愛しいあなた」という意味が込められていることです。


「遠く離れて」と「あなた(貴方)」が二重写しになっているわけです。


 あなたは薔薇。(隠喩)

 あなたは薔薇のようだ。(直喩)


 このように比喩もまた二重写しが原理となっています。あるものを別のものに置き換えることによって、二つの別のものや要素を一体化させる方法とも言えます。


 ちなみに、駄洒落も同じ原理みたいです。


 アルミカンの上にあるミカン。

 パンダが食べるのはパンだ。


 アルミ缶とミカン、パンダとパンが頭の中で二重写しになるわけです。音として、そしてイメージ(絵)として。おもしろい、あるいは、くだらない、ということですね。


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 もちろん、二重写しどころか、三つ以上の要素を一つに束ねることもできますけど、それは別の機会に譲ります。


 少しだけ言いますと、辞書の語義の数だけ、別の要素があるのが言葉なのです。一義だけの言葉を探すほうが難しいでしょう。三重写し、四重写し……の言葉遊びをする素地はあって、あとは運(偶然という意味です)とかテクニックだけの問題だとも言えるでしょう。


 比喩の場合には、それ相応の説得力も要ります。相手が白けて乗ってこなければ埒が明かない、つまり不発に終わるという意味では、比喩も駄洒落も大変ですね。芸の道は厳しいようです。


 あと、言葉遊びの場合には短い言葉のほうが意味が多いのでたくさん遊べます。駄洒落好きや比喩やレトリックのマニアにとってわくわくどきどきするのが実は短い語なのです。この辺のことは以下の記事に書きましたのでよろしければ、どうぞ。


不思議なままでいい

 とりとめのない話とか、分かるようで分からない現象が好きです。そうは言っても、漠然とした話ですよね。不思議とか曖昧な事や物

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 話を戻します。


 こうした〇重写しは、写真や動画であれば、遠近法とかコラージュとかインポーズとか撮影上のトリックを使ったり、編集や加工をしなければなりません。


 言葉はあっけらかんとそうしたトリックを具現して、ただ「そこにある」のです。


 言葉はすごい。言葉は魔法だ――。こんなことは言葉にしかできません。




あなたに、そこにいてほしい



 好きで好きでたまらない人が遠くにいたら、寂しいですよね、切ないですよね。


 好きで好きでたまらない人が近くにいても、愛おしさで胸が苦しいのではないでしょうか。


 恋愛にしろ、友情にしろ、家族間の愛情にしろ、そういう気持ちになるのではないでしょうか。


 会ったことのないアイドルやスターやアーティストでも、または小説やテレビドラマやアニメや映画の登場人物、つまりフィクションに出てくる誰か、あるいは空想や妄想の相手であっても、その気持ちは同じだと思います。


 遠くにいる「あなた」、遠くにいると感じられる「あなた」――。


「あなた」は、愛おしくてたまらない相手のとの空間的な距離感だけでなく、心理的・精神的な距離感も含む呼びかけの言葉なのです。


「あなた」は、そういう相手に向かって叫んだり、ささやいたり、歌ったりするのに最適の言葉だと言えるでしょう。これは、日本語の「あなた」だけに言えることではないでしょうか。


 あなた――素晴らしい言葉だと思います。




「あなた」は単独でも歌になる



 みなさん、「あなた」と声に出して言ってみてください。発音してみてください。


 a・na・ta


 母音の中でも明るく強く響く「a」が三つありますね。ゆっくり、やや大きめの声で、「あー、なー、たー」と伸ばし気味に発音してみてください。綺麗な音じゃありませんか。しかも優しい。ささやいてもいいでしょう。甘えた感じで口にするのもいいでしょう。


 ゆー、う゛ー/とぅ、じー/どぅー、にー、とぅ/うすてっ。


 どの言語なのかは言いませんが、二人称単数を思いつくままに挙げると上のような感じになります。


 一方、「あなた」は単独で歌うのに適した言葉ではないでしょうか。「単独で」が味噌です。「あなた」は三音節でしかも「a」が三つあるので、歌い上げるのにも適していそうです。


「あなた」は、短すぎない、長すぎない、重すぎない、軽すぎない。


「あなた」には、名前のような響きさえある。誰かがあなたに、「あなた」と声をかけたとします。名前を呼ばれたような気がしませんか。そんな存在感のある言葉だと私は思います。


 a・na・ta


 「a」という母音を発音するためには口を大きく開かなければなりません。心を開く母音とも言われるゆえんです。これが三つあるのですから、素晴らしい作りの言葉です。


        *


 歌詞に「あなた」が出てくる曲はじつに多いです。十曲のうち、八曲くらいはある気がしませんか。しかも、「あなた」という言葉を歌い上げるような曲も少なくない感じがします。


 あなたは美しく哀しい魔法の言葉。


「あなた」が「哀しい」理由を以下に書きます。


        *


「あなた」の出てくる私の大好きな歌を二曲紹介させてください。


 一曲目の「あなた」は遠くにいる感じです。


 歌詞にはいろいろな解釈ができそうですけど、ひょっとすると、いまどこにもいない「あなた」かもしれません。「もしも」と出だしが「仮定」であるのが象徴的ですね。「もし」は架空や空想の世界に入る時の鍵の言葉ですから。



あなた 作詞・作曲 小坂明子


        *


 二曲目に出てくる「あなた」は現実にいるけど、ただいるだけでは駄目で、ずっとそばに――それも息がかかるほどの距離に――いてほしい「あなた」のようです。健気ですね。初恋なのでしょうか。



ロマンス 岩崎宏美 作詞:阿久悠 作曲:筒美京平


        *


 人と人との間には距離があります。好き同士でも一心同体は夢でしかありません。たとえ、恋人同士や夫婦間や家族間であっても、距離は避けられません。誰もが基本的には他人同士なのです。


 とは言え、いや、だからこそ、愛していればいるほど、その距離を埋めたくなるのが人間なのでしょうね。


「あなた」という日本語の言葉には、「遠く離れた愛しいあなた」という意味が込められている。美しく哀しい言葉――。


 ひらがなの「あなた」を「彼方、貴方」と表記すると、その美しく哀しい意味が立ち現れる。まるで魔法のようではありませんか。生きているとしか考えられない言葉の身ぶりと表情。


 そんな表記ができる日本語が、私は大好きです。




「あなた」=「without you」



 これで終わっては、上でダシに使った、ゆーさんたちに悪いので、フォローさせていただきます。


 天は言葉の上に言葉を造らず、言葉の下に言葉を造らず。


 どの言葉(word)も、どの言語(language)も平等です。えこひいきはいけませんね。


 without you というフレーズを使ったり、これをタイトルにした歌はとても多いです。with・out you ですから三音節で、「あなたなしで」とか「あなたがいない(状態で)」という意味になります。


「without you」と二語から成るフレーズですが、あなたとの距離があるという意味(つまり彼方=貴方)では、日本語の「あなた」に近いとも言えそうです。一種の二重写しです。


「あなた」=「without you」


 音の響きもいいです。without you をタイトルにしたり、このフレーズがサビとなっている英語の歌は多いです。


Without you - Wikipedia

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 マライア・キャリーの Without You しか知らなかったのですが、カバーなのですね。


ウィズアウト・ユー (バッドフィンガーの曲) - Wikipedia

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        *


 ところで、ずばり You もありますが(カーペンターズ)、you を音として、あるいは旋律として歌っている感じではない気がします。





        *


 only you もたくさんあるのですね。調べていてびっくりしました。


 you だけで旋律に乗せるのは難しいから、only をつける。on・ly you。 with・out you と同じく三音節でリズミカルで語呂がいい。意味的には「あなただけよ」というふうに感情が高揚する。勝手な解釈ですけど、素晴らしいアイデアですね。


オンリー・ユー - Wikipedia

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 プラターズの Only You はいい曲ですね。曲が始まっていきなりサビで Only you と来るのですから、ドレミファドンでは、瞬間的に分かる人が続出ではないでしょうか。


 歌詞と旋律の乗り具合が絶妙で、聴いていてうっとりします。特に以下の動画が好きです。


オンリー・ユー (プラターズの曲) - Wikipedia

ja.wikipedia.org



        *



 次は比較的新しい曲なのですが、without you と歌い上げていて好きです。





        *


 これも捨てがたい。





        *


 あと、「サン・トワ・マミ」、sans toi ma mie 「私の恋人(女性です)よ、あなたなしでは……」(四音節)という意味のフランス語の歌も取り上げておきます。


 サン・トワ(=without you)だけでは二音節で間が抜けて聞こえませんか? マ・ミ(私の恋人よ)を付けたところが、うまいですね。次のような図式も考えられます。


「あなた」=「without you」=「サン・トワ・マミー」


 ちょっと苦しい。無理みたいですね。


 これは、もともと女性に振られた男性が嘆いている歌なのですが、日本では岩谷時子訳の歌詞を越路吹雪が歌って大ヒットしました。「サン・トワ・マミー」ですね。


 歌い方もいいですが、越路吹雪さんの素敵な表情に、励まされる思いがします。



サン・トワ・マミー - Wikipedia

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 若き日のアダモによる元歌です。元が男性の歌なので、淡々とした歌い方ながら説得力を感じます。「僕、泣かないよ」という感じの表情です。アダモはシンガーソングライターなんですね。すごい。




サルヴァトール・アダモ - Wikipedia

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 検索をしていて見つけました。まだ歌われているのですね。びっくり。調べてみると、アダモとベルギーつながりで、納得。






「あなた」=「I love you.」



 持論なのですが、you は I love you. という連なりの中でいちばん美しく、しかも情味あふれる音と旋律を醸しだすような気がします。


 you だけじゃなくて、I love you. です。三音節であることに注目したいです。「あなた」と同じく、三音節。


 I love you. と口にしてみてください。


 次に、「あなた」と言ってみてください。


 相手へのいたわりを感じませんか。英語の歌で I love you. とあったら、そこだけ「あなた」と替え歌にするのも面白いかもしれません。あるいは、逆に日本語の歌で「あなた」と歌い上げている部分を  I love you. とするとか――。言葉は魔法。


「あなた」=「I love you.」


 さすがに、これは乱暴ですね。


 音的には「あなた」=「I love you.」で、意味的には「あなた」=「I miss you.」では、どうでしょうか。こういうジョークは柳瀬尚紀先生なら笑ってくれたような気がします。


 冗談はさておき、次の二曲では、I love you. が綺麗な音で、しかも美しいメロディとして歌われている気がします。個人的に大好きな I love you. です。






 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


 私はあなたが好きです。



【※この記事は「言葉は魔法」というマガジンに収めます。】

 *ヘッダーにはメザニンさんのイラストをお借りしました。






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